7月28日(水)曇時々晴
コンビニで弁当を買って八幡平(はちまんたい)アスピーテラインを走る。頂上が近付くにつれて濃霧に包まれ何も見えなくなる。楽しみにしていた八幡沼周辺の散歩を諦めひたすら秋田県側に下る。
ビジターセンターに車を止め大沼を歩くことにする。
[大沼]
○http://www.jbs-co.com/lakeinn/
小一時間の散歩の後、沼を眺めながら昼食。森林浴のあてが外れ残念だが八幡平はここまでにする。
午後は少し遠いが雨ふりメニューにとっておいた小坂町の康楽館を訪ねることに。国道282号を北上する。
[康楽館」
○http://www.town.kosaka.akita.jp/kourakukan/kourakukan.htm
小坂鉱山を経営した藤田組が労働者の慰安のため立てた芝居小屋で今年が創立100年になるという。600円也を払って見学。
松井 誠という役者の弟子たちが常設芝居を年間を通じてやっているらしく、今は小坂の歴史にかかわる芝居の上演中だ。
芝居が命のカツヨシさんに終わりまで見せてやりたいのは山々だが、今日は思いつきで来たのでそうはいかない。さわりを見た後、舞台下などを案内してもらう。
毎年歌舞伎の公演も行われ、秋には円楽の襲名落語会もあるとか。
歌舞伎はわからないが芝居や落語ならこんなところでぜひ見てみたいものだ。今は小坂町が運営している。
[小坂鉱山事務所]
○http://www.town.kosaka.akita.jp/jimusho/jimusho.htm
長州出身の政商・藤田伝三郎の藤田組が小坂鉱山を手に入れ、1905年に建てた鉱山事務所をここに移転したものという。
展示物を読むと、小坂鉱山は伝三郎の甥・久原 房之助 (くはら ふさのすけ)の手で精錬技術の開発がおこなわれ、日本最大の鉱山になったらしい。
戦後、同和鉱業と名を変えたが今は「DOWA」グループとして小坂精練所を経営している。藤田観光も藤田組に由来する会社で椿山荘は藤田家の東京別邸であったという。
土佐の岩崎弥太郎が三菱を築いたように、奇兵隊で桂小五郎(のち木戸孝允)に師事したという藤田伝三郎がその人脈を生かして「藤田財閥」を築いたのであろう。
社会科の教師でありながら今日まで「藤田伝三郎」の名は僕の記憶になかった。
[小坂精練所]
○小坂鉱山(写真)http://maps.nifty.com/cs/catalog/map_spot/catalog_070223517331_1.htm
写真をクリックすると大きくなります。
○「“都市鉱山”を掘り起こす小坂製錬 廃家電から20種類の金属を回収」
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20100317/103416/
鉱山の雰囲気を知りたくて今も稼働中だという精練所付近に車を走らせてもらった。廃棄された携帯電話機などから金銀銅などを「掘り起こしている」という。
鉱山は閉山(1990年)し、専用鉄道も廃線となった(2009年)が精練所を中心とする工場群は新たな生き方を模索しているのだろう。
工場群の奥まったところに曹洞宗の寺と墓地があった。墓石は新しいものばかりだ。疑問を抱いたママ今宵の宿に向かう。
[比内ベニヤマ荘]
○http://www.akitafan.com/special/detail.html?special
_id=54 ここは林業従事者の保養所だったところだが住所は「秋田県大館市比内町大葛字<金山>沢口5番地」である。
風呂で一緒になった地元の人の話では金山が盛んだったころは6000人もの人が住み映画館が二つもあったという。
小坂、花岡、尾去沢まではわかるが大葛(おおくぞ)金山は初めて聞く。
◎ここまで書いて河 政雄(は・じょんうん)さんのブログに小坂鉱山や康楽館について書いた記事があるのに気づいた。読者が時間を割いて読んでくださるように紹介する。
○「アカシアの街、小坂であったこと」http://www.inori-ha.com/tuiki1_1.htm
コンビニで弁当を買って八幡平(はちまんたい)アスピーテラインを走る。頂上が近付くにつれて濃霧に包まれ何も見えなくなる。楽しみにしていた八幡沼周辺の散歩を諦めひたすら秋田県側に下る。
ビジターセンターに車を止め大沼を歩くことにする。
[大沼]
○http://www.jbs-co.com/lakeinn/
小一時間の散歩の後、沼を眺めながら昼食。森林浴のあてが外れ残念だが八幡平はここまでにする。
午後は少し遠いが雨ふりメニューにとっておいた小坂町の康楽館を訪ねることに。国道282号を北上する。
[康楽館」
○http://www.town.kosaka.akita.jp/kourakukan/kourakukan.htm
小坂鉱山を経営した藤田組が労働者の慰安のため立てた芝居小屋で今年が創立100年になるという。600円也を払って見学。
松井 誠という役者の弟子たちが常設芝居を年間を通じてやっているらしく、今は小坂の歴史にかかわる芝居の上演中だ。
芝居が命のカツヨシさんに終わりまで見せてやりたいのは山々だが、今日は思いつきで来たのでそうはいかない。さわりを見た後、舞台下などを案内してもらう。
毎年歌舞伎の公演も行われ、秋には円楽の襲名落語会もあるとか。
歌舞伎はわからないが芝居や落語ならこんなところでぜひ見てみたいものだ。今は小坂町が運営している。
[小坂鉱山事務所]
○http://www.town.kosaka.akita.jp/jimusho/jimusho.htm
長州出身の政商・藤田伝三郎の藤田組が小坂鉱山を手に入れ、1905年に建てた鉱山事務所をここに移転したものという。
展示物を読むと、小坂鉱山は伝三郎の甥・久原 房之助 (くはら ふさのすけ)の手で精錬技術の開発がおこなわれ、日本最大の鉱山になったらしい。
戦後、同和鉱業と名を変えたが今は「DOWA」グループとして小坂精練所を経営している。藤田観光も藤田組に由来する会社で椿山荘は藤田家の東京別邸であったという。
土佐の岩崎弥太郎が三菱を築いたように、奇兵隊で桂小五郎(のち木戸孝允)に師事したという藤田伝三郎がその人脈を生かして「藤田財閥」を築いたのであろう。
社会科の教師でありながら今日まで「藤田伝三郎」の名は僕の記憶になかった。
[小坂精練所]
○小坂鉱山(写真)http://maps.nifty.com/cs/catalog/map_spot/catalog_070223517331_1.htm
写真をクリックすると大きくなります。
○「“都市鉱山”を掘り起こす小坂製錬 廃家電から20種類の金属を回収」
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20100317/103416/
鉱山の雰囲気を知りたくて今も稼働中だという精練所付近に車を走らせてもらった。廃棄された携帯電話機などから金銀銅などを「掘り起こしている」という。
鉱山は閉山(1990年)し、専用鉄道も廃線となった(2009年)が精練所を中心とする工場群は新たな生き方を模索しているのだろう。
工場群の奥まったところに曹洞宗の寺と墓地があった。墓石は新しいものばかりだ。疑問を抱いたママ今宵の宿に向かう。
[比内ベニヤマ荘]
○http://www.akitafan.com/special/detail.html?special
_id=54 ここは林業従事者の保養所だったところだが住所は「秋田県大館市比内町大葛字<金山>沢口5番地」である。
風呂で一緒になった地元の人の話では金山が盛んだったころは6000人もの人が住み映画館が二つもあったという。
小坂、花岡、尾去沢まではわかるが大葛(おおくぞ)金山は初めて聞く。
◎ここまで書いて河 政雄(は・じょんうん)さんのブログに小坂鉱山や康楽館について書いた記事があるのに気づいた。読者が時間を割いて読んでくださるように紹介する。
○「アカシアの街、小坂であったこと」http://www.inori-ha.com/tuiki1_1.htm