朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

母が入院した時の話

2022-05-02 19:27:26 | 毒親のこと

母が腕を骨折し、入院・手術をしたことがあります。

詳しい経緯はこちらをご覧ください

紅葉を見ると思い出す母との出来事。 - 母のようになりたくないのに

母が入院した翌日、私は仕事帰りに病院に寄りました。(雑誌や飲み物、ゼリーなどを持って行きました。)

6人部屋の窓側のベットにいた母は背中を丸めてベットに腰かけていました。母の近くで看護師さんが何やらカチャカチャと作業をされていたので「○○です。母がお世話になります。」とご挨拶をしました。

私の声に気づいた母が一言。

「お母さん、血糖値が○○を越えてるんだって」

母が糖尿病であることを知っていました。

私が小学生のころ、トイレに尿検査の試験紙があったし、母が薬を服用していたのも見ていました。

しかし見ていたのはその時だけ。

私が中高生のころ、母が薬を服用している姿を見たことがありません。母は糖尿病の治療を怠っていました。

「血糖値が安定するまで手術できないんだって」

すると看護師さんが「今晩から食事も“糖尿食”になります」と言いました。

私は母に持ってきた差し入れの中から砂糖入りの飲み物やゼリーを抜き取って母に渡しました。

血糖値を安定させるため食事管理と薬の服用が始まりました。

私は毎日仕事帰りに病院に立ち寄りました。

時間的にちょうど夕食の時間だったので、母が食べている糖尿食を見て“糖尿食って味気なさそうだなぁ~”と思いました。まさかその数年後には私自身が“妊娠糖尿病”になり“糖尿食”を食べる日が来るとは…

食事管理と薬の服用のおかげて手術を受けられるようになり、無事に手術が終わりました。

担当の先生から術後の説明を聞き、母がいる病室に戻りました。

全身麻酔ではなかったので意識がある母。

苦しい、しんどい、腕が痛い、腕をさすってくれ…と訴えます。

私は母の腕をさすりました。

看護師さんが母のベットに何度か来て点滴を変えたりと処置をして下さります。看護師さんが来るたび不満を訴える母。

そうこうしているうちに面会の終了時刻が近づいてきました。

帰ろうとする私に母が言います。

「ねぇ、お母さん腕が疼くから、あんた一晩ここに居てよ。」

疼く(らしい)腕を一晩中さすれ、と言うのです。

個室に入院しているわけではありません。市民病院の6人部屋です。面会人は普通の折りたたみ椅子に座ります。

正直困惑しました。そこまで重症なら看護師さんやお医者さんが何とかしてくれるんじゃないか…

幼子なら親が付きっ切りで看病するけど…

ここでもし私が断ったらどうなるか…

いえ…私に“断る”なんて選択権はありません。いつだって、何だって母に従うしかありませんでした。

私はナースステーションに向かい、看護師さんに“今日一晩母の看病をさせて欲しい”とお願いに行きました。

「付添人の方の寝具はありませんよ?」

「大丈夫です。急なお願いをしてすみません。」

病室に戻った私は母の腕をさすりました。部屋の電気がついている時間は腕をさすりながらテレビを見ることができたからまだよかったです。辛かったのは消灯時間後…消灯時間になり6人部屋の明かりも消えました。カーテンで仕切られているとはいえ、さすがにテレビは付けられません。真っ暗闇のなか母の腕をさすりました。

スマホがある今ならYouTubeなど見て気を紛らせることも出来たでしょう。でも当時はまだガラケー全盛期…

時々やってくる見回りの看護師さんがカーテンを開けた瞬間“ビクッ!”と驚いていました

母が寝息をたてて暫くしてから私もベットに突っ伏して休みました。

翌日。朝の検温の時間になり看護師さんが母の様子を伺いに来てくれました。

看護師さんに「体調はどうですか?」と聞かれた母は「腕が疼いて眠れなかった。」と言いました。

すると看護師さんが「見回りに来たときはぐっすり眠っていらっしゃいましたよ?」と母の不満をバッサリ。

私が洗面所に向かおうとした時、同じ病室に入院されている方が私に声をかけてくれました。

「もうあなたお家に帰っても大丈夫よ。」

「えっ…でも…」と私が言うと

「大丈夫だから。お腹空いたでしょう。」とバナナとお菓子をいただきました。

その会話を聞いていたのか母は何も言わず…。私は家に帰ることが出来ました。

数日後。母は別の部屋に移動になりました。母が入院してから毎日面会に行っていましたが、仕事で残業が続き数日間面会に行けない時がありました。

数日ぶりに母の面会に行くと、同じ部屋の方が(バナナをくれた人じゃない、別の人)私に向かって

「お母さんのこともう少し気にかけてあげてね」と一言。

私は思わず「え?どういうことですか?」と聞き返してしまいました。

病室の人たちとお喋りをしている時に母が「娘が1人いるんだけど、迷惑をかけられないから自分からは連絡をしていない」と話したそうです。

それを聞き、私は愕然としました。

「迷惑をかけられない」何言ってんの!?

いままでどれだけの事があったのよ!?

借金だって、今回の怪我だって、精一杯寄り添っているじゃない。

どこの誰と比べているか知らないけど、何を求めているか知らないけど、あなたの娘はこれが精一杯だよ。

でも母にそんなことは言えません。

私が「お母さんの為に一生懸命やってる、精一杯やってる」と訴えれば「親に向かって“一生懸命やってる”なんて生意気なことをいうな!」「“一生懸命やってる”という感情を持つお前が間違っている!」と否定されてきたからです。

私が面会に行けなかった数日の間に母が何を喋って、相手がどう受け止めたのか…

「お母さんのことをもう少し気にかけてあげてね」という言葉にとても傷つきました。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

自分の都合よく話をする母。

私たち親子の事を知らない人が話を聞いたら…私は相当“情のない娘”と思われるんだろうな。

当時20代だった私は「その話違います。本当はこうです!」と話せたらいいのに…と思っていました。

でも今は「どうでもいいや」と諦められるようになりました。本当にもうどうでもいい…。ここで吐き出せたらそれでいい。


母から呪いをかけられる

2022-04-12 22:26:36 | 毒親のこと

1か月ほど前。

仕事帰りで信号を待っていた時、私のスマホが鳴りました。

その日は子ども達が私より早く帰ってくる日だったので、私はてっきり子ども達から「外遊びに行ってもいい?」の電話だと思い、着信画面をよく見ずに電話に出ました。(日差しが強い日だったので画面もよく見えませんでした。)

母からの電話でした。

2月に母から何度も電話があり、実家の父のこと、私の幼少期のころのこと、長年不仲だった伯父(母の兄)と電話で話したこと…そして毎度おなじみの“これで最後だから”と「お別れ」を匂わせ、私の大切な友だちにまで心配をかけたこと…

散々私の心を疲弊させて、憂さ晴らし、恨み節を吐き出したことをすっかり忘れたのでしょう。

母はまた電話をかけてきました。

私は渡るはずだった信号に背中を向けて、家とは逆方向に歩きだしました。

職場の近くにある公園のベンチに座って母の電話の相手をしようと思ったからです。

その日の母の電話の声は若干落ち着いていて、最初はたわいもない世間話をしていました。(と、いっても穏やかな会話ではなく、いま母が住んでいるアパートの近所の人の悪口。“素性もわからない人たちが出入りをしていて気味悪い”など)

私は“いつか母にきちんと自分の考えを伝えよう”と思っていたので意を決して母に今の生活を話しました。

母の機嫌を損ねないよう、まずは母に謝りました。

「お母さんが望むような親子関係が築けなくてごめんなさい。」

「私は器用な人間じゃないから、お母さんにことも今の生活のこともどっちにも100%の力を注ぐことができない」

そして、母に子ども達のことを伝えました。

「子ども達には“おばあちゃん”の存在を伝えているよ。ママのせいでごめんね…って教えてるよ。」

「実は息子がADHDという学習障害なの。普通級に在籍しているけど、周りからのサポートが必要なの」

「娘はもうすぐ〇歳で、週5で習い事に通っている頑張り屋さんだよ。目標があるみたいで私も陰ながら精一杯支えてるよ。」

“二人ともいい子だよ”と言いかけた時…母が私の言葉を遮りました。

「あんた。いまそうやって“一生懸命子育てしてます”みたいなこと言ってるけど、この先、あんたはあんたの娘からひどい仕打ちを受けるよ」

「あんたがそうやって子どもの為に尽くしたって、あんたが親に対してどういう態度を取ってきたか、見てる人は見ているんだからね」

「あれだけ不仲だった兄貴が、今は私に寄り添ってくれるからね。“血は水よりも濃い”ってよく言ったもんだよ」

 

今まで何度も母の“言葉の暴力”をうけてきました。

そのたびに傷つき、立ち直れず辛い思いをしてきました。

でも、何故かこの時はスーッと冷静な自分がいました。

私は母に「そっか…私は地獄行きだね」と感情をなくした声色で言いました。

母は「そうだろうね」と言いました。

そこからは母の猛撃です。

「お母さんはあんたに尽くしてきたのに親不孝者」

「いい?よく聞けよ。なにがあろうとも親の言うことは絶対なんだぞ?」

「子どもは親の言うことに従わなければいけないんだよ!」

私は相槌を打つこともなく黙って聞いています。

「あんた。〇〇(父方の親戚)の家に行ったんだって?」(私は結婚式を挙げなかったので、後日親戚にあいさつ回りに行きました)

「うん。行ったよ。」

「なんであんたがあの家に行く必要があるの!?」

「なんでって…私の叔母さんだもん。」

「ろくに可愛がってもらってないのに!?バカじゃないの!?」

母は父方の親戚のことを嫌っていました。嫌っていた…というより“見下していた”かもしれません。同じ町内の街中で育った母と(しかも家が商売をしていたので衣食住に不自由がなかった)、今でいう“限界集落”で兄弟の多い家庭で育ち、中卒の父。

母と父方の親戚。私にはわからない事情、関係があったかもしれませんが、子どもの私には何の被害もありませんでした。特別可愛がってもらったわけでもありませんが、特別嫌われていたわけでもない。結婚の挨拶に伺った時も叔母は普通に歓迎してくれました。

父方の親戚の悪口をあれこれ言い出し、自分がどれだけ不憫だったか語りだす母。

今までなら「うん。うん。」と聞いていましたが、もう聞く気はありません。

今度は私が母の言葉を遮ります。

「お母さん。もうAちゃんに余計な心配かけないでくれる?」

「何がよ?」

「Aちゃんに話しかけるのは全然構わないけど、“これで最後だから”みたいなことをAちゃんに言わないでよ。Aちゃんが心配して私に連絡してくれたんだよ。」

「それの何が悪いの!?」

ああ。もう無理。この人は無理。

私の中で母に対する思いが全て吹っ飛び、吹っ切れました。

この人のことを一瞬たりとも考えるのはやめよう。

私の人生がもったいない。

我が子の幸せの為に毎日生きて何が悪い。

我が子の為に何が出来るか、どう見守れるかと考えて何が悪い。

娘からひどい仕打ちをうける?私の娘をバカにしないで。

この先親子の考えが合わなくなったとしても、他人を傷つけたり、命の危険がない限り私は娘の考えを尊重したい。

「親に絶対服従しろ」なんて絶対思わないし、考えもしない。「無事に巣立ってくれてありがとう!」と横断幕のひとつでも拵えたい。

娘の人生は娘のもの。

そして、私の人生は私のもの。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

「あんたはあんたの娘からひどい仕打ちをうける」

母はとうとう私に呪いをかけました。この件は夫に話していません。

私を憎んで憂さを晴らし、それが生きる気力になるなら…もうそれでいい。

ただ、これ以上Aちゃんには余計な心配かけないでほしいです。

Aちゃんに「Aちゃんごめんなさい。(母がAちゃんに話しかけた件で)火に油を注いでしまったそのうちまたあることないこと喋りにいくかもしれない。本当にごめん。聞くに堪えられなくなったらすぐ連絡して!」とLINEしました。

Aちゃんは「大丈夫だよ!気にしないで。ねぇねぇ!それよりこれ見て癒されて~」と水族館のクラゲの写メを送ってきてくれました。

心が離れた遠くの母より近くの友に感謝です。


母からの電話④

2022-02-21 01:03:09 | 毒親のこと

祖母が管理していた大叔母のお金を私の父に渡していたんじゃないか…と疑う伯父。

そしてその話を私に電話してくる母。

平日の朝6時。着信を無視しても無視してもかけてきます。

3回目の着信で出た私。(夫と子ども達が家を出た後しぶしぶ電話に出ました)

母はまだまだ喋り続けます。

そもそも母と伯父の仲はよくありません。

「兄貴は偉そうにしているけど、就職も結婚も全部おばあちゃんにお膳立てしてもらったくせに」という母。

「あいつはどうせ口だけだ。何も変われない」という伯父。

私は子どもの頃から母と伯父の話、2人が幼少期の頃の話から今に至るまでを何度も何度も聞かされていました。

そして伯父も糖尿病を患っています。(母方は糖尿病の家系です)

重度の糖尿病なので透析を受けています。

私はそれをいとこから聞いていたので、数年前から知っていました。

今回、伯父に電話をして伯父が重度の糖尿病で入院や透析を受けていると知った母。

「兄貴、透析してるんだって。もうすぐ〇〇〇。」

キーボードに文字を打ち込むのに躊躇います。伏せ字にします。

私はこの人の血が、DNAが私の中にあることに絶望しました。

自分の娘には何を喋ってもいいと思っているのか。脳直で何でも喋っていいと思っているのか。

悲しくて、情けなくて、悔しくて。

母ともう話したくない。声も聞きたくない。

蝕まれた心、憂鬱と苛立ち。頭も心もごちゃごちゃです。

そして母は翌日も電話をかけてきました。

私は全ての着信を無視しました。履歴も消しました。夫にお願いして家電は着信拒否にしてもらいました。

スマホも着信拒否にすればいいのに…

しかし私の中のほんの僅かな、もう消えそうなくらい小さくなった「娘としての責任」が着信拒否の設定をためらうのです。ためらう自分にも腹がたちました。

 

母からの電話が毎日のようにかかってくるようになったその週末。

私の中学からの同級生で、いまも深~いお付き合いで大切な友人(Aちゃん)からLINE通話の着歴とLINEが届きました。

私の両親③ - 母のようになりたくないのに

Aちゃんについてはこちらをご覧ください

「けめちゃん急に電話してごめんねLINEで送ろうかと思ったんだけど、うまく文章がまとまらなくて今日、けめちゃんのお母さんがお店にきたんだけど、なんか様子がいつもと違っててまたあとで電話するね

の絵文字がいっぱいのLINE。

嫌な予感がしました。その予感は絶対当たってると思いました。

Aちゃんにまで迷惑かけて、巻き込んで…最低最悪です。

しかも母はAちゃんの事を昔から悪く言っていました。

「あんな子と付き合わないでもっと自分のためになる友だち作りなさいよ。」

「Aちゃんのお母さんって働いていないんでしょ?なんかねぇ~」

私自身のことのみならず、私に関わる人のことまでいちゃもんを付けてくる母にうんざりしていました。

しかし私は中学、高校を卒業後もAちゃんと仲良くしています。ずーーーーっと仲良くしています。

お互い一人っ子で、お互い誰にも話せない悩み事を打ち明けていました。Aちゃんは唯一私のうちの事を全て知っている友だちです。

Aちゃんはいま地元の商業施設で働いています。70代の母とはあまり縁のない商品を扱うお店です。

母はわざわざその店に赴き、Aちゃんに話しかけた。

正直ゾッとしました。あれだけAちゃんのことを悪く言っていたくせに。Aちゃんを巻き込まないでよ!!

AちゃんからLINEをもらった日の夜、私はAちゃんに電話をしました。

大切な友だちに迷惑をかけて…巻き込んで…本当に申し訳ない。申し訳ない気持ちしかありません。

もし…今回の件でAちゃんとの仲に溝が出来たらどうしよう。大切な友だちなのに…大好きな友だちなのに…

私は何度も何度もAちゃんに謝りました。

Aちゃんは「ううん。私こそまみれのLINEをしちゃってごめんね」

Aちゃんによると…

・1~2年に1回くらいのペースでAちゃんが働くお店の前で母と何気ない会話をしている。(Aちゃんがたまたまお店の前で商品を並べている時に母が話しかけてくるそうです)←この件は私も毎回Aちゃんから聞いていました。

・Aちゃんは私と母の関係を知っているけどあえて私のことには触れず、挨拶や何気ない会話をしてくれました。母が私の近況を聞いてくる→Aちゃん「あ~最近はちょっと連絡とってないかもー」と話を逸らす。

・ところが今日はなかなか会話を切り上げてくれなかった。いつもは「Aちゃん」と呼ぶのに今日は「Aさん」って「さん」付けで呼ばれた。

・母が「もうこれが最後だから…」みたいなことを言っていたので気になって私に連絡した。

 

「もうこれが最後だから…」母のこの台詞も今まで数えきれないほど聞いてきました。

母からの電話はいつも「もうこれが最後だから」「お別れだから」です。

今回母から“お別れ電話”が来たのが2月9日。

2月20日も母から着信がありました。

こんな状態が20年近く続いています。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

Aちゃんには母の「お別れ電話」が20年続いていることを伝えました。

確かに母も70歳を越えましたが、1日に何度も娘に電話をかけ、伯父の家にも電話して昔話をほじくり、自転車をこいで娘の友達を尋ねるほど気力もガッツもあります。Aちゃんいわく「けめちゃんのお母さん、特別痩せても太ってもなかったよ。スーパーの買い物袋持ってた。」…食欲もあるようです。

私の「娘としての責任」はまだ先のような気がします。

Aちゃんも「そんなに深く考えなくても大丈夫みたいだね」と安心してくれました。

本当にAちゃんには迷惑をかけてしまいました。

電話ではお互いの近況報告もたくさん話しました。「体のアチコチがしんどくなってきたねぇ~」と話すAちゃんに健康グッツの詰め合わせを贈りました。もうすぐ桃の節句だから可愛いお雛様のポストカードを添えて


母からの電話③

2022-02-18 18:51:32 | 毒親のこと

私は母との電話を廊下の一番奥で話していました。

明かりも暖房も届かない場所でただただ「うん…うん…」と話す私の様子を息子が何度か見に来ました。

昨年の夏。私は子ども達に“おばあちゃん”の存在を話しました。

思春期との向き合い方⑥ - 母のようになりたくないのに

詳しくはこちらをご覧ください

 

どのくらい母と電話をしたかわかりません。

暗くて寒い廊下の奥で話していたので体は冷え、手も足も冷たくなりました。受話器を持つ腕に力がこもっていたのか腕が痺れていました。

電話が終わりリビングに戻ると、子ども達が心配そうな表情で私の顔を見ます。

夫は気を使ってくれたのか、シンクに少し残っていた食器を洗っていました。

私の大切な家族に…私の母の事で心配をかけてる、気を使わせている…

本当に申し訳ないと心から思いました。

私は子ども達に「ママのお母さんとお話してたんだよ。」と言いました。

「今までも時々電話があったの。ママが忙しいときは電話に出られないこともあるけど。」

「たまにこうしてお母さんのお話を聞いてあげるの。」

平静を装って話しますが、子ども達は私の“本音”を見抜いているようでした

“どんなお話したの?”とは聞いてきません。

次の日の朝6時。

私のスマホが鳴りました。その時まだ布団の中だったので“ん?目覚まし?”と寝ぼけてスマホの画面を見て…一気に目が覚めました。

再び母からの着信でした。

え?うそでしょ?なんでまた!?昨日話を聞いたじゃん!!

一緒の部屋で寝ている夫と息子を起こしてはいけないと思い、着信音の音量を下げ電話が切れるのを待ちました。

1回目の電話を無視した数分後、また母からの着信。

もういい加減にしてよ

そろそろ起きる時間だし、平日の朝だよ?お母さんだってわかるでしょ!?

2回目の着信も無視しました。

私はいつもより少し早めに起きてリビングに向かいました。

暖房をつけて、朝の支度…起きてきた夫と子ども達には電話の事を言いませんでした。

夫は会社に、子ども達は学校にそれぞれ家を出ました。私はコロナの影響で咳が続き、処方してもらった咳止めを服用している間は仕事に出られません。

朝ドラを見ながら洗濯機が終わるのを待っていると、母からの三度目の着信。

私は電話に出ました。

「昨日も電話したのにごめんね!」

今日の母の声色も興奮気味です。

「お母さん、〇〇(母の実家)に電話したの。そしたら兄貴からすごい話を聞いたよ」

以下、まとめます

・祖母は大叔母のお金を管理していた。(大叔母は病気で入退院を繰り返していたので)

・伯父(母の兄)いわく、大叔母はかなりのお金を持っていたらしい。(遺族年金?など)

・祖母は伯父に「自分が亡くなったら大叔母のお金をお前(伯父)に渡す」と話していた。

・ところが祖母が亡くなって、大叔母のお金がどのくらいあるか確かめると予想以上に金額が少なかった。

・祖母がそのお金を私の父に渡していたんじゃないかと伯父は疑っている。

 

私は頭が痛くなりました。

なんで、どうして、そうなるの?

誰かを悪者にしなくちゃ気が済まないの?

よりによってなんで私の父なのよ?

それまで「うん、うん、」と母の話に相槌を打っていましたが

「さすがにそれはないでしょ伯父さんはなんでそう思ったの?」と母に尋ねました。

すると母は「兄貴は昔からお父さんのことが大嫌いだったからね。“あの男はひとでなしだ”って言ってたから。お父さんが何度か海外旅行に行ってるでしょ?そのお金をどこから捻出するんだ?って言ってた。」

母と離婚してから確かに父は2,3回海外旅行に行っています。

でも格安のパックツアーを利用して行っていました。(旅行会社から送られてきたしおりで私も確認しています。)

母と離婚して、借金の返済めど(ゴール)もはっきり分かって、家のローンも終わって…

パックツアーで2,3回海外旅行に行く。

そのくらいは父の稼ぎでやりくりできるだろうし。“自分にご褒美”で許される範囲なんじゃないかな。

私も母の借金を返していたけど、祖母にお金を無心したことないし、しようと思ったこともない。それは父も同じでした。

母の借金のことで母の実家に助けてもらいたい…なんて一度も思ったことない。

むしろ、両親が離婚して母が福祉のお世話になるとき、その知らせが祖父母と伯父のもとにも届いてしまって本当に申し訳ないと…私も父も思った。私たち家族で解決できなくて本当に申し訳ないって思った。

祖母が亡くなって約20年。

両親が離婚して約20年。

なんで今更そんなこと言うの?

なんでそんなに私の心をかき乱すの?

 

確かに伯父は父の事を毛嫌いしている節がありました。毛嫌い…というか見下していました。

超がつくほど山深い田舎で生まれ育ち、中卒で働きだした父。

伯父は祖母が商売をやっていた影響もあり、子どもの頃から何不自由なく育ち、学歴もあり、某団体職員としてキャリアを積み定年まで勤めました。

プライドが高く、とっつきにくい性格の伯父ですが私に対して冷たい態度をとるような人ではありません。

私が結婚する時も「いい反面教師(私の両親)がいるのだから頑張りなさい。」と言ってくれたし、伯父が横浜に来た時にわざわざ東京の私の家に寄っていってくれました。

夫婦喧嘩が絶えなかった私の両親。祖父母が間に入って仲裁したのも数えきれません。

伯父は「もし妹夫婦になにかあった時は俺がけめこを引き取って面倒を見る」と言ってくれたそうです。(祖母談)

祖父母も伯父も両親も…子どもの私にはわからない複雑な“大人の事情”があったのかもしれません。

だけど…もう祖父母も大叔母もこの世にはいないし、大叔母のお金の真相を知る人は誰もいません。

お金のことでわだかまりを生み出すのはやめて欲しいです。


母からの電話②

2022-02-17 15:46:48 | 毒親のこと

母が私のスマホに何度か電話をかけてきましたが留守電には何もメッセージを残しません。

すると別室にいた夫が家電の子機を持って「お母さんから…どうする?」と聞いてきました。(夫は私と母の関係を全て知っています)「外出中って言おうか?」と気遣ってくれましたが、私は母からの電話に出ることにしました。

「もしもし」

「忙しいときにごめんね!」

あぁ…この声色、今まで何度も聞いてきました。高揚、興奮、理性を失っている…この声色で話す時の母は一方的に喋りまくって、相手の話を聞く耳を持ちません。

早速母は話し始めました。

母の話をまとめると…

・現在母は「衣食住」の「衣食」を年金で、「住(家賃)」は福祉にお世話になっている。

・福祉の職員さんのなかには自分の娘(私)より年下の人もいて、相談や連絡を入れるのが恥ずかしい、情けないと感じるようになった。

・「衣食」は自分の年金で賄えるので、「住」の問題を解決したい。

・そこで別れた夫(私の実家の父)に電話を入れ、「けめこの部屋が空いているのだからそこに住まわせてくれ」とお願いをした。

・しかし断られてしまった。

両親が離婚して20年近くなります。随分大胆な提案を父に投げかけたものだな…と思いました。

「けめこの部屋」と言いますが、広い土地に建つ大きな家の“離れ”でもなければ、アパートやマンションの一室でもありません。

築50年の3DK。6畳間の部屋です。その家には現在も父が暮らしています。

そして、父は数年前“再婚”をしました。

「あんた、お父さんが再婚したの知ってるの?」

「うん。知ってるよ。」

「再婚相手に会ったことあるの?」

「うん。何度か会ったよ。」

私も正直、父の再婚には驚きと言うか“ええ!?再婚!?なんで!?”と思いました。

母との結婚生活で色々…色々ありすぎてもう結婚なんてこりごり、第二の人生は好きな事をしてのんびり暮らしていくんだろうな…と思っていました。

でも父は余生を“一人”ではなく“二人”で過ごすことを決めました。きちんと籍を入れて。

私は家を出た身。娘としての役割は果たすつもりですが、父が自分のこと、家の事をどうするかは父が決めることです。

父から再婚すると連絡をもらった時、「おめでとう。1回失敗しているんだから今度は仲良く暮らしてね。お父さんの持っているものはすべて相手の方に渡してね。私はなにもいらないからね。」と言いました。(お父さんの持っているもの…と、言っても築50年の家しかありませんが)勤労意欲はあるのに仕事運がなかった父、そして母の借金。実家に“財産”と呼べるものはありません。

話は母との電話に戻ります。

別れた夫が再婚していた。母にとって“まさか!”の事態だったようです。

「なんだかんだ言っても別れた夫は私の事を気にかけている」と思っていたのでしょう。

ところが再婚していた。

やり場のない気持ちが私への鬼電となったようです。

「よかったじゃない。あんな家、あんたに残されてもあんたが困るだけだもんね。」

「でも、あの家はお父さんだけの力で買った家じゃないのにね。」

「じゃあ、お母さんがあの家に置いていった家財道具を再婚相手の人が使ってるの?あれはおばあちゃんがお母さんのために用意してくれたのに。」

本音が駄々洩れになる母。もう止まりません。まとめます

・お父さんとの結婚をおじいちゃんは強く反対していた。味方はおばあちゃんだけだった。

・結婚するとき、父の実家は何ひとつ用意してくれなかった。(父は6人兄弟の5番目。父は中卒で働き始めました。)

・自分の実家には兄がいたから、自分がいたら兄が結婚できなくなると思い(小姑がいる家に嫁さんなんかこない)早く家をでなければ…と思っていた。

・あんたが産まれた後もおじいちゃんはいい顔しなかった。まだ乳飲み子だったあんたのことをしかめっ面でみていた。

・兄も兄嫁もあんたのことを抱っこしたことがない。

・おじいちゃんは兄の子どもとあんたを比べて、兄の子どもを可愛がっていた。

・お父さんの実家もあんたを可愛がらなかった。(また言いますが、父は6人兄弟の5番目。しかも父方の祖父母は他界していて、父の実家はおじさん夫婦(長男)が住んでいます。だから私は数多くいる姪っ子甥っ子のうちの一人。

・本当は離婚したかったけどあんたがいるから離婚できなかった。(この言葉本当に聞き飽きた…)

父が再婚したので自分の思惑通りに行かなくなった母。矛先が私へ向かいます。私はただずっと「うん。うん。」と聞いていました。ある程度喋り尽くしたかな?と頃合いを見て私は母に話しかけます。

「でもさ、お母さん。おばあちゃんが亡くなった時、おじいちゃんが言ってたじゃない。“お前たちは最初から間違っていたんだ”って。あの時すでに認知症が始まっていたおじいちゃんが、ハッキリいったんだよ。」

両親は所謂“できちゃった婚”です。祖父の言う「最初から間違っていた」とはそういう事です。

「それにさ、おじいちゃんが“内孫”を可愛がるのは当たり前だよ。私は“外孫”なんだし。」(でも私は祖父から可愛がってもらったと思っています。比べられて貶された…なんてことはありませんでした。)

母は「ハハハ!」と声をだして笑い「そりゃそうだ!」と言いました。

いまこうしてブログに書いていても情けなくなります。

私は自分で自分の存在を蔑んで否定しなければいけないのか。そうしなければ母の怒りが収まらないのか。

私って何なんだろう。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

母から電話がかかってきて1週間経ちました。やっと気疲れと蝕まれた心が回復してきました。

母との電話の中ではこんなやりとりもありました。

「あんた鼻声だね。」

「うん。先週コロナにかかったから。」

「えー!!コロナになったの!?東京はすごいもんねー!」

「うん。」

「あんた、糖尿は?」(母は私が妊娠糖尿病で出産していることを知っています)

「糖尿病だよ。病院にも行ってるよ。」

「やっぱりーーー!!糖尿は怖いよ。真綿で首をしめるように蝕んでいくからね」

大変だったね。

子ども達は大丈夫?

そんな言葉は1つも母の口から出ませんでした。

私もそこは求めていません。

私も母を捨てた身ですから。