メッセージ写真と下心のあるいやらしい写真。。。
ピックアップブロガーでもご紹介した tararis 夫妻と話したカメラ談議
我をあらためて考えるシリーズ
メッセージ写真と相反する下心写真
簡単に言えば、作為的写真
ど素人が趣味の範囲で楽しむ写真であり
広告写真ではないので狙う必要は何処にもないのに
見渡せば作為的写真のオンパレード
コレはメッセージ写真であり、関係者のみに伝える写真。。。
ピントが2番目の椅子に合っている事が
最大のポイントであり、メッセージ写真なのです
関係者以外にはどうでもイイ写真なんですけどね
このようなメッセージを込めた写真も鼻につくという時はありますが、
それほどでもありません。。。自己反省はゼロです
それとは相反して、自分の撮影ながらムカつく写真があります
これは軽度のムカつき度ですが嫌な写真です
何か良く見せようと無理している様子が垣間見えるというか。。。
重度のムカつき写真がこちら
自分で撮影しておきながらPC上でそのいやらしさというか、
浅ましさを感じるかなり嫌いな写真です
狙いがミエミエ中尾ミエ的な、
まったく自然な気持ちで撮影していないのがわかります
こう撮ろう!という作為的な写真です
これも重度のムカつき写真
わざとらしさ120%
これも重度のムカつき写真
下心のある嫌らしい写真
第三者的に自分の写真を見ていて感じること。。。
写真はアソビなのだけど、自然に楽しんでいない写真がかなり目立つ
すごく不自然なんですよね
女性やKidsが撮影した写真のナチュラルさにビックリします
ちょい複雑なんですが、
品物を不自然過ぎるほどキレイに並べたり、ありえない方向に並べたり
これは写真を頑張っているという意味で不自然ながら、
不自然とは思わない行為なのです。
どうだ!この写真ってスゲーだろ。。。
というのがプンプンな問題写真
こんな角度で、わざとピンずらして、とかね
見る人を意識し過ぎた写真。。。なにか澱んでる
大したメッセージ性もないのに、
どうだ!
と言わんばかりに掲載する写真ってなんでしょう。。。
自己満足のブログなのですから自由気ままの勝手放題なのですが、
今一度自分のブログ写真を見直せばそこには大きな違和感が。。。
tararis 夫妻には理解してもらったこんな話でした。。。
作為がないと写真が成立しないって考え方もありますよ。
何らかの意思を意識して込めるのが「撮影」ですからね。
どうだ!すごいだろ!でも全然OKでしょ。ずっとじゃなければ。
あと、無作為のKids写真みたいなのは偶然性の要素も強くて、
再現不能だし不安定だし、技術的な裏づけも全くないわけで、
写真的には取るに足らないし作品とは呼べないと思ってます。
そんなん、見る側が上手に見ちゃってるってだけでは?(^^)
でもまぁ、大して撮りたくもない時に撮ると、
ケンちゃんの言うような違和感、出ちゃうことはありますね。
現像してて「なんだこれ、くだらねぇ!」とか、あるある・・・
「撮りたくなるまで撮らない&ブログUpしない」
これが一番の処方箋じゃないかと思ってます。特に最近は。
自分の写真は99%これに相当してしまい、リトル反省{ごめんなさい}
でも、所詮素人写真ですから、何でも有りと言うことでこのまま行きますよ{グッド}
>作為がないと写真が成立しないって考え方もありますよ。
>何らかの意思を意識して込めるのが「撮影」ですからね。
成るほど・・・
うーん、この話の根源はちと違うのですが、
作為があまりにも滲んでいる写真っていうのがどーも気になる。
どうでもいいのだけど妙に歪みを感じるんですよね。
>「撮りたくなるまで撮らない&ブログUpしない」
>これが一番の処方箋じゃないかと思ってます。特に最近は。
私の場合は撮りたいとか撮りたくないとかのムラはないんですよ。
常にカメラを携帯しているのでいつでもスタンバイなのです。
出来上がりの写真から「感じて!感じて」という嫌らしさが漂う写真が
どーも多くて{ショック}{ショック}{ショック}
もっと自然に撮影できないのか{はてな}{はてな}
と、大声で叫びたい今日この頃なわけで{爆弾}
>自分の写真は99%これに相当してしまい、リトル反省
そうなんですか{げっ}
狙っているということですか?
それともどーだ!ということですか?
楽しまれているなら何も問題なんてありませんから{グッド}
私はイメージコントロールが嫌いなので表現的に自然でない写真は
どうなんだろう???と思いますね{赤ちゃん}