Crónica de los mudos

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ペドロ・マイラル『ウルグアイの女』

2018-10-25 | コノスール

(2017-7-18)

ペドロ・マイラルは1970年生まれのアルゼンチン人作家。短編アンソロジー『孤独な女の物語』に収録されていた女教授の話が印象に残っている程度で、それ以外の小説も集めずに今に至るが、アステロイデが刊行した本書『ウルグアイの女』の評判がとてもよく、取り寄せて読んでみると、驚いたことに、ラテンアメリカでもまれにみる「一人称のダメ男小説」であった。

 ダメ男小説の定義は難しいが、日本の私小説のように、作家、あるいはその分身と思しき語り手が、己の醜悪な私生活や愚かな思念を濃密かつ自虐的に描き出していくという、ある種の露悪趣味を備えた作品を指し、概して男性の作家が多いが、別に女性が書いたっていいジャンルであるし、ダメ女小説があってもいいだろう。

 日本のラテンアメリカ文学界隈で、この種の小説は差別されてきた。

 ラテンアメリカ文学を積極的に日本に紹介してきたスペイン語の読み手、またそれを積極的に受容してきた読者層の多くが、おそらく日本近代文学における湿度の高い私小説的なものへの嫌悪感を共有していたからであろうし、解決すべき社会問題が山積しているラテンアメリカにあって自分のプライベートに拘泥している自己愛人間は生きていく資格はない…という風な硬派の学会気質や、悪い意味でのチェ・ゲバラ愛みたいなマッチョ的風土も影響してきたかもしれない。

 いずれにせよ、ポエム、女の小説、ダメ男小説といった、なよなよした感じの文学は、ラテンアメリカ各国においても、いや、ひょっとするとそれ以上に日本の翻訳業界において不当な差別の対象とされてきたかもしれない。

 いっぽう、ふだんからポエムや女の小説などに親しんでいる読者はとって、本書は南米小説に触れるにあたってガルシア=マルケスなどよりよほど適当な入口になるだろう。

 語り手は作家のルカス・ペレイラ。ブエノスアイレス在住。40代半ばで、今ひとつぱっとしない。作家の置かれた文学的立場には、作者マイラル自身の人生が反映されているようだ。

 小説はそのルカスのある一日だけを描く。

 朝早くに妻と幼い息子マイコの寝ているベッドを抜け出したルカスは、モンテビデオへ向かうフェリーに乗る。目的は経済破綻中のアルゼンチンで受け取れない外国からの入金をウルグアイの銀行で受け取るため。つまり大事な原稿料をもらうため。しかし真の目的はゲーラという20代のウルグアイ人女性と会うことだった。ゲーラとはあるブックフェアのイベントの後で知り合い、そのイベント会場でちょいとひっかけたのがうまくいって、物陰でいちゃつくも(昨今流行りの言葉をつかうと)一線は越えなかったので、その念願を果たすべく、というわけ。

 この船旅、港から首都までのバス、首都での彷徨と、1日の行程の合間に、ルカスは様々な回想をしていくことになる。回想の場面と、彼の観察するウルグアイの光景が綺麗にリンクしていくので、読んでいてダレることがない。

 ルカスは妻と共働き。売れない作家のルカスよりも妻のほうが稼ぎがある。なのに子育てはどちらかというと妻任せ。ささいなことが積み重なって、ルカスと妻は破たんの寸前にある。もはやセックスもない。ルカスは今風に言うと中年クライシスを迎えているのである。

 後半はルカスがゲーラと再会し、話をし、ウルグアイで合法化されているマリファナを吸い、そしていい感じになりかけたところである事件が起きる。事件をきっかけにルカスは厳しい現実の世界と、それまで知らなかった身近な人間の不思議な裏面と向き合うことになる。

 後悔と欲望とが入り混じる湿気の高い文体であるにもかかわらず、なぜかふと共感できてしまう間合いがあって、それが最後まで不思議だったが、おそらく脱線をし過ぎずにきちんと本筋に戻ってくる几帳面さがその理由のひとつ、もうひとつは最後に分かるが、文体上のトリックである。語り手は実は、ときたま妻に向かって2人称で呼びかける。語り手と妻との距離が分からないまま読者は彼の愚痴や妄想に付き合うのだが、最後にその謎が鮮やかに解き明かされるのだ。

 ルカスは自らの中年クライシスにけりをつける。

 語りを通してすべてを清算するのである。

 何が解決するわけでもないのだが、総括のカタルシスは読者を安心させる。

 とち狂ったルカスがゲーラに「君はラ・マーガなんだ」と話しかけたり、ボルヘスの短篇「エンマ・ツンツ」におけるトリック(二重の復讐譚)への言及があったり、アルゼンチン作家らしいブッキッシュなサービスも随所にあるが、決してぺダンティックにはならず、最後まで読者を飽きさせない。

 ダメ男小説なのに読んでいて飽きない…というのは、それだけでちょっとした傑作の証。

Pedro Mairal, La uruguaya. Asteroide, 2017, pp.142.

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