川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

北山正樹さん  十勝の旅印象記⑥

2012-07-27 07:02:33 | 出会いの旅

7月5日(木)~8日(日)

 北山正樹さん・陽子さん夫妻は(北海道池田町)大森滞在中、ずうっと付き合ってくれました。正樹さんは10年前には本別町押帯(おしょっぷ)の生家跡に連れて行ってくれました。父の鈴木八郎さんは養子に行くのがいやで伊豆の大仁から農林省に直接申請してここに入植したといいます。同世代の中では珍しい開拓2世です。

 70台になった(僕よりはひとつ上です)今回のお話には「養子」という言葉がたびたび出てきます。

 帯広農業高校を卒業して十勝支庁への就職が決まっていたのにもかかわらず、それをキャンセルして陽子さんとの結婚を選び北山家の跡取り「養子」となったのです。お父さんは反対しましたがかわいい陽子ちゃんを守るのが第一と心に決めたのです。

 北山家は陽子さんの祖父の代に石川県から利別川のほとりの大森に入植しました。手取川ダムの建設でおじいさんの村は湖底に沈んだといいます。

 結婚以来半世紀、畑作一筋に励んで農地を拡大し北山農場は人がうらやむような成功を収めました。もともとが十勝でも恵まれた肥沃な土地であったところに北山さんの叡智が付け加わったのです。それでも人目には順調そのものに見えるだろうが「養子」の身にはいろいろと心を砕くところがあったのだよ、と僕には聞こえました。義父は神様のような方だったとも聞きましたがー。

 今は農地を知人にゆだねて悠々自適の身です。6日朝には里山の「正樹の森」に連れて行ってくれました。カラマツの森をナラなどの落葉樹の森に作り変えました。明るい臨床にキリギリスがたくさん棲めるようにするつもりです。十勝でもキリギリスは帯広のデパートで買う時代になっているのです。池も三つ。涼しい風が吹き渡る別天地です。

 大事な決断をするときには生家跡のナラの木の下にいったと聞いたことがありますが、老境に入ったこれからは正樹の森が大切な場所になっていくのでしょう。ブルを入れて切り拓いた道が開通したばかりでした。

 7日(土)には正樹さんご夫婦が十勝の丘・真鍋庭園・帯広競馬場などに案内してくれました。長くばんえい(輓曳)競馬の馬主であった北山さんには帯広競馬場はホームグラウンドのようなところでしょう。

 初めて見るばんえい競馬。馬も大変だなあ、生きるというのは。

北山さん夫妻は7日の夜、「北物語」で小宴を開いてくれました。森田房子さんと高橋義一さんが加わってくれました。

房子さんは隣の本別町負箙(オフイビラ)から二つ年上の驍(たけし)さんのお嫁さんになって以来酪農もやる農家ですからそれこそ休みなく働いてきた方です。驍さんが体調を崩して酪農はやめ畑は知人にゆだねていますが家の周りの自家菜園はただならぬ広さです。毎年、手塩にかけたジャガイモを我が家にも送ってくれます。  

 義一さんは50年前に初めて大森に世話になって以来、私たちを受け入れる窓口役を続けてくれた方です。学生時代にここをたずねてフォークダンスのひと時をすごした清水さんのことを懐かしがっていました。半世紀間僕もお会いしたことのない後輩です。今は東京で弁護士をしているはずです。

 広尾の石沢さんのことをよく知っておられました。十勝の森林組合の組合長同士で義一さんにも印象深い方のようです。別々に出会った方が知り合いだったのです。情の厚い人ならではのことでしょう。

 僕はいつも感心しています。政治的な考えや立場を異にする人々がここでは互いを認め合って協力しています。北山さんと義一さんの関係もそうです。義一さんが年上ですが互いを尊敬しながら地域の活動をともにしています。

 僕もこの半世紀、おかげで心置きなく大森の方々の世話になり、少しは人間の幅を広げることができたのです。来年は池袋商業高校の生徒たちが世話になるようになって40年になります。何人かでも顔を見せてくれるといいなあ。

 


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