さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

人生、いつまでも分岐点

2006年05月07日 23時17分50秒 | 日記
私の歩むべき人生とは。

そんなことを、いつから考えているのだろう。
いつになったら、答えが出せるのだろう。

GWも終盤に差し掛かったある日、かつてのバイト仲間たちと那須高原に向かった。貸し別荘を借りてバーベキュー。
参加した大人9人のうち7人は結婚して、子供が出来ている。
子供も4人参加していた。

3歳児から小学校3年生までの子供4人。
彼らがいることで、旅の中心はやはり子供になる。
そんな中私は相変わらず、悶々と考えていた。
自分のすべき役割は何か、と。

子供が産めないであろう私、だから、どうすべきか。
なんていうことを考えていたわけではない。
正直にこのときの気持ちを振り返ると、
子供を持つ親たちは、自分自身の人生について、思い悩んでいる余裕はない、
ということの気付きだった。
自分自身のことで精一杯の自分が少しばかり恥ずかしくもあった。
自分勝手な毎日ではないか?と自問自答した。

私はとてもつまらないことを、いちいち気にしているのかもしれない、
という事に気付く一方で、
おかれた状況によって取るべき役割も変われば、考える内容も変わってくるという当たり前のことであるようにも感じた。

そんなふうに考えると、やはり、今置かれた状況で、私自身がどうしたいかとか、どうすべきなのか、と考えることは、まあ、仕方のないことのようにも思ってみたりもする。

では、やはりもう一度考えてみることにする。
この先、どうすればいいのか。

そうか。
子育て中の専業主婦にとってのこの先どうすればいいか、ということに対する当面の目的なり目標は、他でもなく子育てなのか。
だから、いちいち考えないのかもしれない。
そうであれば、やはり、早急に私は自分の歩む道を選択しなければならないではないか。

例えるならば私は、志望校も決まらない浪人生。
理系なのか文系なのかもまだ分からずに、なんとなく勉強しているだけ。
バイトも楽しいからフリーターでもいいかもしれないし、
親が働いているうちは、いっそニートにでもなってしまおうか、なんて考えてダラダラと過ごしているだけ。
一方、同年代の既婚者子持ちは、大学生活を満喫している大学生。
もちろん、その先にどうするか、という問題はあるにせよ、今の生活の流れはつかめているわけだ。
ん~。

2年半前にリセットされてしまった私の人生。
当時は、私の未来予想図は1年先も見つけられなかった。
でも今は、ぼんやりとしていても、2年以上先までは、
うん、見えるかな。
だからこそ、せっかく伸びた人生にもう一花咲かせないと・・・。

がんばれ、わたし。



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