Crónica de los mudos

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本の山と猛暑のアスファルトを前にいま思うこと

2024-07-24 | 天満放浪記
 翻訳する小説の候補を考えたりここで紹介する場合は原則として日本で未紹介の作家を優先することにしている。仕事の取り合いはしたくないのと、私にしか見つけられない未知の領域を見てみたいという気持ちがもともと強い。
 そんな悠長なことも言っていられないのは知っている。ガルシア・マルケス以外のいくつもの重要な作品が半世紀経ったいまなお未紹介であることも分かっている。あの名作が文庫になったからと言っても専門家としては素直に喜ぶわけにもいかないことも自覚している。職業人にはすべきこととすべきではないことがあるのも年相応に分かるようになった。そうした「べき」論を無視してでも自分の興味を優先している理由を人に訊かれて、それは私が英語文学畑の住民だったとしてもたぶんシェイクスピア(古典)やフォークナー(準古典)の研究や改訳といった仕事はしていないからだろう、それはそれをする人たちに任せてポストモダン以降の新しいものや詩に近いものにアンテナを張っていたのではないか、スペイン語文学界隈という私たちの村はマコンドみたいなもので人口も少ないが、人口が少ないからと言ってスペインの古典からマルケスからコルタサルまで何でもできるなんていう人間は稀であろう、たしかに結果的に稀人になったという優れた事例(先輩、仲間)はいくつも見てきたが、自分はそうなるつもりはないし、そもそも実力的になれないので結果的にこうなっている、残りの時間も少ないので自分に適性がなく実現も難しそうな仕事はできるだけ退けたい、と言って呆れられた。
 エンリケスもすでに短篇集が二冊翻訳されたので私の候補リストからは外しているのだが、私も好きな作家のひとりで、さらに今年これで卒論を書く方がいるのでそのお付き合いも兼ねて、この2019年に刊行された後、アナグラマにしては珍しく34版まで版を重ねてきた667ページの長編小説をこの夏に読んでみることにした。同様の本(学生さんに付き合って読む)があと3冊、自分の本来の分野で読む予定だったののが過去3年で約80冊積んだまま、もちろんすでに進行中の仕事がいくつかあって、実は明日は神輿を担いでいる場合じゃないというのは重々承知のうえなのだが、明日のはまさしく何を置いても「すべきこと」なので仕方がない。
 安い地下足袋の底がアスファルトの熱で溶けないことを祈るばかりだ。

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