川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

滝野川5丁目  倍賞千恵子さん

2011-12-28 07:05:22 | 映画  音楽 美術など

僕は近年まで倍賞千恵子さんが歌手だということを知らなかった。女優「さくら」としか。

 パソコンをやるようになってから時々聞いている。いい歌声に魅了される。

 アニー・ローリー●http://www.youtube.com/watch?v=RhDqoceIpmA&feature=related

倍賞さんにはなんとはなしに親しみがある。年も同じ(1941年生まれ)だが北区滝野川に縁があったことが共通しているからかもしれない。

 倍賞千恵子

東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県疎開北区立滝野川第六小学校北区立紅葉中学校(現・北区立滝野川紅葉中学校)卒業。父は都電運転士だった。

1957年松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団する。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/

 

 僕が池袋商業高校に赴任したのは1969年でこの年に寅さんの第一作が出ている。(キラキラと輝くような魅力に昨日は魅了された。)ヴェトナム戦争の真っ盛りで王子野戦病院撤去闘争のさなかだ。

 お父さんが都電の運転手であることは僕でも知っていたし、生徒間でも話題になっていたろう。しかし、池商の隣にある「紅葉中」の卒業生だと知ったのは近頃のことだ。池商生なら誰もが覚えているガスタンクの近くに住み、あの坂を上り下りして通学していたのだ。

 69年にはもう著名な俳優になっていたから実家には居なかったのかな。残念ながら「生で見る」幸運には恵まれなかった。

市民運動を共にした八木さんの家は「滝六」の見える高台にあった。省悟くんたちとお邪魔しては語り合った。辺りは古い民家が密集していた。倍賞さんはご近所さんだったのかなあ。

   

 「東京ガス」となっている辺りに巨大なガスタンクがあり、池商生は嫌でも見上げるしかなかった。「公園」となっている辺りからが池商跡だが、来春からフランス人学校がここに開校する。

 倍賞さんの映画を見て通いなれた滝野川を思い出した。来春には「順子号」で訪ねてみよう。八木さんの奥さんやキツネ塚商店街の金秀軒のご夫婦にお会いできるかもしれない。

 倍賞さんのコンサートにも一度は行ってみたいものだ。

 きつね塚通

キツネ塚商店街●http://blog.livedoor.jp/burzum_555/archives/173305.html


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