映画「マッドマックス」が公開された1979年(昭和54年)、
もうひとつの伝説がありました。
それはAMA(全米モーターサイクル協会)が主催するロードレース
通称「AMAスーパーバイク」です。

AMAは、
市販車ベースのマシンで競われ、マシンの改造範囲は制限されており、
フレーム改造はもとより市販車に近い仕様(ルックス)でなければならない
ルールがあります。
したがって、
ベースとなる市販車本来の性能が証明される場として、
ユーザーにとって最も身近なレースとして、高い人気を誇っています。

(スペンサー初期のCB-F)
AMAは、1976年(昭和51年)から開催され、
1976年(初期)は、BMWやDUCATIの2気筒外車勢がトップでした。
(昭和51年、国内ではまだ2サイクルのマッハや
バーチカルツインの650W1(ダブワン)、Z650ザッパーの時代ですね)
1977年、KAWASAKIがZ1を投入したことを皮切りに、
我がMADE IN JAPAN勢が空冷4発を次々と発表・参戦。
太陽サンサンの砂塵舞う乾燥した異国アメリカでのレースなのに、
KAWASAKI、HONDA、SUZUKIの日本車ばっかりの
超エキサイティングなレースでした。
(YAMAHAは1985年のFZから参戦します)

(KAWASAKIのZ,HONDAのCB,SUZUKIのGSばっかり)
1979年のレースでは、ノンカウル、アップハンドルで大柄な重いバイクを
豪快なハングオンで操る、いまでも伝説なレーサーが現役最前線でした。
当時の代表的なレーサーといえば、
HONDAはCB-Fのフレディ・スペンサー(19才)

-----------------------------------------------------
KAWASAKI はZ1000MKⅡのエディ・ローソン(21才)

(僕のはベースが紺の金縁枠カラーでKERKERマフラー、僕もつけていました)
やっぱりMKⅡは抜群にカッコエーなー!!!
------------------------------------------------------
SUZUKIはGS1000のウエス・クーリー(24才)

-------------------------------------------------------
そして、
忘れてはならないのが1973年に渡米し大活躍した日本人チューナー、
当時のアメリカで一躍有名になったPOP吉村こと「ヨシムラフジオ」です。

(初期のZ1はウエス・クーリーが乗っていました)
いま新ためて観ると、
どれもこれも、いまでは伝説の名車ばかり!!
しかもホイールもマフラーもエンジンも、何もかもが超カッコいいです!!!
どれもこれも「マッドマックス」のジム・グースのKZ1000みたいだ!!!
でも、やってる当時はカッコよさなんて二の次、
当時の最先端パーツで改造制限ギリギリの、
とにかく速く走るために改造された最新バイクだったんですね~(*^_^*)
そして、
1980年(昭和55年)に入ると、あの超有名なバイクが出てきます。
それは、重いZ1000MKⅡに代わるKAWASAKIの最新鋭バイク、
カワサキと、ライムグリーンと、エディ・ローソンを
一躍ヒーローにしたZ1000Rです。

(USカワサキのチュ-ナーは有名なロブ・マジー)
ちなみ、にモリワキモンスターことZ1R‐Ⅱもこの年の登場です。
1979年、ラグナ・セカです。
この音、タコメータ-の回転数、フレームがよれて振られる車体・・・
タンデムシートがそのまま付いてる旧車がこんなにも速いなんて・・・
なんてエキサイティングなんでしょう!!
http://www.youtube.com/watch?v=i4NSAKBKNdA&feature=player_embedded
ps
僕もZ1000MKⅡに長く乗っていましたが、
ヒューヒュー鳴く中低速重視のエンジン、ゴリゴリ振動するフィーリング、
220kgを軽く超える大柄な車体と車重・・・
あんなマシンに変身するとは・・・ホント信じられん・・・(笑)
いやいや、
書けば書くほど、書きたくなって、話したくなってしまって、
長くなってしまうので、詳細はまた追々・・・
※この話で酒を飲んだら楽しいだろうな~(^◇^)