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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

日蓮宗徒の唱題行脚

2010-11-12 19:56:41 | 川越・近郊
 銀行への使い帰りに大きな音がするので商店街に出てみた。「南無妙法蓮華経」の幟を先頭に40名あまりの僧の一団が団扇太鼓を敲きながら行進している。

 時々聞こえるアナウンスによるとこの一団は立正大学仏教学部の学生で「唱題行脚」ということをやっているのだという。堀之内学寮などという文字も見えるので杉並区の堀之内に日蓮宗の学寮が在るのだろう。

 今日は行伝寺の「お会式」でそれに先だって川越市内を行進して日蓮の教えを教宣しているらしい。

 「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉を紹介しながら世界平和と幸福について考えようと訴えている。

 道行く人は立ち止まって眺めている。白人の青年がしきりにカメラを向けていた。僕は行列の後ろについてしばらく歩いてみた。

 これから僧侶になろうという青年(男ばかり)が街に出て行脚する風景を見るのは初めてだ。団扇太鼓を敲きながら統制のとれた行進をする。なかなかにいいものだなあ、と思った。

 世界がまさに崩れ落ちようとするときである。人倫は地に墜ちて久しい。僧たらんとする人たちにはどんな思いがあるのだろう。人々の中に入って積極的に社会参加する坊さんになってくれるのかなあ。

 パソコンをひらいてみたら去年の記事があった。

●唱題行脚http://news.nichiren-shu.jp/01_news/2008/080110/sub_0001.htm#

●日蓮宗堀之内学寮http://www.nichiren.or.jp/syumonnews/news20080422.html

「お会式」とは日蓮宗では日蓮の命日を中心に行う法要のことだという。池上本門寺のお会式は盛大で有名らしい。

 

田中正造 「気力ヲ以テ見レバ竹槍」

2010-11-05 06:57:29 | 川越・近郊
 11月2日(晴れ)

 第11回きいちご移動教室の下見。主に大型観光バスの通路・駐車場の確認が目的。

① ●渡良瀬遊水池展望台http://www.go2park.net/photo/yanakako_tower.html

 快晴で筑波はもちろん富士山まで見える。足下の遊水池、葦原の景観はいうまでもない。遊水池誕生のいわれも一応勉強できるように説明板がある。

② ●田中正造銅像(栃木市藤岡町)http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo40_34.htm

 11月7日はカラオケ大会で駐車場が利用できないとのこと。近づくのは無理かな。

③ ●田中正造の墓(佐野市厄除け大師)http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/sanposano2.html
 
 佐野・厄よけ大師に寄ったら正造の墓があった。啄木の歌碑も。葬式には5万人もの人が集まったという。本堂で護摩を焚いて祈祷が行われている。炎がただならぬ気配。こんな風景は初めて見る。当日、時間が許せば是非寄ってみたい。

④ ●田中正造旧居http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/sanposano2.html

 ボランティアガイドの丁寧な説明を受けた。正造の父の代から母屋には医者を住まわせ、地域のこどもたちの教育の場としても利用させていたという。

 正造は闘いの生涯でこの家にはほとんど住まなかったが、近郷近在の旧家に闘争資金の借金の山を作ったという。そのため疎遠になった人も少なくないが、後の世になって正造の真価が知れ渡るようになってからは村がひとつになってその顕彰に当たるようになったらしい。

 正造の代になって母屋は医者に贈与し、父・義母と妻は隠居所の2階で生活したという。

 ここを訪ねるのは?十年ぶりだが昔とは様相が変わっていた。大きな道路が通り、建物が移設されているからだろうか。それでも正造の大きな遺影の前に立つと感動で涙がにじんでくる。「義人」という言葉があるが、この人にこそふさわしい言葉だろう。

 世界中の人々に知って欲しい、我が日本の偉人だと思う。僕はこの言葉を若いときから心に刻んできた。

 
  ウカト見レバ普通の原野ナリ
  涙ヲ以テ見レバ地獄ノ餓鬼ノミ
  気力ヲ以テ見レバ竹鎗
  臆病ヲ以テ見レバ疾病ノミ

死を賭して明治天皇に直訴する三日前に甥に当たる原田定助という人に書き送った手紙にある言葉だ。鉱毒で汚染された毒野を目の前にしても見る人の「目」によって見えてくるものが違うのだ。「同情」「臆病」ではなく「気力」をもってみる生き方を貫いた人の言葉だ。

 是は現実に向き合うすべての人に贈られた言葉だ。「気力を以て見れば竹槍」。

 旧居を管理する方が裏庭の柿をもいでおみやげに持たせてくれた。当日はここから足利に向かう。交通事情がただただ心配だ。アウトレットなるものが出来て休日の国道は車が数珠繋ぎになるらしい。
 


 

川越祭へ、どうぞ

2010-10-15 15:23:49 | 川越・近郊
 明日から「川越祭り」です。川越に天下に誇れるものがあるとすれば一はやはりこの祭りです。

●川越祭り・みどころhttp://www.kawagoesansaku.com/maturi/

 僕は土曜の夕方から大島高校1967年3月卒業の人たちの同窓会で上野です。教員になって最初の年に新米教師とつきあってくれた人たちです。

 土曜の午後や日曜日に川越を訪ねてくれる方がおられたら、電話をしてください。ちょっとした案内ぐらいなら出来るかもしれません。

 今日はこの後、二人の友人が来てくれることになっています。共通の関心事について老人と若者が意見交流をします。楽しみです。

狭山・赤坂の森公園

2010-10-11 23:00:28 | 川越・近郊
【川越だより】のアクセス・ランキング

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 朝から真っ青に晴れ上がったので、狭山の「赤坂の森公園」を目指すことにする。先日「森のさんぽ道」を歩いたとき地図の上で見つけた所だ。

 入間川自転車道から狭山環状道路に乗ってどこまでも行くと突き当たりが堀兼。このあたりは70年代から80年代にかけて「狭山事件」の調査で何度か来たところだ。大きな団地がいくつも出来てすっかり様変わりがしたが堀兼・赤坂までくると懐かしい風景が残っている。

 昔、遠くから見た森の中に「赤坂の森公園」はあった。

  ●赤坂の森公園http://waka77.fc2web.com/studium/11saitama/16sayama.htm

 森の中に400mのトラックがあり、フィールドは美しい芝生が広がっている。周囲に散歩道があったので歩いたあと、芝生に仰向けになってしばしまどろむ。「体育の日」だが、2,3組の親子連れが遊んでいるだけで静かなものだ。緑の森の上に広がる青空。別天地。


 近くに「善枝地蔵」があったことを思い出し、お参りしていくことにする。1963年5月1日に殺害された高校一年生の供養のために建てられた地蔵さんだ。

 このあたりかと思うあたりに見あたらないので諦めて帰ろうかとしたところ偶然農作業中の老夫婦に出会うことが出来た。地蔵さんは菩提寺に移されたらしい。

 事件当時の話も聞かせてくれた。おおがかりな捜査が行われ畑で働いているところにも聞き込みに来たという。この地域のひとびとにとっては忘れられない大事件だった。

 畑の中にある姉妹のお墓に手を合わせて帰ることにした。(事件の一年後にお姉さんは自殺した。)

 犯人とされた石川一雄さんは無期懲役刑を受け、今なお無実を主張して再審を求めている。

 ●狭山事件http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 僕にとっても忘れられない事件で自分なりに調査もし、授業でも取り上げたりしたが、94年に石川さんが仮出獄してからは格別なことは何もしていない。

 久しぶりに事件に関わりが深い地を訪ねてあれこれと思うことがあった。石川一雄さんについてはえん罪であると僕は今も考えている。

 関連「川越だより」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/233a78e35ce7b093b40bc230b1b75fbd

 帰りは不老川沿いの道を走った。「新河岸街道」というらしい。入曽あたりから新河岸へ物資を運んだと同年配の方が教えてくれた。不老川は日本一汚い川といわれたが今はどうだろう。

足利ーこころみ学園と華雨蔵珍之館

2010-10-10 06:37:55 | 川越・近郊
 10月7日(木)晴れ

 11月のきいちご移動教室の下見をかねて栃木県の足利(あしかが)を訪ねる。

 途中、大泉(群馬県)に立派な街路樹の道があると地図で見つけたので寄ってみた。

 ●大泉町・いずみ緑道http://www.pref.gunma.jp/h/07/namiki/text/normal/higasi_normal/normal_215.htm

 幅広のハナミズキ通りの脇にどこまでも緑道がつづいている。椎の実を拾っている人に聞いたら鉄道の軌道跡だという。(パソコンで調べてみるとハナミズキ通りは中島飛行機がつくった飛行機を運ぶ軍需道路、緑道は軍需鉄道の軌道跡を利用してつくったもの)

 
 足利の街を通り抜けて「こころみ学園」へ。TVで紹介されたのを妻が憶えていて何はともあれいってみることにした。

 谷津の奥の小高い山の麓に学園とココ・ファーム・ワイナリーがある。ちょうど昼時で付設のココ・ファーム・カフェで昼食にする。ウィークデイなのに来訪者が多くけっこう賑わっている。

 風の涼しい屋外のテーブルで僕は珍しくワインを飲んだ。目の前に学園の人たちが丹誠込めたブドウ畑がみえる。「耕して天に至る」とは棚田の景観を形容する言葉だが、そんな言葉を思い出させる見事な風景だ。

 50年も前に川田昇という一教師と知的障害を持つこどもたちがこの山を開墾し、ブドウを栽培し始めたのが事の起こりだという。今はブドウを作り、ワインを醸す仕事に就く人は100人近いという。ここに安住の地を見つけ、老境に達した人も多い。

 川田昇さん。世の中にはすごい人が居るものだなあ。

  ●http://www.sankei.co.jp/yuyulife/mukiatte/200703/mkt070316002.htm

 僕は退職後、白岡町で似たような事業に取り組み始めた友人夫婦のことを連想していた。カフェの食事も美味しい。価格も手ごろだ。

  ●こころみ学園http://www.cocowine.com/cocoromi/cocoromi.html


 足利の街では観光協会に寄って雨の日の昼食場所を紹介してもらった。50人が弁当を食べられる施設はおいそれとあるものではない。「まちなか遊学館」の施設を開放してくれるという。訪問者に残留孤児とその家族が多いというと華雨蔵珍之館を紹介してくれた。

●華雨蔵珍之館http://www.antares.co.jp/kauzou.html

 訪ねると創設者・故山浦啓栄さんの娘さんと事務局の方が丁寧に案内してくれた。

 中国の石碑の拓本の宝庫。特に曲阜・孔子廟にある歴代王朝による改修・再建の記念碑の拓本が目立つ。元朝のものにはモンゴル文字も刻まれている。

 11月には無料公開が予定されており、その準備が進んでいる。二階に「論語」10巻、全文の拓本が展示済み。孔子と孟子の膨大な家系図の拓本もある。

 そういえば「足利学校」では「論語」を素読する修学旅行が実施されている。中国の学校からも修学旅行にやってきたとか。(拝金主義がはびこる中で共産党政府も孔子の教えを再評価するようになったのかな。)

 
 ●論語体験プログラムhttp://www.ashikagagakko.jp/welcome/2010/07/post-13.html

 足利は街を散歩するだけでもけっこう楽しい。あちこち見学すればすぐに一日が過ぎてしまう。さて、移動教室当日はどうしたものだろう。<田中正造と渡良瀬遊水池>というもう一つの見学地もある。悩みが深くなった下見である。
 


「森のさんぽ道」と三富新田

2010-10-08 16:41:03 | 川越・近郊
今日も朝から秋晴れです。我が家の二階の屋根と同じ高さまで成長したキンモクセイの花盛りです。香りが我が家は言うに及ばず近所一帯に漂っています。

 この二日間妻にあちこち連れて行ってもらいました。

 
 10月6日(水)晴れ

 川越市南部の初雁高校の近くに「森の散歩道」が出来たと聞いたので早速行ってみた。

 ジョイフル(南文化会館)の脇に駐車場があり、散歩道の入り口はすぐわかる。

 広大な武蔵野の平地林のなかに遊歩道が続いている。落葉樹の森だが手入れが行き届いて

 ないため、樹木や下草が茂るに任されており、川越公園の河川敷の森よりはやや薄暗い感

 じがした。

 遊歩道を歩くと3.4kmになるという。より短いコースもある。

 こんな広い森がよくも残ったものだと感心する。一部は開発されて墓地になっている。

 間違ってコースを外れると農家の裏庭に出る。昔は里山として薪や炭の材料となる大切な 雑木林であったに違いない。

 所々にベンチや方向案内板が設置されている。

 ゆくゆくはこの森全体を「川越市森林公園」(仮称)にする計画があるらしい。地権者と の交渉など難しいことがあるのだろうが、是非、実現させて欲しい。


 ●川越・森のさんぽ道http://cobaton.at.webry.info/200805/article_11.html


 午後は三芳町の上富(かみとめ)を訪ねた。柳沢吉保が川越藩主だった時代に拓かれた「三富(さんとめ)新田」の一番東側で、関越高速道の西側に広がる。

 まず立ち寄ったのは旧島田家住宅。

 ●旧島田家住宅http://www.jade.dti.ne.jp/~miyoshir/shitei/4.html

 ここでは三富新田開発の様子や計画的な地割りを学ぶことが出来る。僕が気に入ったのは土間の囲炉裏に絶えず火があってくすぶり続けていること。家の隅々まで黒光りしている。
 
 家は江戸時代のこのあたりの旧家を移築したもので農家としては豪華だがいまもなんとなく生活のにおいがしている。とれたばかりのサツマイモが土間に転がっている。おばさんが一人管理に当たっておられるがまるでこの家の主婦のようで自然な感じがする。

 屋敷地の後ろには広大な畑が続き、遙か彼方に雑木林が見える。有名な「三富新田の地割り」がこのあたりでは今もはっきりと確かめられる。

 ●三富新田の地割りhttp://www.pref.saitama.lg.jp/page/908-20091216-177.html

 「新田」といっても水に不自由なこの地では水稲は出来ず、地味に適していたサツマイモが栽培され「川越芋」として江戸の人たちに知られることになった。近年、川越観光が盛んになったせいか、芋の栽培が復活し、道路脇には旗が林立している。

 帰りに三富の人々の菩提寺である多福寺に寄ってみた。

 ●多福寺http://www.town.saitama-miyoshi.lg.jp/photo_gallery/tafukuji.html

 川越南部の武蔵野の台地には自転車道がなく敬遠気味だったが、いくらか土地勘も出来たので折に触れて訪ねることにしよう。

 

西川材

2010-10-03 07:10:26 | 川越・近郊
好天が続いたので二日続けてあちこちに出かけました。

10月1日(金)

 小川町の仙元山に連れて行ってもらい、青山城跡まで歩く。ここには何度も登ったが城跡まで行くのは初めて。

 近世の松山城の支城だったようだ。二つの堀切を上り下りすると本郭跡があった。けっこうな高さだ。本郭跡は杉林になっていて古城址のイメージにはほど遠い。

  ●青山城址<a href="http://www.water.sannet.ne.jp/u-takuo/aoyamazyo.htm">http://www.water.sannet.ne.jp/u-takuo/aoyamazyo.htm

 同じ道を引っ返すのは面白くないのでいったん下里の村まで下り、里歩きを楽しんだあと、遊歩道を登った。夏の鍛えがよかったか、僕にしては上出来。


 10月2日(土)

 自転車で小畔川をさかのぼり、日高の高麗神社を訪ねる。人出が多い。2016年が「高麗郡建郡1300年」に当たるので9月いっぱい記念行事が続いたらしい。3日が最終日で「高句麗流馬上武芸」(流鏑馬)が披露されるという。

 境内の齋館では四神図をはじめとする「高句麗文化展」が開催中。

 ●高麗神社http://www.komajinja.or.jp/index.html

 ●四神図http://www.garo-seisui.com/cgi-bin/garoseisui/siteup.cgi?category=1&page=3

 曼珠沙華見物でごった返す巾着田を横目に見て卒業生の角田さんが住む武蔵横手に向かう。駅近くで喫茶店かと寄ってみた瀟洒な建物がNPO法人「西川・森の市場」の事務所?だった。

 食堂の所在を聞いて帰るつもりが思わぬ長居になってしまった。事務局の小見寺公一さんの話に奥行きがあって面白かったからだ。

 僕の質問の第一弾。「このあたりの材木を「西川材」というのはなぜなのか。」

 小見寺さんの目が輝いて説明が始まった。

 埼玉県の南西部を流れる高麗(こま)川・名栗川(入間川)・越辺川流域(飯能市・越生町・毛呂山町・日高市の4市町村)から生産される木材は「西川材」と呼ばれています。

昔は、筏(いかだ)を組んで江戸まで木材を流出していたことから、江戸の人々が「西の川から送られてくる良質の木材」として、この地方の材を「西川材」と呼ぶようになったといわれています。そして、この地域を「西川林業地」と呼ぶようになりました。

 これらの川は川越の北部で入間川に合流し、やがて荒川となって東京湾に注ぐ。江戸時代には筏にくまれた材木が筏士の手で江戸の深川・木場まで運ばれたというわけだ。江戸まで5日はかかり、筏士は途中の船宿に泊まりながらの仕事だったという。

 そういえば越辺川と入間川の合流点付近には近年まで小沢屋があり、僕は40年間、ウナギを食べさせてもらった。昔は船宿だったと聞いたことを思い出した。筏士の宿でもあったのか。

 もっともこのあたりの川は水量が少ないので筏流しは梅雨時などに限られてもいたらしい。


 事務所の所在地が「白子」というので話は古代新羅からの渡来人へと広がる。このあたりに住み着いた新羅系の人々は木工技術に長じ寺院をはじめ多くの遺産を残したという。

 小見寺さんの歴史への造詣は深くやがて先住民と縄文文化に及んだので、いったんお開きにして他日友人たちを誘ってお邪魔することにする。

 森と林業の再生に取り組む人ならではの面白い話の数々に時を忘れるほどだった。小見寺さんは今、このあたりに多い白髭神社をつぶさに調査して、いずれ本にまとめると言う。

 ●NPO法人「西川・森の市場」http://www.morinoichiba.net/about/nishikawazai.html


 角田さんの住む家は高い岡の上にあった。あいにく留守で伝言を頼んで帰る。夜、電話で元気な声を聞かせてくれた。

榛名神社

2010-09-22 21:58:24 | 川越・近郊
 朝から暑いので川越を脱出して榛名(はるな)山に連れて行ってもらうことにしました。

 昼前にゆうすげの道の駐車場に着き、外輪部の風通しのよい林中で昼食の後、ススキの原になっているゆうすげの道をあるきました。マツムシソウやワレモコウが目立つ程度です。

 「湖畔の宿」の公園でゆっくり休んだ後、榛名神社に寄って帰ることにしました。

 榛名山を訪ねるのはもう10数回目でしょう。なぜ、ただの一度もここに寄らなかったのか。数百mの参道をよたよたと歩きながら感嘆したり反省したりしていました。

 杉の巨木、奇岩が人工の構造物と融け合って見事な世界を展開しているのです。

 ●榛名神社http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/haruna.html

 ご神体?の御姿岩をはじめ巨大な奇岩のただ中にある社殿に詣でると古代から連綿と続く先人たちの信仰が何となくわかるような気になります。

 
 今日は思いがけず、いい思いをしました。皆さんも榛名山を訪ねることがあったら榛名神社に寄ってみてください。何か感じるところがあるはずです。
 

「初雁公園の整備」について  川越市長からの回答を読んで

2010-09-21 21:20:32 | 川越・近郊
 かなり旧聞に属しますが、表記の件について川合善明・川越市長からの回答(6月9日付)を紹介します。このことに関わって「川越だより」にコメントをしてくださったかたがおられたからです。


 「初雁公園の整備」について

 現在の初雁公園は旧川越城の城址の一部を利用したもので、本丸御殿のほか野球場、プール等があり、面積約4.9㌶の“運動公園”として昭和26年に供用開始したものです。

 旧川越城の区域は、県立川越高等学校をはじめ川越第一小学校、川越小学校などの学校、川越市役所、博物館等の公共施設があるほか、多くの民家を含む広大な区域であり、これらを移転して川越城址公園として整備することは、大変困難なことです。

 このようなことから、既存の公園部分を生かした中で、城址公園として実現可能な整備計画を検討してまいりたいと考えておりますので、ご理解賜りたいと存じます。なお現在、本丸御殿の保存修理工事を進めているところです。


 市長からの回答は以上です。


 一市民の提案にきちんと回答してくださって感謝しています。しかし、市長の「城址公園として実現可能な整備計画」からあらかじめ川越高校の移転などが除かれていることは理解できません。

 僕も公共施設や民家をすべて移転させることが出来るとは思っていません。しかし、川越高校(県立)を移転させることはやろうとすれば出来るはずだと考えています。

 川越城の遺構として今も残っているものは本丸御殿と富士見櫓跡です。本丸御殿は修復中で来春には公開されます。

 富士見櫓は天守閣のなかった川越城でもっとも高い建物であったらしく、天守閣代わりをしていたといいます。今は櫓はなく跡地ですが小高い丘で巨木もあり、城跡の風情がいくらか残っています。城址の記念碑もあります。

 しかし、本丸付近が川越高校のグラウンドになっているため、本丸御殿付近から富士見櫓跡に行き来する道はなく、孤立した「城址」です。観光客などにはその存在もわからず、訪れる人もほとんどいません。

 ●川越城富士見櫓跡 http://glorysot.blog20.fc2.com/blog-entry-97.html

 城址公園として整備するというのならばせめて本丸御殿と富士見櫓跡を「川越城址」として一体的に整備すべきではありませんか。川越高校のグラウンドになっているあたりが城址の広場になり富士見櫓がその隅に建っているような景観は作り出せるはずです。この辺のことについて市長の考えを聞かせて欲しいものです。

 川合市長が昨年策定した「都市計画マスタープラン」を読んでみましたが伝統的街並み保存地区(一番街)への言及は多いけれど城址公園の整備についてはほとんどふれられていません。この回答にあるように公共施設などの移転が難しいから諦めたということでしょうか。

 市長が言われるように「品格ある」川越をつくるためにその中心に一番街だけでなく川越城址公園をきちんと位置づけるべきだと思います。不十分でも「川越は城下町だったんだなあ」と市民にも観光客にも思ってもらえるような町造りをすべきだと考えるのです。一番街もそれでいっそう生きてくるはずです。

 そのために必要なら川越高校を移転させればいいのです。近頃は交通事情もよくなったので郊外に適地はいっぱいあるはずです。

 (いずれ市内の高校配置も考え直さなければならなくなるでしょう。川越<男子>高校と川越女子高校を統合して移転させるのがもっとも市民の理解が得られるでしょう。)

 21世紀ももう10年が経ってしまいました。市長が困難だからと諦めたら何も出来ません。せめて市のマスタープランにきちんと書き込んで知事に問題提起すべきだと考えます。

 

 


高橋由一の油絵

2010-09-20 20:40:18 | 川越・近郊
 敬老の日で川越市立美術館が無料になるというので行ってみました。「日本近代洋画への道―山岡コレクションを中心に―」が開催中でした。

●川越市立美術館http://www.city.kawagoe.saitama.jp/www/contents/1279944636673/index.html 

真っ先に高橋由一(ゆいち)という人の作品が眼に飛び込んできました。「丁髷姿の自画像」のそばに「鮭図」が架かっており、「品川海晏寺紅葉図」「本牧海岸」などが展示されています。

 日本で最初の「洋画家」で有名人のようですが僕はその名も絵も初めて?見聞きします。

 びっくりしました。「丁髷姿のおんちゃんがこんなすごい油絵を描いていたのか!」

 ●高橋由一・笠間日動美術館http://www.nichido-garo.co.jp/museum/exhibition_archive_1001.html

 木にそのまま描かれた「鮭」は見ていて飽きない傑作ですが僕は明治初年の品川や本牧の海を描いた作品に心が奪われました。

 「品川海晏寺紅葉図」(1880年・明治13年) 品川にこんな海の風景があったのか。龍馬の時代も似たようなものだろう。絵の中の世界に入り込んだ数十秒間でした。


 土佐の国沢新九郎の絵もありました。この人の名はどこかで聞いたことがあります。

 ●国沢新九郎http://nangokutosa.blog47.fc2.com/blog-entry-890.html

龍馬を乗せた船「夕顔」の艦長で龍馬の肖像画を残したと言います。その絵が切手になっているそうです。

 
 幕末から明治にかけて西洋画の技術を一心に学んだ人々の作品群に出会って思いがけない発見と感動がありました。

 「敬老の日」ありがとう。

岩殿の山田

2010-09-19 10:52:17 | 川越・近郊
 18日(土) 大東文化大学上の物見山駐車場に連れて行ってもらって東松山市民の森を歩きました。森を出て平地に下りたところが谷津の田んぼになっておりちょうど収穫の最中です。

 老夫婦と娘さん?が小型のトラクターを動かしたり、ハザ架けに稲を干したり、忙しそうに働いています。幼児が二人、あぜ道で遊んでいます。お母さんを手伝いたいようですがたしなめられていました。

 懐かしい、遠い昔の風景のただ中にいるようでした。小学生の時、稲やサツマイモの収穫を家族総出でやり、父母を手伝った体験は僕の大切な思い出であり、そのささやかな経験でさえ、その後の人生に力を与えてくれました。

 この子たちがもう少し大きくなってから今日と同じようなシチュエーションに恵まれるといいな…そんな風景を想像しながら楽しい里歩きをしました。

 山里の田んぼにはどこにもいくつもの案山子が立っています。コンクールがあるわけではありませんがどれも心のこもった作品で雑なものは見あたりません。

 やがて岩殿観音の参道に出ました。この正面からの参道を歩いてお参りするのは妻にとっては初めてだと言います。

 ●岩殿観音http://www.pcplanets.com/videoyoutube--.5XCDnaVvw74.shtml

 午後は東秩父村の彩の国ふれあい牧場に行ってみました。山上のコスモスが目当てです。

 ●秩父高原牧場http://www.pref.saitama.lg.jp/soshiki/k30/index-2.html

 どういう訳か、あの「秋桜」が見あたりません。風にそよいでいるのはキバナコスモスばかりです。がっかり。コスモスといえばこれですよ、ねえ。

 ●コスモスhttp://www.google.co.jp/imglanding?q=%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%82%B9&imgurl=http://www.nihon-kankou.or.jp/hana/detail/flowerimg/H09420300.jpg&imgrefurl=http://www.nihon-kankou.or.jp/hana/detail/view.php%3Fid%3DH09420300&usg=__Iw_jih-Y0OyMJmF9MO7gzjD6IQU=&h=799&w=1191&sz=563&hl=ja&zoom=1&tbnid=3JG5WVf_AaYykM:&tbnh=101&tbnw=150&prev=/images%3Fq%3D%25E3%2582%25B3%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25A2%25E3%2582%25B9%26um%3D1%26hl%3Dja%26sa%3DX%26rlz%3D1T4TSJB_jaJP347JP347%26tbs%3Disch:1&um=1&itbs=1&um=1&sa=X&rlz=1T4TSJB_jaJP347JP347&tbs=isch:1&start=0#tbnid=pDwecgykwpF1eM&start=3


 関東平野を見はるかすベンチでソフトクリームに舌鼓を打った後、仰向けに寝て流れていく雲を見ているうちに夢心地。少しずつ元気が回復中。
 

 

浜辺のクルミ

2010-09-14 11:03:12 | 川越・近郊
 昨日、川越公園の河川敷の遊歩道を歩いていたら同世代のご夫婦がクルミの実を拾い集めていました。これから果皮を腐らせ、ハンマーで割って実を取り出すまで何日かかかるそうです。

 ●クルミhttp://blogs.yahoo.co.jp/h_yamame/17958800.html

 体によいというので数年前からここに採りに来ているそうです。最近は競争相手(人間・カラス)が多く、昨年は収穫ゼロだったと言います。割ったばかりの実を食べさせてもらいました。けっこうおいしい。

 田舎にいた頃はクルミを海岸で拾ったといいます。新潟県の出身だそうです。不思議に思ってパソコンで調べてみました。


 ●新潟西海岸のクルミhttp://blog.livedoor.jp/salmonidae/archives/1084882.html

 海岸でクルミを拾い集める人が今でもおられるのですね。コメント欄にはクルミを巡るカラスと人の交流も紹介されています。

 藤村の「椰子の実」を思い出します。

 ●「椰子の実」http://www.youtube.com/watch?v=-kThs_gBBxk&feature=related

 川岸に多いオニクルミは実を川に落として子孫を維持しているようです。その実が海に出て殻状になったクルミが海岸に流れ着くというわけです。

 川越公園で会ったかたには遠い昔の海岸での原体験があり、この季節になるとクルミ採りが思い起こされるのでしょう。

 縄文の頃からの人間のすがたがこうして都市の生活の中にも生きているのかと思いました。

 ●縄文時代からのオニクルミhttp://www5.plala.or.jp/nijiya231-9288/KA-okasi/dorei_nattu/kurumi_2.htm

かかしまつり

2010-09-06 16:49:03 | 川越・近郊
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 昨日、今日と日盛りに田園地帯を回って川越公園の遊歩道を歩いてきました。

 山田地区では「かかしまつり」が行われています。見はるかす黄金の穂並み。その一角に沢山の作品が展示されています。

 ○かかしまつりhttp://ton-q.at.webry.info/201009/article_3.html

 このあたりは地下水が豊富でこの日照ですから今年も豊作なのでしょう。

 夕べは妻が中学のクラス会(千代田区立錬成中学)で留守だったので、散歩の帰りに「安楽亭」で焼き肉を食べました。店を出たのは6時半過ぎですが田んぼの中の道はもう真っ暗でいささかとまどいました。

 猛暑は続きますが季節は進行しているようです。今年の川越祭りは10月16・17日です。

 ○http://glorysot.blog20.fc2.com/blog-entry-322.html

小畔川探索行

2010-08-27 12:15:52 | 川越・近郊
 8月26日(木)晴れ

 川越の北部で越辺川(おっぺがわ)に合流する小畔川(こあぜがわ)をさかのぼって源流までを探索するサイクリングをすることにしました。

 4月24日以来、二度目の挑戦です。前回は高萩駅の北方、国道407のあたりで川を見失い、源流部にはたどり着けなかったのです。

 ○http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/355f5faada670a40fea466a2f0a9ffd1

 高萩駅の北方、407号バイパスを過ぎたあたりで川沿いの道はなくなります。それでも今回は川に近い道をたどりたどり行くと途中で時々小畔川に再会します。

 高麗川の市街地・鹿山地区に入るとコンクリートの水路になり、川沿いに道が続いています。図書館があったので司書の方に相談すると20年ほど前の日高市の地図をくれました。

 これによると小畔川の本流は飯能市の宮沢湖から流れ出ており、このあたりは支流の「四反田堀」ということが解りました。

 市街地の楽顔亭で昼食。定食のカツ丼が580円で美味。養老乃瀧系列の店です。

 ゆっくり休んだ後、2時過ぎからいよいよ宮沢湖に向かいます。川沿いに道はなく勘に頼りながらの走行です。

 中鹿山の八高線の線路際で「八高線脱線事故慰霊碑」を発見?しました。思いがけない出会いにびっくりしながら合掌。
 
  ○八高線脱線事故慰霊碑http://www5a.biglobe.ne.jp/~techare/29144280/

 八高線ではこの事故の少し前の1945年8月にも多摩川橋梁での正面衝突事故があり凄惨を極めたとのことです。

 八高線をくぐった後は県道30号沿いの小道を登ります。

 宮沢湖は巨大な釣り堀のような感じで強い日差しのもとで釣り糸を垂れる人の姿があちこちに見られます。

 堰堤はコスモスの花盛り。ここはもう秋なのでしょうか。木陰で一休み、吹く風が気持ちいい。

 堤の下に水路が見えるのでこれが小畔川の始まりかと勝手に思いました。

湖畔を一周した後、県道30号、国道299号、入間川自転車道と快適な下り道を帰ってきました。暑い一日だったといいますが、動き回っていると何のことはありません。

 川越と高麗郷を小畔川沿いの道で自由に行き来できたらどんなに楽しいでしょう。高萩までは土手の道がありますからちょっと手を加えれば立派な自転車道になります。

 ここから後はどうしたらいいのか?日高の市長さんに考えてもらって高麗神社あたりまでへの遊歩道と接続してもらいたいものです。

 

 




 

サイクリング道路への夢   新河岸川探索(続)

2010-08-09 13:23:05 | 川越・近郊
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8月8日(日)晴

 朝早く家を出て東上線の成増駅へ。昨日、預けた自転車を取り出して「新河岸川探索」の第二日が始まる。7時。

 今日は都県境の白子川が新河岸川に注ぐ地点から川越までさかのぼることとする。なるべく土手の上の道をたどりたい。

この探索の目的は浅草から隅田川・新河岸川をさかのぼるサイクリングが出来るか、調べることである。

 昨日も紹介したブログの方は歩いて探訪し、丁寧な紹介をされている。僕が付け加えるほどのことはないが、気づいたことを書いておきたい。このブログのNO53から後の写真が今日のコースである。

 ○「新河岸川探訪」http://www.geocities.jp/kk810558/shingashi1.htm


 ①都県境

 対岸の土手(荒川右岸)の上の道は立派なサイクリング道路だが、新河岸川右岸のこの道はつながっているのかどうかもかなり怪しく、「都県境」の標識があるわけではない。

 東京都側の奥詰まりにはたしか弁当の卸屋さんがあり、自販機もおいてあった。ここで水を買い、白子川の流入点に架かる橋を歩いたりしてみた。(前期ブログ・写真NO53)

 ②国道254号バイパス

 外環道(幸魂大橋)の下はくぐれるかどうか草の生い茂った道?をどんどん行ってみた。残念ながら途中で土手が切れ引き返す羽目になる。下の道に下りると外環道をくぐったところで国道254のバイパスに出た。

 この道は外環の和光北ICと川越を結ぶ道として計画されたはずだが志木市以南が何十年たっても<計画中>なのである。

 この日やっとICから1kmぐらい開通している部分の歩道を走った。草ボウボウ。この先、朝霞市の新盛橋付近まで開通しているのを確認した。あとで志木の人に聞いたら「広報に用地買収率が70%と出ていた」という。川越までの全面開通は遠い将来のことであろう?


 ③朝霞調節池

 内間木橋を渡ったあたりで左岸の土手を行けないかと探したが道はない。踏み跡を見つけたのでガードレールの隙間から何とか自転車を入れ、行ってみる。

 ここは朝霞調節池で数年前に供用開始になったようだ。一帯が公園化される予定だと書いてあるがその気配はない。道がやがて途切れた。洪水時の水の出入り口か?堤防が数mなくなっているのだ。

 思案の末、自転車をいったん河川敷側に降ろし、出入り口を過ぎたあたりでまた押し上げて左岸の探索を続けることにした。これは結構、力のいる仕事だった。草の茂る急な坂をおろしたり、あげたりするのである。鵯越(ひよどりごえ)の坂落とし(坂登り)作戦と称して何とか達成した。いざとなればまだまだ力は出るものだ。息も苦しくない。

 洪水時の遊水地として利用するのだろうがいくらか水がたまっていて野鳥が泳いでいる。
巨大な砂利の置き場?などがあって土手の道はまたなくなるが新盛橋に出ることはできた。

 公園化の話はどうなっているのかわからないがせめて土手を通る道を整備してほしいものだ。今は僕のような変な人を除いてあえて近寄る人はいないだろう。


 ④いろは親水公園

 新盛橋からの右岸は走りやすい道だ。(左岸は武蔵野線の橋梁で通れない)。志木市に入るとよく整備されている。

 新河岸川が柳瀬川と合流するあたりが立派な公園になっている。合流点には野鳥を観察する施設もある。僕がここに着いたのは日曜日の9時ころだがやはり自転車でやってきた70代?のお姉さんが小鳥に餌をやっていた。

 9時半ごろになって古い薬屋を移築した旧村山快哉堂があいたので見せてもらった。近くの本町から移したものだという。

 そういえば志木は町の中心部が新河岸川沿いのこのあたりにある。市役所も二つの川の中洲にある。東上線の志木とはかなり離れている。そんなことに気づいた。

 この町の人たちは新河岸川を母なる川としてきたのだろう。大切にしているなという感じがした。

 ⑤せせらぎの小径

 貰った地図に「せせらぎの小径」とあったので通ってみた。旧東中央排水路を暗渠にしてその上に作った散歩道だという。

 あちこちに河童が座っていたりする楽しい道だ。

 ⑤道の整備状況

 この後は浦所バイパスをやや西側に行って再び新河岸川沿いの道を走った。川越まで川沿いの道を走ることはできるが整備状況は自治体によってはっきり違っている。

 富士見市  ◎ サイクリング道路としてきちんと整備されている。

 ふじみの市 △ 舗装はされていないが通りやすい。

 川越市   × 道と言えないところ、草ぼうぼうのところもある。砂中の近くの         JR線路下に通路を作ったが階段ばかりで自転車は通れない。今からで         も何とかもならないか。

 ついでにほかの自治体についても。


 和光市   × 

 朝霞市   △

 志木市   ○

 富士見・志木を別にして新河岸川の土手をサイクリング道路として整備しようという計画がないのか、と感じた。

 僕としては流域の自治体が協力して東京と川越を結ぶもう一つの自転車道を作ってもらいたいのだが…。新河岸川舟運の復活は難しいがこちらはそんなにカネもかからない。どんなものだろう。