川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

秋和の里(下)

2007-05-12 17:27:03 | 出会いの旅
 北国街道に面した寺院に車を置き、伊良子清白の足跡を見い出そうと秋和の村を歩き回りました。養蚕の盛んだった頃を偲ばせる廃屋の前で土地の人の話を聞きました。この村の家の多くが倉を持つ立派な作りであるのは、かつて、蚕種を製造販売して全国的に名をとどろかせたことによる、当時は塩尻村といったという。小さいときは家業を手伝って桑摘みに精出した僕と同世代のこの方の記憶の中に「秋和の里」にまつわる話は残っていないようです。昔の公会堂のあとが学童保育や老人のセンターになっていて、賑わっていたので寄ってみましたがやっぱり手がかりはありません。しかし、子どもたちと交わる大人たちの振る舞いが好ましく感じられ、いい気分になって帰路に就きました。
 車に乗る前に念のため寄った酒屋の主人との会話が事態を一変させました。主人は何事も言わず、私たちを古色蒼然たる旧家に案内し、滝沢宗太という<高原大学学長>に取り次いだのです。滝沢さんは私たちを先祖の写真が並ぶ表の間に招じ入れ、遠来の客としてもてなしてくれました。見るからに精悍な偉丈夫です。幾つに見えるかと問われたので、その貫禄ぶりから、90代に見えるとこたえました。1914年生まれの92歳でした。
 『滝沢秋暁著作集』(1971年刊)という大冊と『高原大学報』(153号・07年2月刊)を戴きました。この本をめくるとP516に「秋和の里」が載っており、サブタイトルとして「秋暁に贈る」とあるではないか。秋暁とはこの方の祖父であり、明治28年(1895)からの一時期、『文庫』という文芸誌の編集に関わり、河井酔茗、伊良子清白、横瀬夜雨ら文庫派といわれる文人を結びつけた人であるらしい。病を得て帰郷してからは蚕種製造の家業を継ぎながら作品を発表し続けた。
 清白は明治35年(1902)の秋、越後への旅の帰りにこの先輩を秋和の里に訪ね、月明の下を秋暁と二人で歩いた時の感興を詩につくり書き送ったのです。滝沢さんは清白からの書簡のコピーをみせてくれましたが、達筆で僕にはとても読めません。著作集に収録されている書簡によれば、「五日午後七時三十三分上田着、夜中御伺申上、六日午前十時三十三分上田発にて上京」と記されています。わずか15時間の滞在です。短い時間でも尊敬する先輩に会いたかったのでしょうか。「夜中甚だ恐入り候得共ここまで参りてお伺いせざるもいかが、且は今度何時都合良き時機到来するやも難計致につき是非御訪問申度と存候」とあります。
 訪ねる清白、迎える秋暁。僕はこういう交友が好きです。(川越まで遊びに来ても「啓介さん、居るかい」と声をかけてくれないと友だち甲斐がないと思ってしまいます)。清白の詩をこのような歴史の中において読むと詩人の喜びがひしひしと伝わってきます。
 これで「秋和の里」に関わる謎はほとんど解けました。上田あたりを佐久の平と言うのは無理があるがこれは蓼科山に対する詩人の言葉であろう、「酒うる家」は上田からの途中にあった「米万」という居酒屋のことだと滝沢さんは補足してくれました。上田駅で旧友と再会した二人は一里あまりの田舎道をどのような会話を重ねながら秋和へと歩いたのでしょうか。
 本をめくっていると佐藤春夫が1947年10月6日に秋暁に書き送った詩が出てきます。

 亡き清白が詩に恋ひ
 思ひ久しき里に来ぬ
 時に秋和の秋まつり
 里の翁を見まく欲り

 この翁こそそのむかし
 詩あげつらひ文を説き
 口利き人と知られしを
 世にかくれ住み老い給ふ
 
 観潮楼の大人に似る
 いかめしき髭白くして
 いとなごやかに物言へど
 かくれがたなしその才は
 
 酒うる家のさざめきに 
 まじる夕の雁の声
 そは聞かねどもめづらしき
 言のかずかず聞けるかな
 
 桃山屏風なつかしく
 芳年の帖 晩霞の絵
 つきぬ絵がたり詩がたり
 むかしがたりもまじりたる  
 
 清白が旅 夜雨の恋
 都に見たる古沼の
 今はたありやあらずやと
 且つ問い語る主ぶり
 
 思ひそぞろぐ客人の
 時を忘れしその間に
 あるじまうけの温かき
  茸の飯や烏賊の菜

 これも翁がもてなしか
 かへるさの途 月澄みて
 興尽きざりき 忘れめや
 秋和の里の 秋一日
 
 僕は佐藤春夫が訪ねたその部屋で、60年後、滝沢秋暁の孫に会っていただいたのです。築400年にはなるという古い民家の表の間で今、宗太さんが座っておられるところにかつて、秋暁が座り、清白を迎え、佐藤春夫を迎えたのでしょうか。高校の教科書で記憶に残された一編の詩がこのような出会いを作ってくれたことに僕は言いしれぬ感動を味わっています。
 宗太さんの高原大学学長としての活動も興味深いものがありますが、また機会を作ってお話を伺いたいと思います。別れに際し、大きな手で力強く握手をしてくれました。

 僕がインターネットをはじめて間もない頃、「佐久の平のかたほとり」をネット検索していて出会ったブログがあります。
    『ふらり道草』
 2006年9月の記事「旅の詩「信越Ⅲ」」のコメント欄に記された伊良子清白の詩「秋和の里」にたどり着いたのです。
 「道草」さんに改めてお礼申し上げます。


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1 コメント

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邂逅 (カツヨシ)
2007-05-13 09:39:55
 啓介さんの「言い知れぬ感動」がズシンと心に響いて、朝から晴朗な気分を味わっています。往時の文学少年・啓介君が生き生きと息づいています。ぼくも、詩に親しんできましたが、「詩の世界に浸る」とはこういうことかと、改めて教えられました。
 文学史のあまり目立たぬ位置に「文庫派」と呼ばれるグループがあって、河井酔茗・伊良子清白・横瀬夜雨などがいる、と知ってはいましたが、作品にほとんど触れたことはなく(河井酔茗の「ゆずり葉」は愛誦していますが)、今回の一文に蒙を啓かれる思いでした。明治の青年たちの躍動する心とそれに共鳴する啓介さんの思いが、こちらの想像力を強く刺激してくれて、何か懐かしいものに出会った喜びを与えてくれました。ありがとう!
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