ディエゴ・スニガ君は1987年うまれ。
自分より20も若い、自分の息子であってもなんらおかしくない作家の本を読むのって、実際に息子や娘の話を聞くのに少し近いのかも、と最近思うようになって。
2009年に22歳で刊行した『カマンチャカ(海霧)』がデビュー作、この本は英語とイタリア語とフランス語にも翻訳された。チリではアレハンドロ・サンブラ後のミニマリズム+軍政期の記憶表象路線を引き継ぐ若手とみなされている。私は2013年ごろ、このデビュー作をセルヒオ・パラの店で買い、直後にペルー料理屋で何人かの若手作家と会食した際、ディエゴやマティアスに紹介された。ディエゴはその後、2014年に第二作『クラスター』を刊行、こちらは未読だがチリ中部にある兵器製造工場を舞台にした作品らしい。同じ年には『僕はカトリカ出身』というサッカーに関するエッセイも出している。この短編集『ニーニョス・エロエス』は2016年に刊行された現時点での最新作。若くしてデビューしたため、今のところ決定打はまだないと言ってもいいだろう。次に厚めの長編小説でなにかの賞をとればもう少し注目が集まるかもしれない。なにしろまだ32歳、あと10年くらいかけて勝負してもいい年頃ですもんね。
エピグラフはマリア・ネグローニとフリオ・ラモン・リベイロの言葉。若いのに渋いチョイスですねえ。ネグローニはアルゼンチンの詩人でディキンソンの西訳でも知られる人。なんといってるかというと「私の言わないことに耳をすませなさい」。いい詩を書く人なのでいつか紹介します。リベイロは「私たちが幸せだった場所もいつかは死ぬ」。どこからの引用なのかは8月にサンティアゴで本人に訊いてみることにしよう。リベイロの話が通じる奴は、私にとっては常にいい奴。
「子どもの街」はリベイロ風の回顧譚。それぞれの人生を歩む8人の男女、かつてはサンティアゴの比較的裕福な親のいる子が集う私立学校の同級生だった。あるときキッザニアへ社会見学に行くことになるが、片親が学費を支払えなくなって不登校気味だったベルガラという男子がある計画をたてる。それはキッザニア内にある銀行で押し込みをすることだった……。
(短編now)