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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

資源化センター

2010-04-14 08:22:04 | 川越・近郊
 4月13日(火)晴れ

 今日はまた晴れて初夏の陽気になりそうです。10時過ぎにいつもの自転車道に出ると対岸の巨大な煙突が目に入ります。新しい清掃工場が4月から稼働し始めたのです。行ってみることにしました。

 小畔(こあぜ)川のほとりにできたのは「ゴミ焼却工場」かと思いきや名前は「資源化センター」となっており、「つばさ館」という市民啓発施設が付設されています。広大な田園地帯のただなかの美しい?建物です。


 川越市資源化センターhttp://www.city.kawagoe.saitama.jp/www/contents/1269087439584/index.html

 つばさ館(環境プラザ)から入ると自然に全体が見学できます。

 つばさ館http://www.city.kawagoe.saitama.jp/www/contents/1269482555694/index.html


 運び込まれたゴミが巨大な施設で分別され資源化されていく様子を3階の通路からガラス窓越しに見ることができます。すべてがコンピューター管理で音もなく進んでいます。

 人影を見たのはゴミ搬送車が出入りし、ゴミを投入するところとベルトコンベアーの流れ作業でプラスチックごみを選別するところぐらいです。

 発生する熱で発電する施設もあり、「焼却」ではなく「資源化、リサイクル」に取り組んでいるぞということがよくわかります。

 それでも消費するガス?の量は大変なものなのだろうと思いました。

 34万人が暮らす川越の市民生活を支える新しい施設です。疲れが出てきたので「つばさ館」の展示類は他日に。リサイクル自転車や家具類の販売もしています。

 名細(なぐわし)の長福寺に桜の巨木がありました。誰もいない境内に静かに花を散らせています。

  http://blog.goo.ne.jp/kwg1840go/e/7111cd13d73a5f70c3c82ab02d4f1a6e
 
 昼過ぎの川越公園。花びらのじゅうたんの上を歩きます。池の近くは花吹雪。

お人形さんのような若い母親が二人、人形のような赤ちゃんを抱いて通り過ぎていきます。絵本の中のようです。




 

 

畏友

2010-04-13 18:43:26 | 父・家族・自分
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4月12日(月)雨

 昨日とは打って変わって冷たい雨の一日です。

 朝早く、癌研有明病院に向かいました。定期検査の通知簿を受け取る日です。4か月ごとのCT検査の結果を聞くときですから妻も同道してくれます。

 主治医の西尾先生の見立ては血液検査にもCT検査にも前回と比べて「大した変化は見られない」というものです。癌患者であることには変わりがないが小康状態が続いているということです。

 新学期が始まったばかりですが僕は早々にまずまずの通知簿をもらいました。これからの数カ月、病気を忘れて?これまで通り、日々を過ごすことができます。

 手術当時、主治医の中川先生からは5年生存率30%と言われました。12月で5年になります。これは何とかクリアーできそうですね。僕の当面の望みは元気に70になることです。
  この7月に69になります。

 ちょうど昼休みになったので中川先生にお会いできるかと受付にお願いしてみました。

 院長室を訪ねるとなんだか懐かしい再会のような感じです。二年ぶりくらいになるのでしょうか。

 中川健院長http://www.jfcr.or.jp/hospital/about/greeting.html

 僕の手術をしてくれた肺がんの名医ですが同級生としては「中川くん」です。

 院長になった直後に癌研「倒産」の危機に直面し、存続・再建に全力投球をしてきました。予期していなかったことです。くたくたになったのではないかと思います。

 最近住まいを病院の近くに移したと転居通知を受け取ったばかりです。どうしたのかと思っていました。

 病院での仕事は朝早くから始まり、六時台には出勤しているそうです。お医者さんが一堂に集まって打ち合わせや勉強をするには早朝しか時間がないのです。

 中川くんはもともとが頑健な人です。高校時代は体操部で活躍していました。それでも70近くになって朝早くから重責を担い続けるのは並大抵のことではないのでしょう。

 癌研が移転してから住まいを移したばかりでした。今度はより近くから通えるわけですが責務を果たそうとする決意を感じます。

 それでも(定年まで)「あと一年と九ヶ月」と指折り数えることがあるといいます。60で退職し、今は世話になり続けるものとしてはただただ自愛を祈るばかりです。

 僕は中川くんに会えて本当にうれしかった。旧友にわが命を見守ってもらえる安堵感に浸ることができたからでしょう。


  






五木の子守唄

2010-04-12 07:06:34 | こどもたち 学校 教育
 4月11日(日)曇りのち晴れ

 昼過ぎになると晴れ渡ってきたので旧市街地の花の名所を廻ってきました。新河岸川、喜多院などは「散り始め」と言ったところで、今年最後の花見をする人々で賑わっています。中院のしだれ桜はとうに葉桜。

 我が家の「一応庭」のコリンゴが花をつけ始めました。小さな苗を買ってきて植えておいたのが今は2階の屋根に届きそうな勢いです。屋根に干した布団に寝て「春日八郎」を聞く僕の目の前に見事な花を見せてくれるのも間もなくです。

 妻と一緒に「遊びの学校」に行っていたAくんは調子が良さそうです。夕食までの小一時間パソコンで唄の授業をしました。

 ①五木の子守唄http://www.youtube.com/watch?v=Q28LZgrqAmY

 ②正調・五木の子守唄http://www.youtube.com/watch?v=Wnj-tz8i8n8

 ③竹田の子守唄http://www.youtube.com/watch?v=oOYXS9dTtno

 ④島原の子守唄http://www.youtube.com/watch?v=ixzZRyZ2m9o

 ⑤ロンドンデリーの歌http://www.youtube.com/watch?v=QtvTJqPSENM

 ⑥すべての人の心に花をhttp://www.youtube.com/watch?v=sxO-X2Of96Q

 ⑦見上げてごらん夜の星をhttp://www.youtube.com/watch?v=eLmhRMl4kJk&feature=related 


 これらの歌のいくつかは僕の「倫理」で紹介するはずですがAくんの年には僕が入院・手術となって12月以降の授業ができなかったため、耳にすることがなかったようです。

 唄が好きでその道に進みたいとも思っている人でも「五木の子守唄」を聞いたことがないといいます。

 A君は不登校の時期が長かったためやむをえないのかと思いますがそうでない子供たちも同様ですから小中学校で教えていないのでしょう。

 そんなことでいいのかと、つい思ってしまいます。

「孤独」に耐えて生きてきたAくんには心に響きすぎる唄ばかりです。それでもお気に入りもあったようです。

 僕は「ロンドンデリーの歌」を中学か高校の時こんな歌詞で習いました。日本語の歌が見つからず、授業は他日を期すことにします。

  わが子よ いとしの汝(なれ)を 父君の形見とし
  こころして 愛しみて 今日まで育てあげぬ
  ふるき家を 巣立ちして 今はた 汝はいずこ
  よわき 母の影さえも 雄々しき汝には 見えず


 

カラスの行水

2010-04-11 06:51:17 | 川越・近郊
 4月10日(土)晴れ

 近郊に春を迎えた喜びを満喫するサイクリングもそろそろおしまいです。今日は丸木美術館を訪ねることにしました。

 川島の落合橋から越辺川の土手をさかのぼるのがいつものコースですが土手の天端の舗装工事中で通れません。やむなく、道場橋までは井草の村中の旧道を行きます。おかげで笛木醤油の懐かしい景観に出会いました。

 笛木醤油http://www.kawagoe.com/kinbue/info.html

 道場橋からの土手の道はまだ通れます。5月末までにこの舗装工事は完成するそうです。完成すれば落合橋から高坂橋までの越辺川沿いの道が快適なサイクリング道路になります。

 僕にとってはありがたいことですが、本当に必要なことなのか?とも思います。「河川管理のため」といって5~6m幅の立派なアスファルト舗装の道が作られているのです。今まで通り砂利道だと何か不都合があるのでしょうか?

 川越圏のあちこちで進行していることで今日も二か所で出来上がったばかりの道を走りました。気持ちはいいのですが公金の使い道として妥当なのかと、貧乏人は思ってしまうのです。

 越辺川の白鳥が十数羽、中洲で休んでいるのがみえます。シベリヤに帰り損ねたのかな?

 高坂駅前の「餃子の満洲」で昼食、美術館到着は1時半過ぎです。

 都幾川のほとりの桜は満開でまさに春の盛りです。事務局で団子をごちそうになった後、流流庵で休憩させてもらいます。

 丸木画伯夫妻のアトリエだったところですが今は参観者の休憩所として開放されています。全面ガラス張りでこのあたりの風景の全貌が目に入ってきます。天国のようなところです。

 桜の木越しに見える都幾川の流れにカラスが十数羽集まってきて行水をしているのが見えます。結構時間をかけているようです。毎晩「カラスの行水」に終始する僕としては興味深い観察です。

 部屋の隅にあおむけになってみました。さすがに寝込むわけにはいかないので時々起き上がってカラスの行動に目を向けます。

  丸木美術館http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm

 美術館といえば絵を見に行くところでしょうが今日の僕には自然の風景を見て休むところでした。

 間もなく「沖縄展」が始まるようです。旧知の金城実さんの彫刻も展示されるとのことです。また来ます。

 帰りは対岸の神戸(ごうど)の村から峠を越えて鳩山町に出ました。大橋交差点付近で鳩川に沿った道を見つけたので流れに沿ってどこまでも行ってみました。

 越辺川に合流する川なので安心していたのですが最後の最後で道が尽きました。人一人がやっと通れるかという藪をこいで何とか自転車を道路に挙げた次第です。

 そんなこんなで家に着いたのは5時半すぎ、帰りは3時間もかかってしまいました。

中学の同窓会に出かけた妻が作っておいてくれたカレーライスをAくんと娘と3人で食べた後、8時にはgo to bed。

ホバリング

2010-04-10 05:59:38 | 川越・近郊
 4月9日(金)曇り一時晴れ

 今日は入間川自転車道で狭山の智光山に春を訪ねることにしました。僕の家は川越のはずれにあるので5分もすれば自転車道に出ます。川越橋をくぐりぬけて河原に降りたところで不思議な光景を目撃しました。

 トンビ?が大空の上で停止したまま羽ばたいているのです。ヘリコプターのようです。

 目の前で観察している方が「ホバリング」しているのだと教えてくれました。高いところで一時停止して獲物のありかを探索しているのです。やがて急降下して姿が見えなくなりました。

 ヤマセミのホバリングhttp://www.eisvogel.jp/pk/k467.html

 数分この方の横に並んで観察していると、ツバメ、カワウ、などが次々に現れます。トンビがまたやってきて場所を変えてはホバリングを繰り返しています。


 狭山市の柏原あたりの自転車道は花のトンネルです。今週末あたりが最後の花見でしょうか。

 智光山公園につきました。水に恵まれ池の多い自然公園です。桜の美しさはたとえようがありません。

 智光山公園の桜http://www.geocities.jp/mikiwtnb/tikouzan-sakura.htm

 広い園内をさまよい歩きました。芽吹いた木々の緑が印象的です。

 双子のバギーを押す女性に出会いました。隣にはおなかの大きいお友達。4人半?でゆっくりと散歩中です。何か、命の躍動を感じさせる風景で、つい声をかけて挨拶をしました。お母さんたちは笑顔を返してくれますが赤ちゃんは今にも泣きだしそう。

 今日はどういうわけか、戦闘機や輸送機の爆音がやけに響き渡ります。空を飛ぶのは鳥たちだけでいいと思います。

 昼を過ぎたので近くの「サイボク」に行ってみました。美しいしだれ桜の下で「大学いも」を昼食代わりにしました。

 サイボクのしだれ桜http://blogs.yahoo.co.jp/mikko0714/22491846.html

佃島

2010-04-09 21:02:57 | 友人たち
 4月8日(木)晴れ

 癌研の定期検査に行く途中、有楽町線の電車の中で月島で下りて佃島を散歩することにしました。もしかしたらKくんに会えるかな、と思いついたのです。

 駅近くのベンチに座って電話してみると何とKくんのお宅は目の前のビルですぐに出てきてくれました。

 Kくんは大学の後輩ですが歳は一つしか違いません。67,8になるのですから「さん」がいいのかもしれませんが50年近く「くん」と呼ばせてもらってきました。

 僕が自治会の委員長をやった時、一年生だった彼らが活動の主力でした。都立学校の教員になったのでその後も出会うことはありましたが何かを一緒にやったり、格別に親しく付き合ってきたわけではありません。

 それでもこの数十年間、変わることなく大切に思ってきた友人です。有力な党派の勢力争いが続く組合の役員選挙にいわば「市民派」として立候補し、見事当選したこともあります。

 定年後、「君が代」の強制に抗議して嘱託を解雇され、裁判闘争を継続中です。

  参考・川越だより・「君が代」の強制と裁判」
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/1c211a976ee886b2a0c06fdca1dd7c8e

 午後からは裁判にかかわる用事があるというのに飛び入りの珍客を連れて「ふるさと・佃島」を案内してくれました。

 佃島http://hix05.com/picture/tukisima/tuki05.html

 Kくんが生まれ育った家は江戸時代からの正真正銘の佃島にありました。今は埋め立てや大きな橋がかかって「島」の実感がありません。しかし、説明を受けるとその一角は明らかに「島」で、納得です。
 
 敗戦後、幼い「漁師」として遊んだり、家計を助けたりしたKくんの姿が見えるようです。ここは「佃煮」が名産です。あれこれの魚採りに精を出したのでしょう。

 中学を出ると渡し船で日本橋の証券会社に通い、夜は紅葉川高校(定時制)に学んだといいます。強権にひるまず、誠実で一途な人柄はこのような生活の中で培われたのです。

 今は風光明媚な都心の一等地です。石川島播磨重工の跡地に巨大なマンション群が林立し、地域も学校もかわりました。

 始業式直後の?子どもたちが公園でクラス写真を撮っています。いかにも億ションに住む高学歴の親の子どもらしい雰囲気です。

 高校生の時から社会主義者だったKくんならずともこの「ふるさと」の変貌は激しすぎて、受け入れがたいのではないかと思いました。

 お母さんと一緒に住んでいたというマンションで昼近くまで過ごしました。僕とは違った人生が宿っています。

 今度はゆっくり時間をとって交流したいものです。高価な佃煮を買って持たせてくれました。

  川越だより・「副作用」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/f4ce04f8698cf9856a031acb0c5029c1?st=0

 ぼくの学生運動(7)生徒会活動?http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/0372ea78e707208e80d862d7304768d0

春の報せ

2010-04-08 07:19:27 | 友人たち
 4月7日(水)曇りのち雨

 昼前に川越公園を歩いてきました。満開の桜のトンネルの道です。

 今日までが春休みなのか親子連れがあちこちで弁当を広げています。ここの桜は週末までは持ちそうです。

 http://archi049.wordpress.com/2009/04/06/%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%80%80%E6%A1%9C%E6%BA%80%E9%96%8B%E3%81%A7%E3%81%99%EF%BC%81/ 
 
 帰りは雨になりました。自転車をこぐ足に力が入ります。

 午後、多美子さんから出産の日が近いと報せがありました。男の子が元気に育っているようです。

 高校を卒業して9年になります。妻が娘を出産したのは24の時ですから、多美子さんがお母さんになっても少しも不思議ではありません。

 でも本人もまわりも実感できず、「早い」と思う時代になったようです。鎌倉の新居を訪ねて赤ちゃんに会える日が楽しみです。

 先日、ジエンさんからも今年中にはお母さんになるという報せがありました。多美子さんの一つ先輩です。

 小学校の時に中国からやってきた人で、なかなかの頑張り屋さんです。今は仕事をやめて
通訳や華道の修業中です。「きいちご」の翻訳もやってくれています。

 イギリスの留学から帰った妹さんと一緒に近く川越を訪ねてくれるということです。

 人生の春を生き抜いている人たちからのうれしい知らせは僕には何よりのプレゼントです。

 今日は癌研有明病院での定期検査があります。日差しが暖かそうなので早めに出てお江戸の花見をしてきます。花はまだ残っているのかな?

 昨日「川越だより」を訪れてくれた方が300人を超えたということです。駄文につきあって下さってありがとうございます。

夢ごこち 吉見・桜堤公園

2010-04-07 15:20:41 | 川越・近郊
 4月6日(火)晴れ

 温かさに誘われて入間川自転車道~荒川自転車道と走って吉見の桜堤公園に昼ごろにつきました。
 
 ここは自転車道そのものが桜並木です。

 http://saitamano.blogspot.com/2009/06/blog-post_11.html

 自転車を押してどこまでも続く花のトンネルを歩きました。ここの特徴は菜の花と桜が一体となった風景です。

 Aくんの下命を受けていたので携帯の写真機のシャッターを押し続けました。近く、「川越だより」に発表されるかもしれません。どうぞ、お楽しみに。

 糠田橋に続く県道を下りたあたりのベイシアで弁当を買ってきて、菜の花の土手で昼食。

 帰りも花のトンネル。途中に自転車を置いて、土手の中腹の平らなところにシートを敷いて休みました。あおむけになって下から花を眺めているうちに眠ってしまいました。

 気付いたら2時近くです。30分は経過したでしょう。気温が高かったため風邪をひく心配もなく、菜の花に囲まれて夢心地だったのです。

 風が出てきたので鳥羽井沼で自転車道を下り、川島町の村々をめぐりながら3時半に帰りつきました。

 この季節、どこに行っても見事な桜の風景に出合いますが、吉見の桜堤はこのあたりでは出色です。

 疲れたのか、夕寝、夜寝とあとは寝てばかりでした。

カラマツ芽吹き、風薫る嬬恋(つまごい)高原

2010-04-06 05:45:37 | 中国残留日本人孤児
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4月5日(月)雨

 5月15日に予定されている「第10回きいちご移動教室」の参加者募集の締め切り日が4日でした。定員50名に対し、49名の申し込みがありました。保留中の方もおられますのでたぶんこれで一杯です。

 午後、参加者名簿を作成しました。今回の特徴はきいちご基金の世話人などをのぞくと参加者のすべてが「中国残留日本人孤児」とその家族だという点です。

 「残留孤児」の方々が帰国して20年以上になります。一緒に帰ったこどもたちが成人し、孫が成育しています。
 
 「残留孤児」やその配偶者の方々が友人を誘って参加するというケースがほとんどです。中には家族ぐるみという方もおられます。

 もう一つの特徴は城戸久枝さんが参加してくださることです。昨年、NHKで放映されたドラマ「遙かなる絆」の原作者です。お父さんの城戸幹さんが帰国したのが1970年と他の方よりは早かったため日本で生まれた「残留孤児2世」です。

「遙かなる絆」はノンフィクションドラマです。城戸久枝さんはドラマの主人公その人と言っていいでしょう。お父さんと同じく中国東北部で生育した方々と交流することを楽しみにしていてくれます。

 参加者の皆さんが「遙かなる絆」を見ていればいいのですが…。これが意外と見られていないのです。
 言葉の壁のせいなのか、NHKの広報不足のせいなのか。

 長いドラマなのでDVDなどで見ておいてもらえたらいいのですが…。

 
 (資料)第10回移動教室の案内文です。


    <第10回きいちご移動教室> 

  カラマツ芽吹き、風薫る嬬恋(つまごい)高原

    『遥かなる絆』原著者・城戸久枝さんとともに

 昨年の旅で子どもたちが雪合戦に興じた白根山の麓(ふもと)・嬬恋高原に遅い春を訪ねます。シャクナゲの花園とカラマツの芽吹きが私たちを迎えてくれます。

 南側にそびえる浅間山のふもとは「満蒙開拓団」生き残りの人たちが戦後、再入植して開拓の鍬(くわ)をふるったところです。

 昨年NHKで放映されたドラマ『遥かなる絆(きずな)』の原著者・城戸久枝さんが一緒に旅をしてくれることになりました。夜の交流会で城戸さんのお話を聞きます。

 昨年5月、木島平の宿で久枝さんのお父さん・城戸幹さんと養母・付淑琴さんの別れの場面をみんなで見ました。一年後に娘さんにお会いできるなんて夢のようですね。ゆっくり交流しましょう。

 ①目的地 群馬(ぐんま)県嬬恋(つまごい)村

 ②宿舎 千代田区立嬬恋自然休養村 (電話)0279-96ー1280

 ③日程 2010・5・15(土)~5・16(日)
                         以下(略)

 
 今回も数人の方から「きいちご多文化共生基金」に寄付をいただきました。基金は市民の寄付のみで運営されています。おかげさまで移動教室参加者の負担を最小限(大人5000円)にとどめることができます。

 一年間に1000円程度以上の寄付をしてくださる方は自動的に会員になります。会員は移動教室などの活動に参加できます。宜しかったら是非、ご検討下さい。

 シャクナゲの群落が今や遅しと待っていてくれるでしょうか。5月の連休明けに下見に行きます。ご一緒できる方がいたら連絡してください。一泊旅行です。

  シャクヤクhttp://asama-kogen.info/shaku/album/page_thumb11.html

川越城址を公園に

2010-04-05 10:48:23 | 川越・近郊
 4月4日(日)曇り

 川越城中ノ門堀跡公園がオープンしたと聞いたので自転車で探索に行ってみました。前日に城周りを歩いたときに探したのですが見あたらなかったのです。

 意外なところにありました。市役所からほど近い道路脇です。

  中ノ門堀跡公園 http://kuwabara03.blogspot.com/2010/03/201041.html

 この公園の完成を報じる新聞記事です。

 川越城 中ノ門堀跡公園が完工(2010年3月29日 読売新聞)

 川越城の旧城内に唯一現存する堀で、県史跡に指定されている「中ノ門堀跡」(川越市郭町)の史跡公園化整備工事が完了し=写真=、28日、地元住民や市、市議会関係者が参加して完工式が行われた。4月1日から一般に無料開放する。

 同堀跡は、江戸時代初期に始まった城の大規模改修工事の際に造られた堀の一部とみられ、長さ約46メートル、幅約20メートル、深さ約5メートル。

 明治時代以降、城の多くの建物や施設が取り壊されたり、埋め立てられたりしたが、同堀跡は民有地の中に残されていたため、史跡公園として保存しようと市が2008年に取得、09年10月から整備していた。

 史跡公園の入り口には、歴史的景観を考慮して2本の柱に横木を通した高さ3・1メートル、幅3・7メートルの「冠木(かぶき)門」を設置。門を入った所に休憩スペースを設け、ベンチに座ったまま堀跡を見学できるようにした。

 堀の内側には、景観上の配慮と土崩れ防止のために芝などを植栽。堀の東側上部には高さ約2メートル、長さ約40メートルの白壁風の土壁を巡らせ、敵襲に備えて鉄砲を構える穴「鉄砲狭間(ざま)」も設けた。

 市文化財保護課は「蔵造りの町並みと川越城本丸御殿を結ぶ中間にあり、川越観光の拠点となることを期待している」と話している。開園時間は午前9時~午後5時。年末年始は閉鎖。 

 出典http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20100329-OYT8T00026.htm

 城内の「中ノ門」近くにあった空堀が民家の中に残っていたようです。それを「用地取得を含む総工費約1億8000万円」で公園にしたといいます。


 ぼくは先日、佐倉城内のすばらしい空堀を見てきたばかりです。

 佐倉城・馬出し空堀http://www.tateyama-town.com/photo/pic/0017498/

 せっかく作った関係者には申し訳ないけれど、どうしても比較してしまいます。あまりにも「ちんけ」です。

 川越散歩の途中に一休みするポケット公園としてはいいかもしれませんが、ぼくなどはどうして川越城はこんな無様な姿になってしまったのかと考えてしまいます。

 「明治時代以降、城の多くの建物や施設が取り壊されたり、埋め立てられたりした」のはどこの城跡も同じです。しかし、川越城址のように「本丸御殿」の隣まで民家が侵入し、空堀跡まで市街化している城跡がどこにあるのでしょうか?

 どうしてこんなことになったのかを知りたいのですが今のところ解りません。維新の時、幕府側についた大名の城跡が徹底的に壊されたと聞いたことがありますが、会津若松城址は健在です。人々が知恵を絞って保存に尽力したからでしょう。

 川越の場合は藩庁や武士に債権を持つ町人が我先にと接収したのでしょうか?

 川越は関東有数の城下町だったわけですが肝腎の城跡が蚕食されたため今や城下町の風情はありません。

 市当局が何とかしようとして本丸御殿を改修したり、堀跡を公園にしたりしている努力は解ります。しかし、もう少し、大きな事を考えるべきです。

 少なくとも本丸御殿の周辺一帯を公園にすることです。川越高校を郊外に移転させることから始めるべきです。川越女子高と統合して移転させれば市街地が面目を一新するかもしれません。

 年間、六百万の観光客に恵まれる川越は今時珍しく幸運な町です。末永く人々の心を潤す町でありたいものです。そのために少しは大きな都市計画を立てて市民の協力を求めるべきです。
 
 川越高校は最近立派な校舎を建てたようです。市長や知事は何を考えているのかと思います。

 参考・川越城http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Oshiromeguri/KawagoeJyo.html

川越・新河岸川 桜祭り

2010-04-04 10:21:10 | 川越・近郊
 4月3日(土)晴れ

 我が家から歩いて7~8分のところを新河岸川が流れています。入間市で入間川から分水した赤間用水が川越市街にはいるところで新河岸(しんがし)川と名を変えます。太田道灌が築いた川越城の堀として市街の北東部を流れたあと、関東平野を南下して隅田川となります。
 
 赤間用水http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/2519/redspace/redspace.htm
 

 隅田川は江戸時代から花の名所ですが、川越でも氷川神社の裏あたりの新河岸川が桜の名所です。

 午前中に散歩に出てみたらちょうど和舟の第一船が船出するところでした。

 下流をせき止めて水量を増した掘り割りを二艘の舟が行き来します。花は7~8部咲きでまさに春本番です。

 昨日の様子を紹介するブログです。

 新河岸川さくら祭り 2010http://ton-q.at.webry.info/201004/article_3.html

 昼前に妻を誘ってもう一度出かけました。賑わいを増した会場では歌や踊りのグループが次々と芸を披露しています。
 近年までは妻の母も出ていたのですが90を過ぎて引退しました。ただの一度も晴れ姿を見たことはありません。小柄ですが若いときはとびきりの「美人」で、歌は年をとってからも上手でした。今となっては申し訳ないやら、残念やら…。

 生まれは日本橋の小伝馬町で、いうところの「江戸っ子」です。晩年は娘の住む川越に移住し、夫を亡くしてからは一人住まいです。地域の人々とともに歌や踊りの会などに参加し、暇をもてあますなどということはなかったようです。さすがに最近はデイケアーに通うようになりました。
 戦時中・戦後と大家族の長男の嫁です。苦労も多かったはずですが愚痴を言うこともなく、運命を甘受して淡々と生きてきたように見えます。妻を生み育ててくれた人ですからただそれだけで感謝ですが、こんな風にはとても生きられないなと思わせてれます。人間のできが違うとしか言いようがありません。
 

両総公園巡り(下)

2010-04-03 08:59:04 | 出会いの旅
 4月1日(木)晴れ時々曇り

⑤国民宿舎白子荘から見える日の出

目が覚めると部屋(3F)から太平洋に朝日が昇るのが見える。この国民宿舎は古くてエレベーターがないのが困るが新しい経営者の心配りが感じられてまた利用しようと思う。

 http://www.jalan.net/kankou/spt_12424aj2202035413.html

⑥片貝漁港
 作田川の河口に創られた漁港だが近年防潮堤を長くのばして拡張しているようだ。何時か砂で埋まってしまわないだろうかと心配になる。
 地元の人に高村光太郎詩碑への道を聞いたら港のそばの夢二の碑のあるところまで案内してくれた。勘違いされたようだ。(高村)智恵子の妹さんはこの地に住み着いたと教えてくれる。


http://www.pref.chiba.lg.jp/nourinsui/14gyokou/gyokoseibi/chibanogyoko/katakai.html

⑦ 伊能忠敬記念公園

 片貝の港から内陸に入った小関という村の生家跡に創られた小公園。槙の生け垣で囲まれた家々が続いている村のたたずまいがいい。近くの妙覚寺まで歩いてみた。

http://www.99beach.com/kankoh/list/area3_inou.html 

⑧伊藤左千夫生家

 成東の町の入り口にいちごを売る店があったので寄る。すぐ近くに伊藤左千夫の生家。店の人は娘時代に生家の掃除などをしたものだという。

http://www.99beach.com/kankoh/list/area3_itosachio.html

 遠い昔、映画『野菊のごとき君なりき』を見た。中学生の時だ。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24595/

⑧佐倉城址公園

 旅の終わりは佐倉城址とする。昔、国立歴史民俗博物館を見学した時から城跡をゆっくり歩いてみたいと思ってきた。

 川越と同じように江戸幕府の重臣の城跡で維新後軍の施設になったが、宏壮で風格のある城址公園として整備されている。
 本丸跡の広場のあちこちに花見の人々の輪がある。

 川越城址は無惨である。川越高校など公の施設が占拠しているだけならともかく、無数の民家が侵入している。こんな風情のない城跡も珍しい。

 近頃新しい市長が「風格のある都市」造りなどと言っているがこの城跡を何とかしなければむなしい。川越高校などは直ちに撤去し、旧城内の民家も移転させ、市民の憩いの場にする方向に検討ぐらいしたらどうか。

 ぼくは川越に住んで41年になるがみみっちい商魂ばかりが見える街で、およそ「風格」
とは無縁である。やっているのは箱庭いじりのような街の改修ばかりだ。

 佐倉城址には谷戸のようなところもあり、歴博の見学を含めれば一日は過ごせるところだろう。
 ぼくの生徒だった人や父の同僚だった方の住む町でもある。今度は泊まりがけで来ようと思った。

 佐倉城址公園を紹介する行き届いたブログがある。ゆっくりご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/mh-yamaji/album/10109439/

両総公園巡り(上)

2010-04-02 06:47:46 | 出会いの旅
 3月31日(水)晴れ

 妻が東金に用事が出来たというので朝早く出発。この機会に両総(下総・上総)のあちこちを訪ねることにする。

 川越~(高速)~柏~印旛沼公園(印旛村)~泉自然公園(千葉市若葉区)~八鶴湖(東

金)~茂原公園(茂原市)~国民宿舎白子荘(白子町)

①千葉県立印旛沼公園

 印旛沼を見下ろす丘の上に広がる公園。近世の師戸(もろと)城址を蘇生させたようだ。広々として気持ちがいい。新しく指定管理者になった会社の方があちこちの手入れに余念がない。

  印旛沼公園http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/j_kouen/kenritsu/park/inba/sisetu.html

  師戸城http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Chiba/Moroto/index.htm


②泉自然公園

 自然の谷津(谷戸)を利用した広大な公園。実にすばらしい。のんびり歩けば半日はかかる?

 谷戸とはhttp://www.shibuyacommon.org/2007/page2_2.html 

 カタクリの群生。花盛り。http://www.geocities.jp/ikebokujinjp/web50.html

 桜はこれから。

③八鶴湖(東金市)

 約束の時間より早く東金に着いたので市の中心部にある八鶴湖に寄る。湖畔に東金高校がある。小さな池だが桜の名所。5分咲きぐらいか。平日なのに大にぎわい。スライドショウをごらんになってみて下さい。

 http://hanachan62jp.photo-web.cc/0704hakkakuko/01.htm

④茂原公園

 妻の用事も比較的短時間で済んだので茂原公園を歩く。桜の名所。ここも人出が多い。自然の谷津を生かした市民の憩いの場。周りの丘を歩いてみた。

http://johokan.net/sightseeing/CONTENTS/mobarapark.html

 4時半頃、九十九里海岸の白子荘につく。温泉は「かじめ」湯。古い国民宿舎だが心づくしの料理が本当に美味しい。これで6600円也はありがたい。

 草加から来たという方はここに3泊して海岸を歩く日々を送っているという。ぼくは歩き疲れて7時半には夢の中へ。