
(2019.7.16.リマ中心街サンマルコス大旧校内にて)
二日目の朝、地方から来ている学生からいっしょの記念撮影を頼まれたが…という話をペルー人の学者にしたら、それはきっと彼らの大学の教師が「イベントに行った証拠」として求めているのでは、と聞いてがっかり。でも、本当はそうじゃなかったことが夜中にわかって、今は少し複雑な気持ちかも。最後まで読んでいただければわかります。
昨日のパネル1であったこと。
まずは原稿と口頭発表のズレ。
こうした学会の場合、前もって原稿を出せと要求され、それがそのまま印刷された公式報告書(アクタス)がイベント当日に渡される。アクタスは立派な業績に転用できそうだが、しょせんは発表原稿、実は論文でなくてもいい。いろいろなアクタスを見ていると、きちんと論文として完成しているものもあれば、ただの「読みあげ用の文章」にすぎないものもあって、書きぶりはバラバラ。
業績のいる若手は論文の体裁を整えがちだが、ベテランは思いついたことをメモ書きしているだけの人も。
ところが今回、主催者側が、諸事情から単なるアクタスではないきちんとした学術誌の体裁をとることに決めたらしい。私も応募の際にその事情を記した文章に加え、1.査読が入る、2.文献の記述などフォーマットがある、3.オンライン公開するので米国の研究者登録サイトに登録する必要がある、4.投稿はメール添付ではなく主催側HPにアップロード形式で、5.以上の事情から締め切り厳守(泣いても許さない)、といった要綱があるのを見て、あれっ、これって発表原稿じゃなく、要するに研究誌に衣替えをしたんだ、と結論してけっこう焦った。
今回の発表、すべて聞いたが、論文化した人と従来型の単なる原稿の人の区別が簡単についた。論文を書いた人は分量が自然と長くなっているので、20分以内に終わらず、オーバーする人が続出した。いっぽう、読み上げ原稿を書いた人は、ゆっくり朗読して時間通りに終わっていた。
書く文体と読む文体はまるで違う。たとえばバジェホという固有名は朗読では何度繰り返してもいい。しかし論文では「このサンティアゴ生まれの詩家」だの「我らの詩人」だの、言い換えていくのが普通。そういう書き言葉チックな文体をそのまま読んでいる人は、目を原稿からあげない。最初から朗読型の原稿を書いた人は、間を取る際に、必ず聴衆を見る。
私は渡航前に気付いたので、書いた論文を大幅に削る形で読みあげを用意し、文体も朗読用にある程度平易なものにした。さらに前夜にホテルで(つまりここで)直前にオーバー続出した場合に備えて15分用のヴァージョンまで用意しておいた。日本語ならその場でできるが、なにしろスペイン語なので、あー、とか、うー、とか言ってる間に終わってしまう。
二日目の今日は、論文を書いた連中が「20分で読み上げは無理」と気付いたのか、混乱なく進んだ。
今後もこれで行くのなら、論文は論文として別途書いていただき、会合ではそれを再度20分にまとめたものを読んでね、という風な要綱が望ましいだろう。なにしろ今回の指示は「20分で読める分量、原稿で言うと~の体裁で~くらい」とあって、私も含めた多くの人はこのコンマの後半部分を重視し、その量を書けば20分で読めるのだね、と勘違いしていたのに違いない。
前日か当日に朗読してはじめて40分かかることに気付いた!みたいな。
さらに、パネル1の直後、招待格のヨーロッパ人研究者がコメントを求められた。このときも、あれっ、今回は本当のパネル式で行くのね、いいこと、いいこと、と思って見守ったのだが、会場には緊迫感が走った。
そう、この種の学会、話しっぱなしで終わりが多いのです。
それをやめようという意気込みやよし、と思ったのだが、これがわりと手厳しい方で、ペルー人2人の最初の発表を全否定するような発言をされた。これに彼らが憤り、なんというか、大変なことになりかけたのです。
学術的論争と言えば聞こえはいいが、文学ではなかなかそこまではならない。だから余計な批判はしない、という空気が醸成されることが多い。
それに、こういう国を越えた集まりには、いろいろな対立の構図がある。当然ながら、ペルー人の国民的作家を、研究という文脈で「誰が領有するのか」という一種の縄張り意識がある。いっぽうにはペルー国内のある種のナショナリズムがあり、いっぽうにはヨーロッパを中心とするより普遍的な文脈での言説がある。そこに絡んでくるのが先行研究をめぐる立場の相違で、国籍を問わずに蓄積している先行研究リソースに依拠しがちなのはインターナショナル派だ。いっぽう、そういうものを重視せず、眼前の学生に対する教育を前提に「自分がこの詩と取り組んできたすべてを吐露」するのがナショナル派の傾向である。
常識的に考えて、昨今の研究者が目指すべきは、インターナショナル派だと思う。いっぽうで、せっかくペルーを舞台にこういう場を設けるのであれば、ナショナル派の見解にも真摯に耳を傾け、それがどういう文脈で生まれてきた言説なのかアレコレ聞いてみる、というのもありかな、と思う。
だがそうはいかない。
主催側はインターナショナルをお客様扱いなので、地元の研究者はどこか居心地が悪そうだ。しかも今回は国立サンマルコス大。発表者の多くはこの国立大で何十年も教鞭をとっておられるベテランの先生が目立った。
そういう先生方のお話には、正直、聞いていて、それはあなたの教室で学生向けにやってくださいよ、というレベルのものもあったことは否定できない。
学生相手型の発表には二つのタイプが見られた。これ、日本の大学の先生にも当てはまりますかね。
ひとつは自己陶酔型。正直申し上げてなにひとつ新しいことは言ってないし、先行研究も驚くほど無視している(か古すぎる)のだが、自分でこれという世界をつくっていて、それを滔々と語りつくす。けっこう沈黙が多かったり、あれ、涙ぐんでます?みたいな場面もあったり、俳優並みの声を誇る人が多かった。なにかを言うたびに「でしょ?」「でしょ?」と連呼する人もいた。「いいや」と反応されたらどうするつもりなのか。
ふたつめは圧迫型で、若い人に目立つ。とにかく声がでかい。声で制圧する感じ。無理筋の議論をしていても、これこれこうだから、当然こうですよね、はい次いきます!みたいな感じでたたみかけられると、なんだかわからんがそうなのか、と納得する学生もいるのかもしれない。自分の知性を自分で疑っている感じがまるでなく、むしろセールスマンか新興宗教教祖に衣替えしたほうがいいのでは、とすら思わせる。
あくまで推測だが、これは国立サンマルコス大文学部の古き善き伝統なのかもしれない。ベテランは自分の文学観を熱く語り、若手は学生を手なずけるべく大声で自説を主張する。そういう風土なのかもしれない。だったらヨーロッパ人のごりごり文献学畑の人や、アメリカのスマートな文学理論系の人も、彼らにとってはダメなのかなと。現に、サンマルコス関係者は、発表が終わるとそそくさと帰ってしまっていた。
私はといえば、国籍や大学を問わず(というか、むしろ人間関係全般で)圧迫型の人が生理的にダメで、途中で聞くに耐えず何度か会場を抜け出した。いっぽう、自己陶酔型の人は、実はそう嫌いではない。現に、私が若いころは、こういう先生はけっこう日本にもいて、学会方面はいざ知らず、教室内では多くの学生から慕われていたのではなかろうか。今回も、この種の先生が話すときには、ゼミ生と思しき熱心な学生がきてひとりで拍手したりしていた。
パネル1ではそういう自己陶酔型の先生が二人とも槍玉に挙げられ、険悪なムードになった末に、その時間で30分ほどが消費され、私のパネルも含めて「何時になるんだ」と不安になったのです。
結局、異例の中断の末、コメントはもうしない(従来型の)方向に修正され、その面白いヨーロッパ人の先生は黙って聞いているだけになってしまった。私はこのとき休憩時間に廊下で批判された発表者とすれ違ったのだが、久々に「年寄りの憤懣やるかたない表情」を目の当たりに。
その後はフツウに進み、私のパネルのときはケチュア語系の発表者二人がどちらも欠席(敵前逃亡とも言いますが)で、次のパネルもひとり欠席、結局私はサンマルコス大図書館長の「1910年代のグラフ紙とバジェホの文化吸収」というわりと文献型のコアな発表の前座にさせられた。

(2019.7.16. リマ、サンマルコス大のシンポにて)
先ほどのヨーロッパ人の先生に「翻訳にまつわるアネクドートが何の学問か?」と問われたときの返事も用意しておいたが、要らなかった。
ちなみに私がバジェホ『黒衣の使者ども』日本語版について話したのは大きく4点で、1.一部に文語調を取り入れた理由、2.男性主格人称で4種類の日本語を使い分けた結果判明したこと、3.ケチュア語や特定のスペイン語の異化効果を出すべくルビを使用したこと、4.宮沢賢治との比較。
初日はそのままディナーになったので、先ほどのヨーロッパ人に翻訳を進呈すると、杖をついて悪い脚を気にもせず立ち上がり「どうかハグさせてくれ」と社交していただき、なんだか面映かったです。むしろ罵ってくれたほうが私はよかったんですけどね。
なお査読の件、結局どうだったかというと、査読の前に論文のアップロードそのものをできなかった人が続出したらしく(顔を思い返せば、あの人とあの人とあの人か…となんとなくわかる)、また、単なる読み上げ原稿に査読とはなにか!と憤る人も続出したらしく、要は査読体制を築く前の段階で話が滞っていたらしい。HPの自動システムで「査読の期限は切れました」という知らせを確認するたびに、俺の書いたものは査読にも値しない論文と思われたのか…と勝手に落ち込んでいたが、そうではなかったとのこと。
まだ編集中ですって!
アクタスのように今日お渡しすることはできないが10月にトルヒージョの学会で渡すから許して、と言われたが、10月に南米なんて来ないし。
えらそーなことは言えないが、厳密な論文集にするなら別途ピアレビュー体制を築く、単なるアクタスなら査読は主催者側のチェック程度で、というのが常識的なのでは。滔々と朗読する先生や、考え込みながら面白い話をする先生を排除して、そのまま投稿できそうな論文原稿を超早口で読み上げて、他の人の話も聞かずにすぐ帰るやつばかりになるのなら、あまりに面白くない。
学術論文はいまやオンライン公開が当たり前。お土産にもらうアクタスとは位置づけが違う。アクタスを学問的業績とみなさず、単なる「記念品」くらいに位置づけておけばよいのでは。
さて二日目も無事終了。
いちおうミッション終了。
ひとつ印象深い出会いが別にあったので、ここで簡単に紹介しておこう。
発表後、主催者側の名誉職的な副長、法曹界の大物に呼び止められ、私が話した賢治の「無声慟哭」はスペイン語で読めるのか、と問いかけられた。たしか二年前に出た翻訳アンソロジーに入っているはずなので~を介して私がお届けしますよ、と答えると、なんだか暗い顔で礼を言われた。
そして今日、ご本人も発表をされ、ちなみにそれはバジェホの法学部時代の法意識という、いかにもご職業柄のお話だった。また、最後の閉会式に、名誉職としてスピーチをされた。それがとてもいいスピーチだった。この二日で聞いたいちばんいい話だった。それはバジェホの代名詞ともいえる「生に打撃ありて……」という詩にちなんだもので、生きているかぎり、人にはどうしようもない苦難がある、愛する人に去られる、戦争に巻き込まれる……というふうに、日常から世界の様々な歴史的事件に至るまで、ありとあらゆる種類の災厄を列挙していくもので、思わず会場が静まり返った。
あとで酒の席での立ち話でおひとりのところを見つけて話しかけた。先ほどのお話はとても感動しました、というと、発表か閉会式のスピーチかどちらかね、と問い返されたので、こりゃまずい!、スピーチだって言ったら発表はしょうもなかったっていう風に解釈されるぞ、と焦ったが、まあ、相手は法曹界の大物だしここは正直に、と思い直して、私は法律のことは分かりませんがご発表も面白く聞きました、しかしスピーチは面白いというのではなく胸を揺さぶられました、と言ってみた。
すると彼はしばらくこっちを見つめてから、あることを語ってくれた。それはここでは明かせないが、彼が賢治の詩を読みたい理由は分かった。
その後、彼が数台の護衛つきの黒塗り車で帰宅するのを、私は遠くから見守った。今回何時間もかけて聞いた発表もいつかは忘れるだろう。でも彼の話だけは忘れない気がする。
ところでペルーの若者。
二日目も何人か声をかけてきてくれて、またアリバイ作りか、と少々なめてかかっていたのだが、その話は切実なものだった。ある北部の町から来た青年は、日本の文学に興味がある、アニメとかのレベルはもう嫌で、ちゃんとした小説が読みたい、という。日本語は、と尋ねると、顔をゆがめたので、とりあえず翻訳を読んでみたら、と答えたら、うちの大学は田舎過ぎて本がない、アマゾンとかも使い方がよく分からないし、うっかり頼むと送料がものすごいかかるらしい、と言う。
彼はムラカミじゃなくエドガーランポーの短編が読みたいという。どこかで短編を読んですっかり好きになり、それ以来探しているが、アメリカの同じような名前の人のばかりで日本のランポーはまるでないのだ、と残念そうな顔になった。
通っている大学の図書館に、今どきの大学図書館で世界文学のエドガーランポーを置いてないのは恥ずかしい、と日本の学者が言っていた、スペイン語版がなければとりあえず英語版を購入せよ、とシツコク頼んでみてはどうだろう、と無責任なことを言ってその場は逃れたが、そんな発言にも「ありがとう」と礼を言われて、ものすごく後ろめたい気持ちに。
もうアマゾンでいいや。
と私は思っていたが、読みたいものが読めない、という状況の若者のほうが、実は世界的には多数派であろう。
クールジャパンとかアホを垂れ流しているあいだ、世界の若者は、そういうパチモンもいいけど、本物っぽいものにも触れたいと願い始めている。そういう願いに私らはどれだけ応えているのか。
研究者たちを遠巻きに見ていた遠慮深そうな学生たちは、昔の私たちだったのかもしれないのに、それを「アリバイ作りの面倒な奴ら」と一瞬でも思った自分のことが心から恥ずかしくなった。彼には名刺を渡してあるから、連絡があれば江戸川乱歩の英語版を私が送ってあげることにしよう。

(2019.7.16. リマ、サンイシドロのガーデンホテルにて)