現在の豊前国分寺山門
鐘楼門
現在の豊前国分寺のシンボル《三重塔》
豊前国分寺三重塔の建立に尽力した先人を紹介します。
〇宮本孝梁(みやもと こうりょう)
豊前国分寺中興19世住職。寺のすぐ近く国作村に生まれ、幼少時よりその才覚を
認められ藩の護院・成願寺興与に附き修学研鑽。高野山に登り最終的に僧正位を得る。
その学識を買われ帰郷後、地元の小学校長や行政職を務めるなどした。
明治18年三重塔建立を発願し、建立資金等の調達のため私財のほとんどを提供。
不足分は官公署はもとより近隣の村人へ一紙半銭の喜捨を呼びかけ奔走10年目に
して悲願を達成した。昭和2年(1927年)、86歳にて没する。
〇緒方義高(おがた よしたか)
三重塔建立を差配した大工棟梁。生年等は不詳だが、壮年期には豊津藩庁舎の棟梁
(御大工積役)を務めるなど豊津地域での名工として知られた。
宮本師よりの依頼を受けて社寺建築を独力で研究。苦心の末に塔建立を果たしたが
、竣工直前の明治28年9月没。境内に顕彰墓碑が築かれている。
鐘楼門
現在の豊前国分寺のシンボル《三重塔》
豊前国分寺三重塔の建立に尽力した先人を紹介します。
〇宮本孝梁(みやもと こうりょう)
豊前国分寺中興19世住職。寺のすぐ近く国作村に生まれ、幼少時よりその才覚を
認められ藩の護院・成願寺興与に附き修学研鑽。高野山に登り最終的に僧正位を得る。
その学識を買われ帰郷後、地元の小学校長や行政職を務めるなどした。
明治18年三重塔建立を発願し、建立資金等の調達のため私財のほとんどを提供。
不足分は官公署はもとより近隣の村人へ一紙半銭の喜捨を呼びかけ奔走10年目に
して悲願を達成した。昭和2年(1927年)、86歳にて没する。
〇緒方義高(おがた よしたか)
三重塔建立を差配した大工棟梁。生年等は不詳だが、壮年期には豊津藩庁舎の棟梁
(御大工積役)を務めるなど豊津地域での名工として知られた。
宮本師よりの依頼を受けて社寺建築を独力で研究。苦心の末に塔建立を果たしたが
、竣工直前の明治28年9月没。境内に顕彰墓碑が築かれている。
ぶぜん(豊前)の国シリーズ、知らないことがいっぱいで、ワクワクいたします⤴️✨✨
しん(親)友のチットも、歴女なので、このシリーズをたのしみにしています🎶
アイコンのおかお(顔)、カッコいいね✨って言ってたいつもチットと話しているのですが、宮本こうりょうさんも、美男子ですね‼️
さすがは福岡県・・✨
クリンより🌼
こんにちわー……コメントありがとうございます🙆これからもどうぞ宜しくでーす🙆