少し前に昔から好きな詩について次のようなことを書いた。
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(2018-8-23 投稿)
バイロンが So, we'll go no more a roving... を書いたのは30になる前のこと。私はそこから20年近く年を重ねてきて、近ごろこの詩の意味がクリアに見えてくるようになった。スペイン語版はビソールのものがあるが、研究室のどこかで行方不明。元の英語は
So, we'll go no more a roving
So late into the night,
Though the heart be still as loving,
And the moon be still as bright.
For the sword outwears its sheath,
And the soul wears out the breast,
And the heart must pause to breathe,
And love itself have rest.
Though the night was made for loving,
And the day returns too soon,
Yet we'll go no more a roving
By the light of the moon.
とひたすらに美しい。チリ大のアーカイブが勝手に作った西語版は
Así es, no volveremos a vagar
Tan tarde en la noche,
Aunque el corazón siga amando
Y la luna conserve el mismo brillo.
Pues la espada gasta su vaina,
Y el alma desgasta el pecho,
Y el corazón debe detenerse a respirar,
Y aún el amor debe descansar.
Aunque la noche fue hecha para amar,
Y demasiado pronto vuelven los días,
Aún así no volveremos a vagar
A la luz de la luna.
と、やはり今ひとつ。最初の Así es が微妙。なにしろ moon が luna だから。日本語は阿部知二版(新潮文庫)があって格調高いが、私の翻訳のセンスからは少し遠い。ネット上を見ると無数の私家版バイロンが転がっているが、どれも今ひとつピンとこないので、ためしにやってみた。
もうこんな夜更けに
我らはさまようまい
心臓はまだ愛を求め
月は今でも明るいが
剣は鞘をすり減らし
魂は胸をすり減らし
心臓も一息つかねばならず
愛にも休みがくるのだから
夜は愛のために作られ
昼はあまりに早く戻る
されど月あかりのもとで
我らは二度とさまようまい
英語の roving はスペイン語で vagar となっている。放浪する、というより、さ迷い歩くという感じで、英語の感じからすると vagar というより errar だと思う。amando と韻を踏ませて errando にして1行目から訳し直せと言いたい。この詩における「さまよう」とは特に歩くという行為に限定しているわけではなく、人が「夜に誰かとやること」全般に言及しているもので、そういうことはもういいかな、という一種の醒めた疲労感を詠んでいる詩。roving と loving が韻を踏んでいるのは、そういうこと。元の英語にはジョーン・バエズがつくった歌がある。それをレナード・コーエンがカヴァーした曲をユーチューブで聴くことができる。こういう情趣の詩だろうか。
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その後、ビソールのバイロン詩選集が見当たらないので改めて買いよせて通読してみた。訳者はホセ・マリア・マルティン・トリアナ。横文字の本のご多聞にもれず訳者の紹介は一切なく、検索してもよくわからない。彼の訳文は次の通り。
Entonces ya no vagaremos más
tan tarde por la noche,
aunque el corazón siga tan amante,
y siga tan clara la luna.
Pues la espada dura más que la vaina,
y el alma agota el pecho,
y el corazón tiene que detenerse y respirar
y el mismo amor tener descanso.
Aunque la noche fue hecha para amar,
y el día regresa demasiado pronto,
aún así, ya no vagaremos más
bajo la luz de la luna.
ほぼ同じといえばそうだし、あいかわらず rove は vagar だけど、やはり明らかにこちらのほうがよくて、その理由は説明しがたいが、ほどよく切り詰めた感がある。詩の翻訳は「足してもダメ、引いてもダメ」という制限のなかでの勝負で、最後はやった人間の総合的な力に依存せざるを得ない。por la noche であろうが南米風に en la noche であろうが、そんな地域差はどうでもいいのだが、それ以外の語選択には、訳者(と編者)がその人生に培ってきた言語センスが強烈に反映されてしまう。ごまかせないような気がする。
自動翻訳機が日常化したこの時代、大学で外国語を教えるなんていうインチキくさい商売の先が見えてきたことは確かだが、異言語話者と愛し合うこと、異言語の詩を翻訳すること、この二つだけはマシンを介しては無理と思う。ベッドで自動翻訳機を使うバカはいない。詩を読むのに自動翻訳機を使うバカもいない。
大学でスペイン語を学ぶ意義。
1)スペイン人と愛し合うため。
2)スペイン語で詩を読むため
という時代が来るのなら、前時代的な語学屋としてクビを切られても悔しい気持ちは残らない。