川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「誰が祖国を分けてしまったの」 イムジン河 (2)

2008-06-28 20:31:58 | 韓国・北朝鮮
 27日(金) いつもの通り、豊洲の「竹ちゃん」でちらし寿司を食べたあと、時間があったので炭火焼きコーヒー店で一休み。癌研有明病院へ。ここにもコーヒー店が開店したばかりで顔なじみの看護士さんが行列に加わっていました。
 主治医・西尾先生。血液検査の結果、赤血球・白血球などの数値は回復基調で心配はないとのこと。したがって予定どおり7月には4回目の抗ガン剤の点滴をやります。7月12日にぼくも呼びかけ人になっている「教育大新聞会OBG会」があるので入院はそのあとにして貰うことにしました。3回目の点滴から4週間以上経ってしまいますがよかろうとのことでした。これからしばらく自由の身になったような気分です。
 疲れたのか、夕方7時半には就床。今朝もなかなか起きられず、朝ドラは昼の部を見ました。下肢のシビレ(副作用)が続いています。

 さて自問自答です。「誰が祖国を分けてしまったの」

 
 朝鮮戦争を誰が始めたかについてはいろいろな研究・著作があります。次のブログを参照してください。

 http://www.piks.or.tv/book/war.htm
 
 これらのうちぼくが読んだのは和田さん、赤木さん、荻原さん等の著作ですが北朝鮮当局や朝鮮総連から「友人」とみなされている和田さんの本でも、朝鮮戦争を発動したのは金日成とされています。北当局や朝鮮総連、その取り巻きの詭弁を別にすればほぼ勝負はあったというべきでしょう。
 中国革命の成功(49・10・1)に勢いを得た金日成はスターリンを訪ねて説得し、毛沢東の支持をとりつけて50年6月25日「祖国解放戦争」に打って出たのです。済州島の蜂起(48年4月)以来の韓国での反政府闘争を有利な情勢として過大評価したり、米軍の介入をないものとしたもくろみがはずれ、「統一・解放」に失敗したのです。
 
 数百万の民衆を犠牲にしながら、その責任を南朝鮮労働党の指導者などになすりつけて「粛正」し、金王朝の栄華を築き上げていく歴史は皆さんも学んだでしょうか。

 ならばこの国を分断したのは誰か。
 
 日ソ中立条約を破棄し、「満州」や朝鮮半島に攻め入り(45年8月9日)、北部朝鮮を占領したのはスターリンのソ連軍です。彼らはどういうわけか、38度線で踏みとどまり、南部の占領を遅れてきた米軍に任せました。ヤルタの会議などで日本敗戦後の朝鮮半島分割占領が密約されていたものと考えられます。

 北部ではその後、金日成を頭に押し立てながら地主勢力の粛正・追放など社会主義朝鮮の「基地」づくりがソ連軍をバックにすすめられます。実質的にソ連好みの国が作られていったのです。
 南部では米軍の手で共産主義者が弾圧され、やがて李承晩の反共政権が樹立されます。(48年8月15日)

 こうした事態をふまえて「だれが」を考える必要があります。
 
 第二次大戦後の勢力拡大を目指す米(ルーズベルト、トルーマン大統領)ソ(スターリン首相)が深く関わっていることは間違いありません。しかし、様々なひとびとによる分断固定化を許さないとする努力にもかかわらず「北進統一」を唱え続けた李承晩、「南進統一」戦争に踏み切った金日成。これらのひとびとにも重大な責任があるのは事実です。とくに、戦争という最終解決の道を選んだ金日成の責任は免れないとぼくは考えます。

 この歌は北朝鮮の歌だということです。二番の歌詞はもともと次のような意味で「誰が祖国を分けてしまったの」は訳詞者の創作だといいます。


   川向こうの葦原では ヨシキリが悲しく鳴き
   干からびた大地では 草の根を掘るばかり
   協同農地に実った稲穂の 波の上で踊れるのなら
   リムジン河の流れを なぜに耕せん
 
 出典 「リムジン川の本当の歌詞」http://www.han.org/hanboard/c-board.cgi?cmd=one;no=243;id=
 
 社会主義・朝鮮は「千里馬(チョンリマ)」の勢いで躍進し、共同農場の稲は豊かに実っているのに、アメリカ帝国主義の植民地・南朝鮮では食べるものもなくひとびとは草の根を掘っている。そんな意味でしょう。

 「アメリカ帝国主義とその傀儡政権(韓国)のもとで苦しむ南朝鮮人民」を「解放」せんとする人の叙情歌です。訳詞者が何故、こう訳したのかは解りませんが、当時日本では漠然とではあっても「誰」とは「アメリカ」を意識して歌う人が多かったのではないかと思います。

 今でもいい歌だと思っている人がいます。メロディに釣られて歌ってしまうこともあります。しかし、みずからの誤りを問わないで、責任はみな他者になすりつける独裁政権の宣伝歌ともいえます。少なくとも今歌う人にはこの歌の歴史的な意味を考えてほしいとぼくは思います。

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