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(有)遠藤測量設計事務所の「人生は上々だ!」

静岡県内で土木測量設計にたずさわる技術者のブログ

AMAスーパーバイク1979

2013-02-03 22:33:20 | オートバイ

映画「マッドマックス」が公開された1979年(昭和54年)、
もうひとつの伝説がありました。
それはAMA(全米モーターサイクル協会)が主催するロードレース
通称「AMAスーパーバイク」です。



AMAは、
市販車ベースのマシンで競われ、マシンの改造範囲は制限されており、
フレーム改造はもとより市販車に近い仕様(ルックス)でなければならない
ルールがあります。
したがって、
ベースとなる市販車本来の性能が証明される場として、
ユーザーにとって最も身近なレースとして、高い人気を誇っています。


(スペンサー初期のCB-F)

AMAは、1976年(昭和51年)から開催され、
1976年(初期)は、BMWやDUCATIの2気筒外車勢がトップでした。
(昭和51年、国内ではまだ2サイクルのマッハや
バーチカルツインの650W1(ダブワン)、Z650ザッパーの時代ですね)

1977年、KAWASAKIがZ1を投入したことを皮切りに、
我がMADE IN JAPAN勢が空冷4発を次々と発表・参戦。
太陽サンサンの砂塵舞う乾燥した異国アメリカでのレースなのに、
KAWASAKI、HONDA、SUZUKIの日本車ばっかりの
超エキサイティングなレースでした。
(YAMAHAは1985年のFZから参戦します)


(KAWASAKIのZ,HONDAのCB,SUZUKIのGSばっかり)


1979年のレースでは、ノンカウル、アップハンドルで大柄な重いバイクを
豪快なハングオンで操る、いまでも伝説なレーサーが現役最前線でした。

当時の代表的なレーサーといえば、
HONDAはCB-Fのフレディ・スペンサー(19才)

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KAWASAKI はZ1000MKⅡのエディ・ローソン(21才)

(僕のはベースが紺の金縁枠カラーでKERKERマフラー、僕もつけていました)
やっぱりMKⅡは抜群にカッコエーなー!!!
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SUZUKIはGS1000のウエス・クーリー(24才)

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そして、
忘れてはならないのが1973年に渡米し大活躍した日本人チューナー、
当時のアメリカで一躍有名になったPOP吉村こと「ヨシムラフジオ」です。

(初期のZ1はウエス・クーリーが乗っていました)


いま新ためて観ると、
どれもこれも、いまでは伝説の名車ばかり!!
しかもホイールもマフラーもエンジンも、何もかもが超カッコいいです!!!
どれもこれも「マッドマックス」のジム・グースのKZ1000みたいだ!!!

でも、やってる当時はカッコよさなんて二の次、
当時の最先端パーツで改造制限ギリギリの、
とにかく速く走るために改造された最新バイクだったんですね~(*^_^*)

そして、
1980年(昭和55年)に入ると、あの超有名なバイクが出てきます。
それは、重いZ1000MKⅡに代わるKAWASAKIの最新鋭バイク、
カワサキと、ライムグリーンと、エディ・ローソンを
一躍ヒーローにしたZ1000Rです。

(USカワサキのチュ-ナーは有名なロブ・マジー)

ちなみ、にモリワキモンスターことZ1R‐Ⅱもこの年の登場です。

1979年、ラグナ・セカです。
この音、タコメータ-の回転数、フレームがよれて振られる車体・・・
タンデムシートがそのまま付いてる旧車がこんなにも速いなんて・・・
なんてエキサイティングなんでしょう!!
http://www.youtube.com/watch?v=i4NSAKBKNdA&feature=player_embedded

ps
僕もZ1000MKⅡに長く乗っていましたが、
ヒューヒュー鳴く中低速重視のエンジン、ゴリゴリ振動するフィーリング、
220kgを軽く超える大柄な車体と車重・・・
あんなマシンに変身するとは・・・ホント信じられん・・・(笑)

いやいや、
書けば書くほど、書きたくなって、話したくなってしまって、
長くなってしまうので、詳細はまた追々・・・

※この話で酒を飲んだら楽しいだろうな~(^◇^)


オートバイの車歴

2013-01-20 23:05:58 | オートバイ

以前、「オートバイ」について書きましたので、その続編です・・・

僕の人生の、オートバイの車歴について、自慢げにざっと挙げます。

①人生初の僕のバイク、
  YAMAHAの水冷2サイクル2気筒、19万円の初期型「RZ250」

  


②行きつけのバイク屋で一目ぼれしたトリプルマッハ当時31万円で購入、
  Z400FXやZ400GPなんか白煙の後方にブッチギリ、
  トマゼリのセパハンとルーニーのチャンバーが泣かせる
  KAWASAKIの空冷2サイクル3気筒「KH250 」

  


③限定解除し、近所の行きつけのバイク屋にあった、過去の憧れを90万で購入
  DUCATIのデスモ空冷L型2気筒「マイクヘイルウッドレプリカ(MHR900)」
  無謀・無知にもほどがある、このバイクで初めて北海道キャンプツーリングに行く。

  


④片岡義男の映画「彼のオートバイ、彼女の島」に憧れ、探していたコオのバイク。
  ツーリング先の田舎道沿いにあった「頑固親父の工場みたいなバイク屋」で
  オーバホール済みの極上車を見つけ、頼みに頼んで53万円で売ってもらった、
  KAWASAKIの空冷2気筒(バーチカルツイン)「650RS(W3)」

  


⑤マッドマックスのKZ1000が頭から離れず、80万円でとうとう購入してしまった
  KAWASAKIの空冷4気筒「KZ1000-MKⅡ」
  そのまま北海道に移住

  

⑥長く乗っていたKZ1000も不調に悩まされることが多くなり、維持に疲れた・・・
  小さいくせにクラッチ4速ミッションでしっかり「オートバイ」している
  HONDAの空冷単気筒「モンキー50」を新車で購入




⑦結婚し通勤快速用で新車購入した
  HONDAの空冷単気筒「FTR223」




⑧やはり大きいのが忘れられずオークションで23万円で落札、京都まで取りにいった
  260kmメータは伊達じゃない、2秒で200kmオーバー 直線番長こと
  KAWASAKIの水冷4気筒、「ZX-10」

  

⑨3番目の子(愛娘)が生まれてデリカD5を購入することとなり大型は断念、
  「いつでも日本一周の旅にも出れるように」と淡い夢を胸に、
  プレスカブ仕様とファインチューンを施して、プリウスも真っ青の燃費50km/1L
  HONDAを世界のHONDAにした、空冷単気筒「スーパーカブ(デラックス)90 」

    


現在に至る・・・・

振り返ると、どれもこれも、いまもすごく欲しいバイクばかり・・・
特に、「KZ1000-MKⅡ」を一時の気の迷いで手放してしまったことを、
いまでも ものすごーく後悔しています・・・

  


技術士を獲った暁には、10代目の愛車が名を連ねることになるでしょう・・・
そして、また大型バイカーに戻ります。
それが人生、最後のオートバイとなるでしょう・・・(ホントか?)
ハーレー(ソフテイルの1580CC )が最有力ですが、
KAWASAKIの「Z1-R(Ⅰ型)」も超カッコいい・・・




オートバイの話になると長くなるので、続きは追々・・・


オートバイ

2013-01-11 20:27:48 | オートバイ

僕は、なぜか物心ついたころ(小学校中・高学年?)からオートバイに憧れていました。
いま思えば当時、友達の家の隣の車庫にはホンダのGL400(500かも)が置いてあり、
跨り自由でした。
「でっかいエンジン、こんなでっかくて重いの、動くのかな~?」などと関心しきりでした。

また、ある地元の幹線道路沿いのローカルなバイク屋のショウウインドには、
当時最新だったドカティのマイクヘイルウッド・レプリカ(通称MHR900)が飾られ、
外の屋根下にはスズキのカタナ750(耕耘機タイプ)やカワサキのZ750Fなどが
中古で展示されていたことを思い出します。

映画では、伝説の映画「マッドマックス」が1979年に公開され、
ジム・グースのKZ1000に、それはもう大興奮でした。
 (シーン中、シフトギアを2つあげて、ひとつ下げた瞬間にエンジンがかかる・・・・
         当時は子供ながら、この動作がものすごく気になりました)

  







http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Ovhw-E9gRfU



中学を卒業する15、16歳になると、
高校に行かずに働くヤツ、早々と高校中退する同級生がオートバイに乗り始めます。
当時ポピュラーな中古バイクというと、
カワサキのZ400FXやGP、ヤマハのRZ250(350)やXJ400、
スズキのGSやGSX400F、ホンダはCB400Tとか新しくはCBX400Fでしょうか・・・
安くは2ストのマッハなんかもありましたね。
今でこそ「名車」と呼ばれますが、当時はほんとフツーの単車でした。

       


缶スプレーで真っ黒に自家塗装された友達のFXは大きく見え、
超カッコよかったのを今でも覚えてます。

ちなみに、吉田聡の「湘南爆走族」や
楠みちはるの「あいつとララバイ」って漫画知ってますか?
言わばリアルタイム、そのものでした。

  

  
僕がはじめてオートバイを手にしたのは19才のとき、
近所のバイク屋にあった、19万円の白い初期型のRZ250でした。

   


「江口洋助」や「菱木研二」と同じくらい、
走りました、よく走りました。人生で最も走りました。
あるときは江口洋助のように楽しい仲間と一緒に、
あるときは菱木研二のようにウキウキ・ワクワクしながら、知らない道を求めて、
またあるときは尾崎豊の「15の夜」のように、
毎日毎日、軽装で、雨が降ってきてもずぶ濡れになりながら走りました。
深夜の道を、「熱い缶コーヒー握り締め」て走りました。
どこでも行ける気がしました~、楽しかった~、ものすごく楽しかったです。

当時のガソリン価格はたしかレギュラーが110円程度、ハイオクが120円余り、
ガソリンを入れるために、ガソリンスタンドでバイトをはじめました。
大事にだいじにしてました。
バイトが終わると、バイクを必ずピカピカにして帰ってました。
ピカピカになると、それがまたとてもうれしかった記憶があります。

「オートバイ」は僕の人生のなかにずっとあります。
これは3児のお父さんになった、いまも変わりません。
しかし、大きなオートバイがほしい・・・・技術士獲ったら復活します!

長くなりますので、オートバイ経歴などはまた追々・・・