豊前国分寺跡の発掘調査について、、、、、
豊前国分寺跡伽藍配置想定図(現況に発掘調査結果等を勘案作成された。)

国分寺の敷地内では、昭和49年と60~62年の2回、学術目的の発掘調査が行われました。
この調査により国分寺創建時(奈良時代:8C)はもとより室町時代(14~16C)までの
遺構や遺物が確認され、国分寺が各時代にわたって様々な活動を展開していた様子が明ら
かになりました。
奈良~平安時代のものとしては講堂とみられる建物の基礎が確認され、基礎は地山を
削りだして粗形を作り出し「塼」(せん)と呼ばれるレンガ積みのおしゃれなものであったことが
確認されています。
また、屋根に葺かれていた瓦類も出土しましたが、軒先瓦の文様から太宰府や畿内・朝鮮半島
(百済・新羅・高句麗)など内外の文化や技法の影響を受け制作されたものであることがわかり
ました。
なお、一部の河原に付着していた赤色顔料から、当時の伽藍が赤く彩色されていたことが判明し
、奈良時代の豊前国分寺が「みやこぶり」を示す瀟洒(しょうしゃ)なお寺であったことが明らか
になりました。
※出土した瓦片(左:大宰府系 右:畿内系)※

※鬼瓦片(大宰府系)

豊前国分寺跡伽藍配置想定図(現況に発掘調査結果等を勘案作成された。)

国分寺の敷地内では、昭和49年と60~62年の2回、学術目的の発掘調査が行われました。
この調査により国分寺創建時(奈良時代:8C)はもとより室町時代(14~16C)までの
遺構や遺物が確認され、国分寺が各時代にわたって様々な活動を展開していた様子が明ら
かになりました。
奈良~平安時代のものとしては講堂とみられる建物の基礎が確認され、基礎は地山を
削りだして粗形を作り出し「塼」(せん)と呼ばれるレンガ積みのおしゃれなものであったことが
確認されています。
また、屋根に葺かれていた瓦類も出土しましたが、軒先瓦の文様から太宰府や畿内・朝鮮半島
(百済・新羅・高句麗)など内外の文化や技法の影響を受け制作されたものであることがわかり
ました。
なお、一部の河原に付着していた赤色顔料から、当時の伽藍が赤く彩色されていたことが判明し
、奈良時代の豊前国分寺が「みやこぶり」を示す瀟洒(しょうしゃ)なお寺であったことが明らか
になりました。
※出土した瓦片(左:大宰府系 右:畿内系)※

※鬼瓦片(大宰府系)

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