Crónica de los mudos

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サラ・メサ『きたない字』

2019-04-19 | スペイン

 サラ・メサの計11の短編からなる本。最後に落ちをしかけるノックアウト系のものもあれば、言い知れぬ気持の悪さを残したまま終わる余韻系のものもある。どちらかというと短編向きの作家ともいえようか。

 「モリフクロウ」は、親戚総出のピクニックの最中、どうやらおじ・おばたちのあいだで行き場を失ったひとりの娘が、幼いいとこを連れて、迷子になった別のいとこを探しに森へ分け入るが、今度は彼女ら自身が迷子になってしまい、一夜を明かすというお話。辛い境遇の少女がさらに辛い境遇のなかで自分の周囲の人間との関係を振り返るという話は最新の長編『パン顔』を想起させる。辛さ、というのがひとつのキーワードになっている作家かもしれない。森の奥(=人間の心の奥)に分け入るという話の構造もストレートながら効果的。

 「マルモル」は私小説っぽい回顧譚。中学校時代、自殺したひとりの男子をめぐり、個性的な田舎の教師たちがどうふるまったかを綴っていく。人物を描き分けていくときの筆致が丁寧で、こういう話は過去形や反実仮想文の多い文体も含めて教育用テクストに使いたくさせる類の典型だ。ちなみにこの本全体の題名『きたない字』はこの短編のなかに現れるアネクドートに基づいている。書題と同じ題をもつ短編を含まない短編集というのも珍しい。

 「ほんの数ミリ」はサラ・メサの得意とする生理的な気持ち悪さを前面に押し出したもの。語り手の教師がうまれつき重度の障碍をもつ自宅療養中の全身まひの少年の家を訪ねる。熱心な介護をする母親、有名なサッカー選手をはじめスペイン中からとどいた励ましの手紙、迷宮的な家とベッドの上で動かない(目の動きだけで意志を伝えることができる)少年。そのうちに語り手はある違和感を隠せなくなるのだが…。彼女の昔の長編『3×4』に通じる、学校教育における「綺麗ごととその裏」という世界が見えてくる。

 「クリーミーミルクとクランキーチョコ」の語り手は、車を運転中、信号のない場所で道路を渡ろうとした老夫婦のために、一時停止をする。ところが横の車線を後ろから追い越していった車がその老夫婦を轢き殺してしまう。老夫婦、そしてなによりも、なんの落ち度もないもうひとりのドライヴァーの人生を狂わせたことを悔やむ語り手は、過去の悔やまれる出来事にとりつかれた人々が互いを癒しあう会に参加するが…。人は他人から与えられたダメージより、他人に対して与えたダメージによって、後々、心を蝕まれていくというこわ~いお話です。

 「言葉のつぶて」は最新作『パン顔』のスピンオフ的なお話。両親に捨てられ(おそらく母親が別に男をつくって去ったあと、父親も去っていった)、おじおば夫妻の家に暮らす語り手の少女が、近所に住む孤独な中年男と親しくなるが、やがて相手を性の対象として意識するようになり…という『パン顔』と同様の展開。少女が意中の年上の男を意識するあまり、同年配の別の男子とむりやりことに及ぶ、というのは日本では見かけないので、スペイン特有の物語類型なのだろうか。サラ・メサは少女を語り手にしたときがいちばん文体的に乗っている気がする。

 「新しいことはなし」は一転して老人が死んだ老人を回想する話。この短編集の語り手は全知、作者と思しき大人、女教師、少女、中年男性、老男性と結構多彩だ。

 「わたしたち白人ってやつは」は本書でもっとも優れた出来だと私は思う。語り手は20歳前後の女性で、カルデナスというひなびた町に住む優秀な姉のもとを訪れる。姉は両親期待の星で大卒、きちんと仕事もして、やがてはマトモな男と結婚するはず…だったが、語り手がカルデナスについてみるとそこには臨月の姉がいた。ダメダメな妹が最後にあることの一線を越えるあたりが読んでいて切ない。人はこういう形で大人になるしかない、ときもある。なお、これは教室では読めません。

 「パパはゴム人形」は謎が謎のまま残る緊張感ある話。マンションに暮らす幼い三人兄弟、なぜか彼らは自活している。隣家のおばさんが訪ねてくると「パパは仕事中で邪魔されたくない」と追い返す。パパはどうなったのか、そこが説明されないまま最後は奇妙な安堵感へと誘う、やはり気持ち悪い系と言っていいでしょう。とはいえ、アルゼンチンのマリアナ・エンリケスのようにグロそのものが描写対象にはならず、あくまで子どもたちの張り詰めた緊張感だけに読者の目を導くよう設計されている。

 「わたしたちどうなっちゃってるの」は二人の女、これってもう死語なんでしょうかね、いわゆるOLを時間軸を少しずらして描いた、もうなんだか…系の、どういえばいいのでしょう、不快を積み重ねて我慢をし続けると人はどう壊れていくのか、と探求するお話。ひとりは嫌な上司のセクハラ、もうひとりは壊れかけた旦那との関係、少し時間をずらして並行させているエピソードが重なってくる仕掛けが鮮やかでした。

 「ウシタイランチョウ」はいちばん短い短編。スペインのド田舎、土手をひどい格好で歩くひとりの少女、彼女がどういう目にあったかが凝縮して。スペインには「田舎」という重要な主題があることがだんだんわかってきた。これについては次に読む予定のサンティアゴ・ロレンソ『むかつく奴ら』でじっくり考えてみたい。

 「イタチ類」はトリにふさわしいユニークな短編。できる社員二人組の男女が、出張先で仕事前に訪れた博物館。会話の中から、女のほうが仕事のあいまに小説を書いていて、その短編集を男が読んだことがあることが分かる。男は女にあることを尋ねるが…。最後、女がぬいぐるみをとりに機内へ引き返す場面が傑作で、私は大笑いしてしまった。こういう不可解な女のことは割と詳しいので。この話はおそらく作者自身の姿が女に投影されていて、男は私たち読み手全般のメタファーだと考えられる。こういう短編を最後に置くというあたり、とてもおしゃれな作家ではないだろうか。

 長編より次も短編集に期待。

Sara Mesa, Mala letra. 2016, Anagrama, pp.191.

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