goo blog サービス終了のお知らせ 

川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

鈴木啓介の運命 「がん医療の現場」

2012-03-13 06:02:19 | 病状

明日(3・14)から2~3日「川越だより」はお休みです。

2010年12月に放送されたフジTVの番組が読み物にもなっていることをやっと知りました。今年から中川院長は名誉院長となり、癌研外来での診療を続けておられます。中土佐町からほど近い梼原町の育ちです。 

 2010年12月20日

がん医療の現場
Vol.10「ダブルチェックを疑え ~健診の知られざる実態~」
都立高校の社会科教師だった、鈴木啓介さん、69歳。
2005年、職場の健康診断で左肺におよそ7cmのガンがあると告げられた。
この時、手術を担当することになった医師が、ある疑問を抱いたという。
「毎年、レントゲンを撮ってるのに、1年でこんなにデッカくなるっていうのは、 ちょっとおかしいから、前のやつ(2004年)を病院へ行ってもらってきてくれと」 (鈴木啓介さん)
三千例を超す肺ガン手術を手がけている、癌研有明病院の院長・中川健医師。
2005年当時に主治医として、鈴木さんの2004年に撮影されたレントゲン画像を確認したところ、目を奪われた。
「私は驚きましたよ、これ、今年(当時2005年)の間違いじゃないのって、その時言っちゃいましたけど。」
Q,それはなぜ?
「だって、あまりに立派なもの(ガン)があるのに、これがチェックされてないからです。  これは見落とされた方が、はっきりと責任があると思います」
鈴木さんが肺ガンを告知された、2005年の画像。
2004年の段階でも、すでに6センチほどのガンが見えていた。
さらに、2003年の画像にも、ガンの影があった。
「それは早い段階で見つかっていれば、見つかっているほど、治る確率的には増えたと思います。少なくても、今よりは症状が軽かったということは言えます」
(中川健医師/癌研有明病院院長)
鈴木さんは手術で左肺を全て摘出したが、リンパ節の転移があり完治できなかった。
2008年には、右肺に転移。
“あと一年、手術が早ければ完治できたかもしれない”、そんな思いがよぎる。
「素人目でも分かるものが、見落とされていたということですから、どうしてだろうと」
(鈴木啓介さん)
鈴木さんが健診を行った関東中央病院に説明を求めたところ、当時の病院長ら関係者が自宅を訪れたという。
「明らかに影がある、これを見逃すということは、ちょっと有り得ないことでありまして、何らかの理由でそれを見なかったのではないかと。 本当に深くお詫び申し上げるしかございません」
(鈴木家が関東中央病院側の承諾を得て録音した音声記録より、院長の発言)
実は、鈴木さんの肺ガンを見落としたのは、当時80代の開業医だった。 関東中央病院は、都立高校教員の健診に必要な検診車を持つA事業団に委託。 そこからB社を経て、開業医(80代)がレントゲン画像を読影するという、二重三重の下請けの構図が存在していた。
納得がいかない鈴木さんが、さらに詳しい説明を求めたところ、開業医から『詫び状』が届く。 ボールペンで、こんな言葉が綴られていた。
『今後、このような事態を避ける為には、読影者を複数にするしかないと思います』 
当時の事情を聞くため、取材班が開業医を訪ねると、開業医の診療所は二年前に廃業していた。 開業医は2005年当時、推定83歳。 命を左右する健診の読影作業は、高齢の開業医ただ一人に委ねられていた。 レントゲン画像の読影は、見落としを防ぐため、 二人の医師によるダブルチェックが基本である。 しかし、コストがかかるため、必ずしも徹底されていないという。
「読影の管理は、わが国では行われてない。 同じ日本国民なのに、住んでいる所や、受けている検診機関によってバラつきがあるのは事実なので、それを何とか改善していかなきゃいけない」
(西井研治医師/日本肺癌学会•集団検診委員会)
取材に対して、関東中央病院は画像のダブルチェック体制をとっており、2005年当時、A事業団に対して、契約時にダブルチェックを指示した、と回答している。 だが、結果として、鈴木さんの肺ガンは見落とされた。
原爆の図の作者であり、ノーベル平和賞の候補になった、丸木夫妻の美術館。
ここで鈴木さんは、ボランテイアでガイドをするつもりだったが、 肺ガンで体力が低下、断念せざるを得なかった。
「人の命というのは、皆それぞれに大切で大事なもので、 それはまた、社会にとっても大事なものです」
(鈴木啓介さん)
これまで、知らされていなかった、レントゲン検診の限界。
そして、ずさんな実態。
肺ガンから命を守るため、いま変えるべきことがある。
2010年12月15日

出典●http://www.fujitv.co.jp/nj/jidai_no_chart/jidai_no_chart_cancer.html

TV放送の画像はこちらです。●http://www.youtube.com/watch?v=BG9uiim3u7o


中土佐・矢井賀の人

2012-03-13 05:14:30 | 病状

3月12日(月)☼

抗がん剤・タルセバ服用開始から21日。11時過ぎ、癌研有明病院で西尾医師の診断があった。

「血液検査に異常ナシ。X線間接撮影を見る限り、肺炎の気配はなく、癌は小さくなっている。このまま服用を続けよう。」

このところ鼻や口の周りに湿疹ができ一部はカサブタ状を呈するようになった。タルセバの副作用だが痒くもないのでなんとかなっている。

このままの状態が続いていくといいなあ。次回の診察は19日。

嬉しい出来事。

待合室で声をかけてくれる方がいた。川崎のHさん、ガン友。奥さんが高知県中土佐町の出身で「川越だより」のファンだとおっしゃる。僕の入院の時期に病室を訪ねてくれたが会えなかったらしい。

嬉しいな。今度は是非、奥さんにもお会いしたい。中土佐町の矢井賀(やいが)というところが奥さんの故郷で、Hさんも何度か訪ねたことがあるらしい。

黒い箱で調べてみると中土佐町久礼から海沿いの県道をどんどんいった、まさに「地の果て」と行った辺に「矢井賀」が見つかった。磯釣の筏で知られているようだ。友人の奥さんが上ノ加江の出身だがそのさらに奥の村だ。

かつて、このあたりを経て窪川の台地に出て、原発の候補地とされた興津を訪ねたことがある。長い、土佐の海岸部でもまさに秘境という感じだが、「矢井賀」は通らずに台地に上がったような気がする。

 矢井賀の海

(矢井賀の浜)http://www.town.nakatosa.lg.jp/kankou/index.html

Iさんは合唱をやったり、大極拳をやったりもして「闘病」を楽しんでいるようだ。最近は家族そろってハワイの自然に親しんだらしい。

僕は無芸で「自転車」と旅(人と自然)ぐらいだが、恵んでもらった人生を楽しむのが「薬」だと心得ている。通じ合うところがあるのかな。

アドレスを交換した。「矢井賀の人」と会えるかなあ。春の楽しみがまたひとつ増えた。

今日はこれから伊豆高原の保養所に出かけます。「南の桜」が見られるかな。

http://minami-izu.jp/ev_sakura.html