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Crónica de los mudos

現代スペイン語圏文学の最新情報
スペイン・米国・ラテンアメリカ
小説からグラフィックノベルまで

コムニタス書店

2019-07-19 | アンデス圏

 最終日、いつものようにホルへと食事に出かけることになった。リマ中に増えているチファ、ペルー風の(形容詞でクリオージョという)中華料理の店でアヒルとチキンと野菜の鉄板焼きを食べつつあれこれ聞いたこと。

 1)ベネズエラ人移住者が急増した結果、ペルー代表の野球アマチュアチームが急に強くなり、飲食店など接待業の質が急に上がった。タクシー運転手などは治安の悪化をベネズエラ人のせいにしていたが、デマに近かった模様。

 2)中国との関係が急速に密接になっている。ビジネスレベルで言えば日本企業のプレゼンスは super menor ということだった。カトリカ大の孔子学院を中心に中国語学習熱と中国留学希望者が急増中、中国におけるラテンアメリカ文学研究者も急増中とのこと。彼らがいっせいにスペイン語や英語で書き始めたらいよいよ私ら(スペイン語文学の論文を日本語で書いて日本人にだけ発信している学者)はガラパゴス化しますかね。

 3)リマの和食ブームは和食というよりニッケイ料理になりつつある。これはたしかにその通りと思いました。刺身は tiradito というのだが、盛り方は刺身でもそこに風変わりなソースがかかっていて、醤油はつかわない。焼き飯(arroz chaufa)という名のご飯はどちらかと言うと「しいたけの入ったおこわをエスニック風味で焼いた」感じで、とても美味しかった。正しい和食、とかいう下らんセセコマシイ足枷などはなからガン無視、まるで新しい料理のジャンルが生まれつつあるよう。ペルーでは昔からある伝統的なフュージョンに過ぎない。

 4)プリンセス・マコは可愛い。

 彼と別れて午後は本屋へ。

 今回は半日しかないので、サンイシドロのクリソル書店でウオーミング・アップをした後、一軒だけピンポイントで訪問した。

 サンイシドロのコムニタス

ペルーの本屋全般にある品不足感が見えない稀有な店。1階はカウンター前のホールを囲む壁に4種類の店員セレクト。歴史書は古代ギリシャから現代ラテンアメリカまでを含むおよそ30冊。サイエンスは理工学系の専門書から子供向けの啓蒙書まで。文学はスペイン語圏と翻訳を散りばめ、スペイン語圏ではマヌエル・ビラスやサマンタ・シュウェブリンが目立つところに。面白かったのは「世界のルポルタージュ」という壁で、私はここでミチコ・カクタニ『真実の終わり』スペイン語版(日本語版も大阪の書店で売ってます)と佐々木孝『原発禍を生きる』スペイン語版を買った。佐々木孝先生には旧ブログの感想をメールでいただいたことがあり、面識もない私にとっても特別な先輩の一人。

 このホールから左右に伸びている翼の部分は文学、右がペルー、左がそれ以外。ペルーのところでバルガス・リョサのアルゲーダス論が再版されていることに気付き購入、エイエルソンやブランカ・バレーラの詩の本を10冊ほど、各種研究書を数冊。小説はレナート・シスネロスが売り出されているが私は未読。

 このほかのエリアには哲学、政治、歴史といった文系諸学の専門書が強くて、一時代前の古きよき旭屋書店を想起させた。

 いっぽう2階は充実のラインアップ。まずはミステリ、ホラー、SFだけの部屋がある。これはありがたいだろう。SFの棚、どれどれ、と思っていちおう見たが、相変わらずのテイタラクでちょっとがっかり。もうアシモフ、ブラッドベリはいいからさ。チャイナ・ミエヴィルとケン・リュウがあるのがまだしもの救い、あとレムもほとんどスペイン語になっている模様。それにしてもニーヴン&パーネル『神の目の小さな塵』が新刊書みたいに宣伝されているのは残念。

 続くエリアはコミック。日本のコミックの翻訳事情、私は知りませんけど、こういうところが他の書物のエリアに混じっていることが大事で、最初はコミックで育った子どもが活字本に移動するという空間を用意している書店はどんな町にも必要なはず。

 その横の狭いエリアはグラフィックノベル。同じサンイシドロにあるスール書店にもグラフィックノベルのエリアがある。思わず30冊ほど買いそうになったが、あれらの本は重すぎるので断念、表紙の感じだけ記憶に留めておいた。

 結局2万相当の買いものをし、8ソル(240円程度)のトートバッグ二つで持ち帰ることに。閑静な住宅街で拾ったタクシー運転手が「この町は頭痛の種だ」というので、なぜ?と尋ねたら、どこからどう走っても結局はハビエル・プラドに出るから、とのこと。

 リマ名物渋滞のメッカ、ハビエル・プラド大通り。しばらく見ることもないと思い、よ~く目に焼き付けておくことに。早く鉄道走らせたほうがいいと思うのですけどね。

(2019.7.19.AM1:05. リマ、ホルヘ・チャベス空港にて)

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縁ではなく

2019-07-18 | アンデス圏

 今日は日秘会館を訪問し、図書室にバジェホの翻訳を数冊贈呈して(=むりやりおしつけて)きました。ついでにインタビューも受け、職員の若い女性とラテンアメリカ文学の話をするうち、ちかごろは女性作家の躍進が目立つがどうお考えか、という質問によどみなく答えることができ、しかも彼女の同意も得られて嬉しかった。この種の話、私が大阪やリマでしたところで、生産性を欠く(=日本で具体的な仕事に発展しない)という意味ではなんの意味もないのだが、私のような仕事は、本にせよ人にせよ、当座は生産性のないもの、すぐには結果のでないものを大切にしていたほうがいいような気もする。

 こちらに来る前は、そういうことを忘れかけていたのかもしれない。もうアマゾンだけでいいというニヒリズムを振り払うためにも、やはり定期的に南米には来たほうがいいのかも。もうやめようと思ってたのに。

 会館ではもうひとりのレディに案内されたが、話しているうち彼女がアウグスト・ヒガでカトリカ大に博論を出していることがわかり、その作家なら数年前に自分が指導した学生が卒論を書いている、という話になり盛り上がり。日本語は分からないが読んでみたい、と彼女がいうのでコピーを送る約束をしてしまいました。卒論は提出時に「公開可」にサインする仕組みになっているから、いまどこでなにをされているかわかりませんが、その卒業生も許してくれると思う。

 そのあと日系文学の話になり、これからきちんと読むことにする、と、これまた成り行きで約束してしまった。私は日系人の文学を積極的に紹介する義務を感じてはいないが、バルガス・リョサ以外、というカテゴリーに入るペルー文学の一部として向き合う必要はあると考えている。

 昨日までのイベントの人脈についても痛感したのだが、人の対他関係には、縁という非常に脆弱な関係性とは別の次元で「恩」という関係性もあるようだ。

 恩といっても恩師とかじゃない。

 恩という語がウェットすぎるなら、なにかを「借りたままいる不安感」とでもいうべきもの。文学系の知は、先人の研究の積み重ねを後世につないでいくのは当然ながら、私たちが決して触れることのない膨大な量のアンダーグラウンドの表現者、あるいは私たちが普通にアクセスしている活字リソースに近づくことすらできない人たちの欲望も含め、自分が専門家としてカヴァーし切れていない領域に対する一種の負い目を自覚することで成立しているのかもしれない。

 というのは綺麗ごと。

 昨日のイベントのあと次回開催地の話になって、とりあえず来年10月はニューヨーク市立大での開催が決定している。続いて2022年は『トリルセ』刊行百周年イベント(やっぱりそれね!)をステファン・ハートのいるロンドン大で実施することも決まっている。来るよな?と脅され、いや勧められ、はあ、とか言ってるうちに、彼らは勝手に2024年度の開催地の話を始め、嫌な予感がした私とアルゼンチンからきているUBAの研究者は少し離れて壁を向いてワインを飲み始めたのだが、案の定(すでに酔った奴らの)嬌声が飛んできて「ブエノスアイレスかトキオはどうだ!」と盛り上がっている。

 いや、だから自分はトキオではなくオサーカという、カルチャーのカの字もない、さしずめペルーでいえばチンボテかピウラみたいな辺境の没落都市に住んでいるのだ、日本のアカデミズムには友だちもあまりいないし、もともと単独行動派なので組織力もなく、職場の大学ではただの語学屋さんである、無理に決まってるでしょ、と一連のスペイン語を考えているうち(こっちの話なんて聞く雰囲気じゃない皆さんが)東京の寿司屋の話で盛り上がりだしたので、UBAの彼に「5年後にそっちでサーロインステーキ食おうな」と言い残して退散してきたのだが、かなり不安。

 他者に恩を返すと言えばカッコいいが、その実態は共同体への義理を返すとかいう血も涙もない話だったりして。ああ血判状。

 今度で終わりどころか、なんだか怪しげな雲行きになってきたけれど、来年のニューヨークと次のロンドン、まあ、行ってもいいかな。行く義理があるような気がしてきた。日本開催は能力的に無理と説得するつもりですけど……。

 そういえば、その飲み会で聞いたのだが、今週土曜、つまり私が機上の人となっている19日からリマでブックフェアが始まるらしい。なんと御大マリオ・バルガス・リョサが主賓。文豪はいま故郷のアレキパに帰省中、19日の開催に合わせてリマに戻るらしく、ヨーロッパから来ていた研究者にお前もいっしょに会いに行こうと言われ、いやもう帰ります、切符あるんで、と答えて呆れられた。

 だって知らなかったし。

 25日は大阪にいなあかんし。

 それでも。むむむむむ。

 やっと会える貴重なチャンスを。

 彼とは「縁」がなかったのね。

 すれ違いといえばもうひとり。

 そう、日秘会館、先週うちの国のプリンセスがご訪問されたのです。こちらももうお発ちで、いまはボリビアにおられるそう。

 今日は、元同僚で、いまはこちらで暮らしているMさんご夫婦にミラフローレスのマツエイでランチをご馳走になった。そこでもプリンセスの話になり、日本であんなゴシップで騒がれて可愛そうだ、こちらでは人種を問わずオジサンを中心にファンが急増中だ、まだお若いのに、好きにさせてあげればいいのに、という話になり。

 彼女とも「縁」は……ないわね。

 それでも私はあの「生きる伝説+ノーベル賞作家+面倒なオジサン」に活字を通して数え切れないほどの恩をすでに抱えこんでいるし、また、好き勝手に生きることすら難しそうな彼女にも、なんだか勝手に後ろめたいものを感じてしまっている。

 縁などなくともかまわない。

 そう考えると少しスッキリ。

(2019.7.16. 4枚とも:リマ中心街の食堂『我らのパン』)

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自分が恥ずかしい

2019-07-17 | アンデス圏

(2019.7.16.リマ中心街サンマルコス大旧校内にて)

 二日目の朝、地方から来ている学生からいっしょの記念撮影を頼まれたが…という話をペルー人の学者にしたら、それはきっと彼らの大学の教師が「イベントに行った証拠」として求めているのでは、と聞いてがっかり。でも、本当はそうじゃなかったことが夜中にわかって、今は少し複雑な気持ちかも。最後まで読んでいただければわかります。

 昨日のパネル1であったこと。

 まずは原稿と口頭発表のズレ。

 こうした学会の場合、前もって原稿を出せと要求され、それがそのまま印刷された公式報告書(アクタス)がイベント当日に渡される。アクタスは立派な業績に転用できそうだが、しょせんは発表原稿、実は論文でなくてもいい。いろいろなアクタスを見ていると、きちんと論文として完成しているものもあれば、ただの「読みあげ用の文章」にすぎないものもあって、書きぶりはバラバラ。

 業績のいる若手は論文の体裁を整えがちだが、ベテランは思いついたことをメモ書きしているだけの人も。

 ところが今回、主催者側が、諸事情から単なるアクタスではないきちんとした学術誌の体裁をとることに決めたらしい。私も応募の際にその事情を記した文章に加え、1.査読が入る、2.文献の記述などフォーマットがある、3.オンライン公開するので米国の研究者登録サイトに登録する必要がある、4.投稿はメール添付ではなく主催側HPにアップロード形式で、5.以上の事情から締め切り厳守(泣いても許さない)、といった要綱があるのを見て、あれっ、これって発表原稿じゃなく、要するに研究誌に衣替えをしたんだ、と結論してけっこう焦った。

 今回の発表、すべて聞いたが、論文化した人と従来型の単なる原稿の人の区別が簡単についた。論文を書いた人は分量が自然と長くなっているので、20分以内に終わらず、オーバーする人が続出した。いっぽう、読み上げ原稿を書いた人は、ゆっくり朗読して時間通りに終わっていた。

 書く文体と読む文体はまるで違う。たとえばバジェホという固有名は朗読では何度繰り返してもいい。しかし論文では「このサンティアゴ生まれの詩家」だの「我らの詩人」だの、言い換えていくのが普通。そういう書き言葉チックな文体をそのまま読んでいる人は、目を原稿からあげない。最初から朗読型の原稿を書いた人は、間を取る際に、必ず聴衆を見る。

 私は渡航前に気付いたので、書いた論文を大幅に削る形で読みあげを用意し、文体も朗読用にある程度平易なものにした。さらに前夜にホテルで(つまりここで)直前にオーバー続出した場合に備えて15分用のヴァージョンまで用意しておいた。日本語ならその場でできるが、なにしろスペイン語なので、あー、とか、うー、とか言ってる間に終わってしまう。

 二日目の今日は、論文を書いた連中が「20分で読み上げは無理」と気付いたのか、混乱なく進んだ。

 今後もこれで行くのなら、論文は論文として別途書いていただき、会合ではそれを再度20分にまとめたものを読んでね、という風な要綱が望ましいだろう。なにしろ今回の指示は「20分で読める分量、原稿で言うと~の体裁で~くらい」とあって、私も含めた多くの人はこのコンマの後半部分を重視し、その量を書けば20分で読めるのだね、と勘違いしていたのに違いない。

 前日か当日に朗読してはじめて40分かかることに気付いた!みたいな。

 さらに、パネル1の直後、招待格のヨーロッパ人研究者がコメントを求められた。このときも、あれっ、今回は本当のパネル式で行くのね、いいこと、いいこと、と思って見守ったのだが、会場には緊迫感が走った。

 そう、この種の学会、話しっぱなしで終わりが多いのです。

 それをやめようという意気込みやよし、と思ったのだが、これがわりと手厳しい方で、ペルー人2人の最初の発表を全否定するような発言をされた。これに彼らが憤り、なんというか、大変なことになりかけたのです。

 学術的論争と言えば聞こえはいいが、文学ではなかなかそこまではならない。だから余計な批判はしない、という空気が醸成されることが多い。

 それに、こういう国を越えた集まりには、いろいろな対立の構図がある。当然ながら、ペルー人の国民的作家を、研究という文脈で「誰が領有するのか」という一種の縄張り意識がある。いっぽうにはペルー国内のある種のナショナリズムがあり、いっぽうにはヨーロッパを中心とするより普遍的な文脈での言説がある。そこに絡んでくるのが先行研究をめぐる立場の相違で、国籍を問わずに蓄積している先行研究リソースに依拠しがちなのはインターナショナル派だ。いっぽう、そういうものを重視せず、眼前の学生に対する教育を前提に「自分がこの詩と取り組んできたすべてを吐露」するのがナショナル派の傾向である。

 常識的に考えて、昨今の研究者が目指すべきは、インターナショナル派だと思う。いっぽうで、せっかくペルーを舞台にこういう場を設けるのであれば、ナショナル派の見解にも真摯に耳を傾け、それがどういう文脈で生まれてきた言説なのかアレコレ聞いてみる、というのもありかな、と思う。

 だがそうはいかない。

 主催側はインターナショナルをお客様扱いなので、地元の研究者はどこか居心地が悪そうだ。しかも今回は国立サンマルコス大。発表者の多くはこの国立大で何十年も教鞭をとっておられるベテランの先生が目立った。

 そういう先生方のお話には、正直、聞いていて、それはあなたの教室で学生向けにやってくださいよ、というレベルのものもあったことは否定できない。

 学生相手型の発表には二つのタイプが見られた。これ、日本の大学の先生にも当てはまりますかね。

 ひとつは自己陶酔型。正直申し上げてなにひとつ新しいことは言ってないし、先行研究も驚くほど無視している(か古すぎる)のだが、自分でこれという世界をつくっていて、それを滔々と語りつくす。けっこう沈黙が多かったり、あれ、涙ぐんでます?みたいな場面もあったり、俳優並みの声を誇る人が多かった。なにかを言うたびに「でしょ?」「でしょ?」と連呼する人もいた。「いいや」と反応されたらどうするつもりなのか。

 ふたつめは圧迫型で、若い人に目立つ。とにかく声がでかい。声で制圧する感じ。無理筋の議論をしていても、これこれこうだから、当然こうですよね、はい次いきます!みたいな感じでたたみかけられると、なんだかわからんがそうなのか、と納得する学生もいるのかもしれない。自分の知性を自分で疑っている感じがまるでなく、むしろセールスマンか新興宗教教祖に衣替えしたほうがいいのでは、とすら思わせる。

 あくまで推測だが、これは国立サンマルコス大文学部の古き善き伝統なのかもしれない。ベテランは自分の文学観を熱く語り、若手は学生を手なずけるべく大声で自説を主張する。そういう風土なのかもしれない。だったらヨーロッパ人のごりごり文献学畑の人や、アメリカのスマートな文学理論系の人も、彼らにとってはダメなのかなと。現に、サンマルコス関係者は、発表が終わるとそそくさと帰ってしまっていた。

 私はといえば、国籍や大学を問わず(というか、むしろ人間関係全般で)圧迫型の人が生理的にダメで、途中で聞くに耐えず何度か会場を抜け出した。いっぽう、自己陶酔型の人は、実はそう嫌いではない。現に、私が若いころは、こういう先生はけっこう日本にもいて、学会方面はいざ知らず、教室内では多くの学生から慕われていたのではなかろうか。今回も、この種の先生が話すときには、ゼミ生と思しき熱心な学生がきてひとりで拍手したりしていた。

 パネル1ではそういう自己陶酔型の先生が二人とも槍玉に挙げられ、険悪なムードになった末に、その時間で30分ほどが消費され、私のパネルも含めて「何時になるんだ」と不安になったのです。

 結局、異例の中断の末、コメントはもうしない(従来型の)方向に修正され、その面白いヨーロッパ人の先生は黙って聞いているだけになってしまった。私はこのとき休憩時間に廊下で批判された発表者とすれ違ったのだが、久々に「年寄りの憤懣やるかたない表情」を目の当たりに。

 その後はフツウに進み、私のパネルのときはケチュア語系の発表者二人がどちらも欠席(敵前逃亡とも言いますが)で、次のパネルもひとり欠席、結局私はサンマルコス大図書館長の「1910年代のグラフ紙とバジェホの文化吸収」というわりと文献型のコアな発表の前座にさせられた。

(2019.7.16. リマ、サンマルコス大のシンポにて)

 先ほどのヨーロッパ人の先生に「翻訳にまつわるアネクドートが何の学問か?」と問われたときの返事も用意しておいたが、要らなかった。

 ちなみに私がバジェホ『黒衣の使者ども』日本語版について話したのは大きく4点で、1.一部に文語調を取り入れた理由、2.男性主格人称で4種類の日本語を使い分けた結果判明したこと、3.ケチュア語や特定のスペイン語の異化効果を出すべくルビを使用したこと、4.宮沢賢治との比較。

 初日はそのままディナーになったので、先ほどのヨーロッパ人に翻訳を進呈すると、杖をついて悪い脚を気にもせず立ち上がり「どうかハグさせてくれ」と社交していただき、なんだか面映かったです。むしろ罵ってくれたほうが私はよかったんですけどね。

 なお査読の件、結局どうだったかというと、査読の前に論文のアップロードそのものをできなかった人が続出したらしく(顔を思い返せば、あの人とあの人とあの人か…となんとなくわかる)、また、単なる読み上げ原稿に査読とはなにか!と憤る人も続出したらしく、要は査読体制を築く前の段階で話が滞っていたらしい。HPの自動システムで「査読の期限は切れました」という知らせを確認するたびに、俺の書いたものは査読にも値しない論文と思われたのか…と勝手に落ち込んでいたが、そうではなかったとのこと。

 まだ編集中ですって!

 アクタスのように今日お渡しすることはできないが10月にトルヒージョの学会で渡すから許して、と言われたが、10月に南米なんて来ないし。

 えらそーなことは言えないが、厳密な論文集にするなら別途ピアレビュー体制を築く、単なるアクタスなら査読は主催者側のチェック程度で、というのが常識的なのでは。滔々と朗読する先生や、考え込みながら面白い話をする先生を排除して、そのまま投稿できそうな論文原稿を超早口で読み上げて、他の人の話も聞かずにすぐ帰るやつばかりになるのなら、あまりに面白くない。

 学術論文はいまやオンライン公開が当たり前。お土産にもらうアクタスとは位置づけが違う。アクタスを学問的業績とみなさず、単なる「記念品」くらいに位置づけておけばよいのでは。

 さて二日目も無事終了。

 いちおうミッション終了。

 ひとつ印象深い出会いが別にあったので、ここで簡単に紹介しておこう。

 発表後、主催者側の名誉職的な副長、法曹界の大物に呼び止められ、私が話した賢治の「無声慟哭」はスペイン語で読めるのか、と問いかけられた。たしか二年前に出た翻訳アンソロジーに入っているはずなので~を介して私がお届けしますよ、と答えると、なんだか暗い顔で礼を言われた。

 そして今日、ご本人も発表をされ、ちなみにそれはバジェホの法学部時代の法意識という、いかにもご職業柄のお話だった。また、最後の閉会式に、名誉職としてスピーチをされた。それがとてもいいスピーチだった。この二日で聞いたいちばんいい話だった。それはバジェホの代名詞ともいえる「生に打撃ありて……」という詩にちなんだもので、生きているかぎり、人にはどうしようもない苦難がある、愛する人に去られる、戦争に巻き込まれる……というふうに、日常から世界の様々な歴史的事件に至るまで、ありとあらゆる種類の災厄を列挙していくもので、思わず会場が静まり返った。

 あとで酒の席での立ち話でおひとりのところを見つけて話しかけた。先ほどのお話はとても感動しました、というと、発表か閉会式のスピーチかどちらかね、と問い返されたので、こりゃまずい!、スピーチだって言ったら発表はしょうもなかったっていう風に解釈されるぞ、と焦ったが、まあ、相手は法曹界の大物だしここは正直に、と思い直して、私は法律のことは分かりませんがご発表も面白く聞きました、しかしスピーチは面白いというのではなく胸を揺さぶられました、と言ってみた。

 すると彼はしばらくこっちを見つめてから、あることを語ってくれた。それはここでは明かせないが、彼が賢治の詩を読みたい理由は分かった。

 その後、彼が数台の護衛つきの黒塗り車で帰宅するのを、私は遠くから見守った。今回何時間もかけて聞いた発表もいつかは忘れるだろう。でも彼の話だけは忘れない気がする。

 ところでペルーの若者。

 二日目も何人か声をかけてきてくれて、またアリバイ作りか、と少々なめてかかっていたのだが、その話は切実なものだった。ある北部の町から来た青年は、日本の文学に興味がある、アニメとかのレベルはもう嫌で、ちゃんとした小説が読みたい、という。日本語は、と尋ねると、顔をゆがめたので、とりあえず翻訳を読んでみたら、と答えたら、うちの大学は田舎過ぎて本がない、アマゾンとかも使い方がよく分からないし、うっかり頼むと送料がものすごいかかるらしい、と言う。

 彼はムラカミじゃなくエドガーランポーの短編が読みたいという。どこかで短編を読んですっかり好きになり、それ以来探しているが、アメリカの同じような名前の人のばかりで日本のランポーはまるでないのだ、と残念そうな顔になった。

 通っている大学の図書館に、今どきの大学図書館で世界文学のエドガーランポーを置いてないのは恥ずかしい、と日本の学者が言っていた、スペイン語版がなければとりあえず英語版を購入せよ、とシツコク頼んでみてはどうだろう、と無責任なことを言ってその場は逃れたが、そんな発言にも「ありがとう」と礼を言われて、ものすごく後ろめたい気持ちに。

 もうアマゾンでいいや。

 と私は思っていたが、読みたいものが読めない、という状況の若者のほうが、実は世界的には多数派であろう。

 クールジャパンとかアホを垂れ流しているあいだ、世界の若者は、そういうパチモンもいいけど、本物っぽいものにも触れたいと願い始めている。そういう願いに私らはどれだけ応えているのか。

 研究者たちを遠巻きに見ていた遠慮深そうな学生たちは、昔の私たちだったのかもしれないのに、それを「アリバイ作りの面倒な奴ら」と一瞬でも思った自分のことが心から恥ずかしくなった。彼には名刺を渡してあるから、連絡があれば江戸川乱歩の英語版を私が送ってあげることにしよう。

(2019.7.16. リマ、サンイシドロのガーデンホテルにて)

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いっしょに撮ってもいいですか?

2019-07-16 | アンデス圏

 地面は濡れているのに傘は要らないリマの冬。部屋のなかのほうが寒い。毛布だけでは骨身にしみるので、ひさしぶりにエアコンをかけて寝ました。若いときには震えながらでも寝たものですけど。

 ペルーのケーブルテレビはNHKをがっつりやっていて、朝につけるとちょうど前日夜9時のニュースを見られるのだが、隣国との関係に関する報道がますます大本営化しているようで、まるでディストピアもののSF映画みたい。私はちかごろ全国版のニュースになると(つまり朝の7時前になると地方版の牛田アナに別れを告げて)自動的にBSの国際報道に切り替えることにしているのだが、たまに見るとつい「怖いもの見たさ」で凝視してしまって。これ、仮に、なんとなく組織的にやらされてる、のだとしても、ここの局員の皆さんも、あるいは全国のお役人の皆さんも、けっこう大変ですよね。精神的に。あるいは、それを大変と思わず、嬉々としてご奉仕する人だけが出世する仕組みになっているのでしょうか。いずれにしてもグッドラック。

 学会初日、なんとか終了。

 12時にサンマルコス大の中央図書館に集合と言われタクシーに。5年ぶりのホルヘ・キシモトは貫禄が増していて、思わず「儲かってまんな」と言いそうに。彼はいわゆる文書屋。職業的にはなんの関係もないことをしているのだが、趣味でマニアックな資料収集を続けていて、それを希望する研究者に提供するという立場にある。

(2019.7.15.リマ中心街にて)

 とりあえずその図書館で始まった特別展のお披露目にお付き合いし、その後は皆さん仲良くバスでセントロまで移動、大学広場という、サンマルコス大が昔あった場所へ。旧校舎、実は入るのは初めてで、とてもよかったです。

(2019.7.15.リマ中心街、大学広場にて)

 この旧校舎内の広場を利用したレストランでランチ。とりあえず全員に挨拶をし、たまたま同席した旧知のアルゼンチン人と、サンマルコス出身者の研究者リタイア組3人と歓談、政治と文学の話を交互にする感じが「南米に来たな~」と思わせる。

 その後にイベントが始まるのだが、場所のホールが天井一面宗教画の教会っぽいところで、けっこうよかったです。

(2019.7.15. サンマルコス大のシンポにて)

 それがなかなか始まらない。

 なにしろ南米ですから。

 時間通り、という感覚がない。

 結局40分遅れでスタート、しかも開会挨拶のゴンサレス・ビヒールが時間を大幅にオーヴァーし、パネルは50分遅れに。リカルド・ゴンサレス・ビヒールは私もかつて講義を聞いたのだが、それから30年、私はオヤジに、先生は初老に。もともとトッチャンボウヤ的な人だったので老けてはいなかったが、ああ、こんな話し方する人だっけ、と、やや遠い目に。

 詩を語るときは熱く語る、先行研究への敬意は忘れない、という、まあごくごくフツウといえばフツウなのだが、一度どこかで体験しておかないと永遠に分からない研究感性を久しぶりに思い返す機会になった(もうそういうことからは卒業しようかなと思いかけていた矢先でしたけど)。

 ところで彼はカトリカ大。今回の舞台はサンマルコス大。この状況を説明するのはとっても難しいのですが、ゴンサレス・ビヒールは講演が終わるとそそくさと帰っていった。ま、こういう「縄張り」をめぐることに、よそ者があれこれ言うべきではないですね。

 私はパネル3。7時開始。

 ところがパネル1が始まった段階で5時半。そしてこのパネル1が紛糾することに。紛糾具合についてはまた明日報告いたしますが、私自身の報告は無事終えることができ、その後、英国の研究者と立ち話をしていたら、地方からたまたま来てもぐりこんでいたという数人の学生に囲まれ「いっしょに記念写真」を求められた。ちかごろ自分が教えている学生からも滅多に近寄られることのないオジサン、ちょっと嬉しくなって、思わず持参していた翻訳をその子らに進呈してしまいました。ペルーのどこへ行くのでしょうかね。

 これから二日目~。

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ガマリエル・チュラタ『黄金の魚』1

2019-06-09 | アンデス圏

 ガマリエル・チュラタは1897年にペルーのチチカカ湖畔の高原都市プーノで生まれた。本名をアルトゥーロ・パブロ・ペラルタ・ミランダといい、父親は代々の家具職人だったらしい。1915年から地元の雑誌など文化発信の場にかかわり、1917年、20歳で政治的トラブルから亡命を余儀なくされ、ボリビアのポトシで1年暮らした。帰国後はボレティン・ティティカカなどラディカルな思想をもつ雑誌にかかわり、リマ(バルデロマール、マリアテギ)やトゥルヒージョ(アヤ・デ・ラ・トーレ)で展開していた政治文化運動とシンクロした。田舎でアヴァンギャルドをしていたのは詩人カルロス・オケンド・デ・アマーにも重なってくる。1932年、35歳のときに再びボリビアへ亡命、以来30年間、ボリビア各地に住み続けた。ヨーロッパに行かず、隣国でインディオ人口の多いボリビアに亡命していたというのが、南米の作家としては珍しい。それ故であろうか、チュラタの文学には、いわゆる「ヨーロッパの洗礼」がない。1957年、代表作である本書『黄金の魚』を刊行し、晩年はペルーに帰国、1967年にリマで死去した。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が刊行され、ラテンアメリカ文学のブームで世界が湧いていたこの年、この奇妙な作家を覚えている人間はペルーでも少なかっただろう。

 上述したように、チュラタの文体に、ヨーロッパ的な洗練はない。近代小説のツールを使いこなせていない、小説家として技術的力量不足。実は、こうした批判は、スペイン語で書かれたインディへニスモ全体に共通する弱点とみなされる。こうした見方は、近代小説のあり方をヨーロッパ型モデルでとらえている論者にとりわけ顕著で、そういう自己形成をしてきたこの私自身、ある程度は内面化している文学観かもしれない。

 思い出すのは、かつてマリオ・バルガス・リョサとホセ・マリア・アルゲーダスを並行して読んだ時のことだ。

 小説のイロハを熟知しているバルガス・リョサに比べて、アルゲーダスの文体のなんと稚拙なことか。それが私の正直な感想だった。ただ、読み進めるうち、そうした稚拙さや、ある種の言い淀みのような無駄から、なにかが伝わってくることも確かなように思えてきた。いっぽうで、近年のバルガス・リョサの小説のなかには、相変わらず語りの巧者ぶりを見せつけるいっぽうで、行間から、あるいは小説の構造全体から伝わってくる何か(初期の3部作にあったなにか熱いマグマのようなもの)がない、と不満に思うこともある。

 小説的な洗練とは何だろう。

 少なくとも客観的基準では測れない。

 チュラタという作家は、ここにもうひとつの視点を与えてくれるのではないだろうか。序文を読み進めているところなのだが、チュラタはここで、読み手に七転八倒を強いる迷宮的に難解な文体で、あるスペイン語作家の「洗練」を徹底的に攻撃している。その作家とは、現代ペルー人の原点ともいえる初代のメスティソ、インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガだ。

 インカ皇統記(もこれから参照していかねばならないのだが)でガルシラソがペルー固有の語、すなわちケチュア語などに関しては別途「注意書き」を必要とするだろう、と述べていることに関してこう述べている。

Advertencia que sólo nos advierten del inadvertimiento del gallardo escritor cuzqueño; pues la manera señorial de advertir a España de las galanuras de su madre, era escribir en su lengua, que es melodiosa y fina, según él como pocos la encarece. (154)

この注意書きはクスコ生まれの堂々たる作家殿(訳注:ガルシラソのこと)の不注意ぶりを我々に注意する。というのも母上(訳注:ガルシラソの母はインカの貴族)の優雅さに関してスペイン(の読者)に注意書きを記すそのご立派な方法とは、彼が類を見ぬほどほめそやす、あの響きの良い洗練された彼自身の言語(訳注:スペイン語)で書くことであったからだ。

 その後もしばらくガルシラソへの怨念を綴る七面倒くさい文が続く。後世の学者による解説文と注釈と語彙集を含むカテドラ版で1020ページになるチュラタの本、文体の特徴は、序文から見る限り、二つある。意図的に洗練されていないスペイン語の文を構築しようとしていること、ケチュア語とアイマラ語を注釈抜きで混在させようとしていること。

 ケチュア語とアイマラ語はそれを研究している学生に調べてもらうことにして、私は難解な珍文を読み解く係。おそらく1000ページを1年で読み切るのは無理だが、あらゆる困難は自分を鍛える好機である、との箴言を信じる者として、授業に彼が来てくれたことを僥倖とみなし、しばらくこの本と付き合ってみることに決めた。リョサ・アルゲーダス問題、インディへニスモの文学的限界説、こうした諸問題に新たな光をあてることができるかもしれない。

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