川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

田端克敏さんとその仲間たち 恒河沙書展

2009-09-25 07:08:34 | 友人たち
 21日(月)大島高校時代の同僚である田端さんから書展の案内をもらったので国立に行きました。本川越から国分寺行きの直通電車があるのに驚きました。国分寺で中央線に乗り換えると二つ目です。便利になったものです。

 田端さんと6人の元生徒のグループ展です。18年も続いています。月一度は集まり批評会などやっているというから驚きです。

 中国アモイから来た留学生や大島高校OG たちとの出会いがあり昼前から夕方まで思いがけない交流のひと時をすごしました。

 林くん(新潟大学大学院)朱さん(武蔵大学大学院)は田端さんご夫妻がアモイで日本語の先生をしていた時期の学生です。中国の学習方法は暗記中心です。試験終了と共に授業内容はすっかり忘れるそうです。朱さんは日本語教育の研究をして将来は大学の先生になりたいようです。学習方法を一変させる先生になってほしいと田端さんは期待しているようでした。

 大島OGは65年3月卒業の倉本さん、浜田さん、房さん。僕が赴任する一年前に卒業した人々です。高校時代に田端さんの書の授業を受けたそうですがこうして再会するのは卒業以来だといいます。
 
 田端さんの奥さんの道子さんのブログが3チャンネルで紹介されたのを倉本さんが見たのがきっかけで誘い合ってきたのだということです。44年以上の月日が経っていますが互いにすぐにわかりあったようです。田端さんはHR担任であったわけではありません。着任早々の先生と生徒だったのです。
 
 浜田さんが卒業時に先生に書いてもらった文章を持ってきました。自分のことをここまで見ていてくれたかとずうっと大切にしてきたのです。ほかの二人も田端さんに書いてもらった文章を覚えているようです。
 
 これらのことを田端さんはすっかり忘れています。書を見て人柄がわかるといいますが23歳の田端さんの心がしからしめた業なのでしょう。いつどこにいても一人一人の生徒たちの人生に優しい目を注いできたのに違いありません。

 やがて浜田さんと房さんが僕の担当した生徒のお姉さんであることがわかりました。話題が尽きることなく交流が夕方まで続いたのは当然ですね。

 田端さんがなぜ、55歳で教員をやめ、ご夫妻で日本語の教師として中国に行くことになったのか。10年を越す日本語教師の生活にかかわって貴重な話を伺ったのですがこれは他日に。ちっとやそっとでは聞けない日本の宝のようなお話です。

 田端さんご夫妻のHPです。時間をかけてゆっくりご覧ください。このお手製の絵葉書をいただきました。

 つれづれ日記http://blog.livedoor.jp/suisaim/archives/51345983.html

 日本語教師時代の思い出 http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/
 

 田端道子のページhttp://suisai.nttdsys.com/blog/120/

 

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