昨夕、川越に帰り着きました。気温が低いので体調を崩さないようにしなければと思っています。忘れないうちにこの一週間のメモ。
10日(土) 室戸岬小卒業53周年同窓会。室戸・太田旅館、集うもの30余名。関東、関西、高知などからも駆けつける。差別に起因する貧困などのため登校できず、人生ではじめて会う同窓生もいる。関東からは公夫君のほか敏明君夫妻の姿、北海道出身という夫人が室戸をはじめて訪ねてくれた。真夜中まで尽きぬ話。
11日(日) 闘病中の桂子おばを見舞う。僕が送ったシベリア抑留者の絵画集を側に置いてくれている。シベリアで苦労した夫であった春利さんの生活が偲ばれるからであろう。昼過ぎ高知へ。
夜、一郎・章子夫妻が宣彦君にも声をかけてくれてミニ同窓会(中高)。会場がなんと得月楼。宮尾登美子さんの作品に登場する高知でもっとも知られた料亭。夏に見た魚梁瀬杉で作られた豪壮な天井の大広間など僕には縁のなかった世界にはいる。室戸のマグロ漁が盛んだった頃は船主は競ってここでお客をしたと聞いた。
章子さんが倫子をいっぺんこんな世界に案内したかったのだろう。地元の縁で庶民価格とかだが仲居さんが酒席の遊びをいろいろ教えてくれる。
12日(月) 徳島からフェリーで和歌山へ。海南市の藤白神社。熊野99王子の藤白王子跡という。王子というのは熊野権現の分社で参詣者の休憩所の役割も果たした。熊野古道はここから。神域に楠の大木。南方熊楠の名はこの楠からという。
藤白神社(熊野古道)http://www.asahi-net.or.jp/~pf8k-mtmt/kodoh/kainan/fujisiro
近くに鈴木屋敷あと。全国の鈴木さんの発祥地とか。熊野信仰を支えた家系の一つで参詣者の案内、お札の頒布などで活躍したらしい。僕の故郷・室戸岬町津呂の氏神は王子宮という。どんな関わりがあったのだろうか。鯨捕りは江戸時代に紀州の太地のひとびとが大挙してやってきて教えてくれた。
醤油発祥の地であるという湯浅の町並みを歩き、たまりや金山寺みそを買う。室町のころ、覚心という留学僧が南宋から伝えたという。車からおりると醤油の匂いが漂う心地よい町並み。
湯浅 http://www.asahi-net.or.jp/~fw5k-nkmr/yuas.htm
隣の広川町にある浜口梧陵が作ったという大堤防を見学。津波に苦しんだ村々を通って南部(みなべ)の国民宿舎泊まり。
浜口梧陵 http://www.bo-sai.co.jp/hamagutigoryou.htm
13日(火) 田辺の天神崎。元島を歩いたあと、日和山に登る。日本のナショナルトラスト運動の先駆けの地。
天神崎 http://www.tanabe-kanko.jp/midokoro/tenjinzaki/index.htm
午後は白浜の番所崎公園にある南方熊楠記念館。僕はこの人を研究したことのない割に、授業ではよく紹介してきた。生態系という言葉と共に記憶されている。若い頃からさまざまな本を読んではそれを筆写した。頭に入れてきて、記憶に頼りながら書き写したというから凄い。大英博物館でも同様のことをやったらしい。小さい字でびっしりとつづられたノート。19の言語に通じていたという。書いて覚えるということの大切さ。屋上からながめる田辺湾の景観も見事。
南方熊楠記念館 http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/
白浜のとれとれ市場で昼食後、旧大塔村(今は田辺市)にYさんを訪ねる。熊野街道(国道 311)の下附から県道221で合川(ごうかわ)ダムまではよかったが、それから先の串本に抜けるという国道371が大変。真っ暗な杉の人工林の中、行けども行けども人家らしいものはない。山道のベテラン運転手の妻もだいぶ不安になってきたころ、やっとその家にたどり着いた。
Yさんは20余年前、教職を辞し、この谷間の村に移り住んだ人である。今回の旅の目的はこの先輩を訪ねることだ。仙人と化した徹さんとの再会については後日を期すことにしよう。
10日(土) 室戸岬小卒業53周年同窓会。室戸・太田旅館、集うもの30余名。関東、関西、高知などからも駆けつける。差別に起因する貧困などのため登校できず、人生ではじめて会う同窓生もいる。関東からは公夫君のほか敏明君夫妻の姿、北海道出身という夫人が室戸をはじめて訪ねてくれた。真夜中まで尽きぬ話。
11日(日) 闘病中の桂子おばを見舞う。僕が送ったシベリア抑留者の絵画集を側に置いてくれている。シベリアで苦労した夫であった春利さんの生活が偲ばれるからであろう。昼過ぎ高知へ。
夜、一郎・章子夫妻が宣彦君にも声をかけてくれてミニ同窓会(中高)。会場がなんと得月楼。宮尾登美子さんの作品に登場する高知でもっとも知られた料亭。夏に見た魚梁瀬杉で作られた豪壮な天井の大広間など僕には縁のなかった世界にはいる。室戸のマグロ漁が盛んだった頃は船主は競ってここでお客をしたと聞いた。
章子さんが倫子をいっぺんこんな世界に案内したかったのだろう。地元の縁で庶民価格とかだが仲居さんが酒席の遊びをいろいろ教えてくれる。
12日(月) 徳島からフェリーで和歌山へ。海南市の藤白神社。熊野99王子の藤白王子跡という。王子というのは熊野権現の分社で参詣者の休憩所の役割も果たした。熊野古道はここから。神域に楠の大木。南方熊楠の名はこの楠からという。
藤白神社(熊野古道)http://www.asahi-net.or.jp/~pf8k-mtmt/kodoh/kainan/fujisiro
近くに鈴木屋敷あと。全国の鈴木さんの発祥地とか。熊野信仰を支えた家系の一つで参詣者の案内、お札の頒布などで活躍したらしい。僕の故郷・室戸岬町津呂の氏神は王子宮という。どんな関わりがあったのだろうか。鯨捕りは江戸時代に紀州の太地のひとびとが大挙してやってきて教えてくれた。
醤油発祥の地であるという湯浅の町並みを歩き、たまりや金山寺みそを買う。室町のころ、覚心という留学僧が南宋から伝えたという。車からおりると醤油の匂いが漂う心地よい町並み。
湯浅 http://www.asahi-net.or.jp/~fw5k-nkmr/yuas.htm
隣の広川町にある浜口梧陵が作ったという大堤防を見学。津波に苦しんだ村々を通って南部(みなべ)の国民宿舎泊まり。
浜口梧陵 http://www.bo-sai.co.jp/hamagutigoryou.htm
13日(火) 田辺の天神崎。元島を歩いたあと、日和山に登る。日本のナショナルトラスト運動の先駆けの地。
天神崎 http://www.tanabe-kanko.jp/midokoro/tenjinzaki/index.htm
午後は白浜の番所崎公園にある南方熊楠記念館。僕はこの人を研究したことのない割に、授業ではよく紹介してきた。生態系という言葉と共に記憶されている。若い頃からさまざまな本を読んではそれを筆写した。頭に入れてきて、記憶に頼りながら書き写したというから凄い。大英博物館でも同様のことをやったらしい。小さい字でびっしりとつづられたノート。19の言語に通じていたという。書いて覚えるということの大切さ。屋上からながめる田辺湾の景観も見事。
南方熊楠記念館 http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/
白浜のとれとれ市場で昼食後、旧大塔村(今は田辺市)にYさんを訪ねる。熊野街道(国道 311)の下附から県道221で合川(ごうかわ)ダムまではよかったが、それから先の串本に抜けるという国道371が大変。真っ暗な杉の人工林の中、行けども行けども人家らしいものはない。山道のベテラン運転手の妻もだいぶ不安になってきたころ、やっとその家にたどり着いた。
Yさんは20余年前、教職を辞し、この谷間の村に移り住んだ人である。今回の旅の目的はこの先輩を訪ねることだ。仙人と化した徹さんとの再会については後日を期すことにしよう。