さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

もしも・・・

2005年05月29日 19時06分45秒 | エッセイ
 もしも、あの時あなたからのメールがなかったら、遠い異国の地スロベニアで医師をしていたあなたと出会うことはなかった。看護師をしていた私は、なんでわざわざメールで医師と出会わなきゃいけないのかと思ったが、偶然なんて一つもないと今は思う。

 あなたと出会って間もなく、私はガンを告知された。診察室の前まで看護師だった私にとって、それはまさに青天の霹靂だった。白衣を着ていたせいか、私は不自然な冷静さで、それから始まる長い闘病生活の一歩を静かに踏み出した。
 しかし、白衣を脱ぎ自らの死に直面した私も、いかに冷静に受け止めるかということに必死だった。両親や兄弟にどのタイミングでどのように話せばいいのだろう。そんなことを考えている私は、看護師としての私だった。
 自分のこととして考えられるようになるには、少し時間が必要だった。そして、恋愛、結婚、転職、これからしようと思っていたことの全てが意味のないことに思えた。もう、何か新しく始めることはないのかもしれない。周囲の励ましの声は哀れみでしかなかった。どうせ死ぬなら悪あがきをせずにスマートに死にたいと思った。今思えば、どうやって死ぬのが一番いいのか、そう、自殺するかのようだった。
 あなたとの初めての電話は、全てを失った絶望感に満ちた時だった。受話器越しにあなたの動揺が伝わる。そこに医師としての冷静さは微塵も感じられない。・・・。私は何を格好付け、何を守ろうとしていたのだろう。私はやっと、本当の意味で白衣を脱ぎ始めていた。そして、
「付き合おうか」
 あなたの言葉で、私は生きることから逃げ、死ぬことばかり考えていたことに気づきハッとした。恋愛だって、結婚だってしたい。私は何を物分りよく諦めようとしていたのだろう。哀れんでいたのは自分自身だった。以来私は「病気にはなったが病人にはならない」と決めた。そして今、あなたや沢山の人からの真の愛に私は満ちている。
 もしも、こうして愛を感じることがなかったら、生きていることを嫌でも実感させられるほど辛く、胸が痛むほどにあなたを愛することはなかったかもしれない。

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