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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「はやとの風」「しんぺい4号」  九州路に友人たちを訪ねて(3)

2011-05-12 06:58:27 | 出会いの旅

4月22日(金)曇り

 丸尾の滝…丸尾自然探勝路…霧島観光ホテル(昼食)~(バス)~霧島温泉駅14・27~(JR肥薩線特急・隼人の風)~14・5

吉松駅15・16~(いさぶろう・しんぺい4号)~16・35熊本県人吉駅~中村さん宅(泊)

 

●はやとの風

桜の道をやって来た「はやとの風」4号(植村-大隅横川)。

 ●出典http://www.kazenokaze.com/freepage_16_1.html

霧島温泉駅から鈍行の旅をするつもりがやむなく「特急」になった。選択の余地がない運行本数なのだ。しかし、乗ってみて大喜び。レトロでしゃれた車内の雰囲気もいいが、緑のシャワーを浴びながら疾走する「はやとの風」の心地よさ。

 よかったら「出典」となっている方のブログを覗いてください。この列車の魅力満載、飽きることがありません。

 

しんぺい4号

 

 出典●http://www.d4.dion.ne.jp/~m_mori/syasou/yadakesyasou.html

 吉松駅で「しんぺい4号」に乗り換え。真幸(まさき)駅では幸福のカネを鳴らす。出発後しばらく行くとこんな絶景が見える。列車は停止し、乗客はシャッターを押す。誰もがシャッターチャンスを得られるようにちょっと進んではまた停車する。これが3度繰り返される。心憎いばかりの気配りだ。「日本三大車窓風景」。この日は快晴というわけではないが、遠くに桜島まで見えた。こんな日は滅多にはないという。

 矢岳駅ではD51の見学が出来る。美人で心優しい車掌?さんが一緒に写真に収まってくれた。嬉しい。大畑駅周辺はループやスイッチバックになっていてその仕組みが誰にでも分かるように運転してくれる。

 こんな楽しい汽車の旅があろうとは思っていなかった。

 「しんぺい」は後藤新平のことだという。明治の終わり頃、鉄道院総裁としてこの肥薩線を完成させた。吉松~人吉は標高差も激しく難工事の連続だった。開通当時はこれが鹿児島本線だったという。いま、ぼくは快適この上ない鉄道の旅を楽しんだが、開通させるまでの人々の苦労もよく分かり、人吉は山の上にある街だなあという実感をもった。「人吉にいくには肥薩線に限る」。

  人吉駅には賀明さんが迎えに来てくれていた。先年の水俣以来だ。また、お世話になります。

参考●「いさぶろう・しんぺいと肥薩線」http://www1.plala.or.jp/uu/shinpei.html

 


隼人塚  九州路に友人たちを訪ねて(2)

2011-05-11 11:32:11 | 出会いの旅

昨日は午前中に妻の車で狭山・智光山公園。前日見たハンカチの木とユリの木を案内した。ハンカチの木は2本だがユリの木は街路樹のように並んでいる。(花は今が盛り。みなさんもどうぞ)。

 昼寝の後、九州の旅で世話になった友人たちに手紙を書く。できあがってきたばかりの写真を同封する。心余って言葉めちゃくちゃ。

夕刻、相撲協会のHPで終わりの数番を見る。これで一日が終わった。

 

4月21日(木)晴れ

 鹿児島神宮(大楠)~隼人塚・隼人塚史跡館~宮浦神社(大銀杏)~黒酢の里・福山「かくいだ」(昼食)~上野原縄文の森~霧島

観光ホテル(泊)

 K子夫人とお別れした後、田上くんに終日霧島市と周辺を案内してもらう。

 ●隼人塚

 (出典http://washimo-web.jp/Trip/Hayato/hayato.htm

 道路脇に立つ塔はたびたび反乱を起こして鎮圧された隼人の供養塔で平安時代のものとか。史跡館でパンフ『隼人族の抵抗と服従』を買った。それによれば『続日本紀』には隼人族の大和政権への抵抗と虐殺の記録がたびたび出てくるという。

 ●702年(大宝2年) 隼人族が大和政権の命令に背いたので武力でやっつけた。そこでようやく戸籍を作り、役人をおくことが出来た(「薩摩」の建国)。

 ●720年(養老4年) 隼人族が大隅の国司を殺す。征隼人持節将軍・大伴旅人が一万人の兵隊を引き連れて鎮圧に来る。(隼人の乱)

 ●721年(養老5年) 1年数ヶ月の闘いの末に首を切られたり捕虜になった者1400人あまり。

隼人族の怨霊は長く朝廷を悩ませたらしく、その霊を慰める「放生会(ほうじょうえ)」が宇佐八幡宮(豊後・大分県)で始まり、やがて鹿児島神宮(八幡宮)でも行われるようになったという。「塚」はこのような行事との関わりの中で作られたらしい。

 東北の蝦夷(えみし)に関わる遺跡はあちこち訪ねたが隼人に関わる遺跡はここが初めてだ。『続日本紀』の反乱の記述を目にするのも初めてだ。不勉強者はこうやって初めて目を開かれる。近年になって作られたという「史跡館」は小規模なものだが「隼人」を名乗るこの町の心意気を示している。

 近畿地方の各地に移住させられた隼人族も多く、京田辺市などに「隼人舞」が伝わっているらしい。逆に豊後などからこちらに送り込まれた人たちもいるという。異端者を抹殺、分散、同化して支配する権力者のやり方はいつの時代も変わらない。それでも怨霊の「祟(たた)り」にことあるごとにおびえ、時には都を移すことさえした。

 2004年にはこの町で「隼人サミット」が開かれ、森浩一さんの講演「隼人と日本文化」、シンポジウム「日本神話の中の隼人」「畿内に移住した隼人」が行われた。その記録集が隼人町教育委員会から出ている。ぱらぱらと見ただけだが面白そうだ。

 「地域が面白い(地域学ことはじめ)」「考古学は地域に勇気を与える」「隼人、エミシ」「古代の国内移住、日本文化を強めた力」「日本の地域の力」… 森さんの講演の中見出しになっていることば。「本当の日本の歴史」を書きたいという人の熱意が伝わってくる。ゆっくり読んでみようと思う。

 ●宮浦宮http://www.genbu.net/data/oosumi/miyaura_title.htm

 大銀杏があるというので連れて行ってもらった。錦江湾近くに簡素な作りの新しい社が完成したばかり。若い宮司さんの説明が面白かった。

 「神武天皇はここから東征の船出をなさった。2600数十年前のことです。戦勝を祈念して植えられたのがこの銀杏です。もっともこの木は2代目ですが…」

 まじめな顔であたかも歴史的事実のように話すのが「面白かった」。この方は神武東征は2回あって、宮崎からのは2回目に当たるという。ヤマトでの国の基礎作りが整ってから再度出発したのだという。

●黒酢の里・福山https://iiiro.jp/blog/dance/170839.html

 桜島の見える明るいレストランで昼食、黒酢の壺畑がみごと。

午後は「縄文の森」を散策した後、夕刻霧島観光ホテルまで送ってもらった。遠くに桜島が見える。田上くん、本当に有り難う。

 

 

 

 


「川内で百姓はいかが」  九州路に友人たちを訪ねて(1)

2011-05-04 07:02:58 | 出会いの旅

4月20日(水)晴れ

 羽田空港9・40~11・25鹿児島空港

 チェコ村(昼食)~加治木町・龍門司焼~西郷公園(西郷隆盛の巨大像)~嘉例川(かれいがわ)駅(肥薩線)~塩浸(しおびた

し)温泉(龍馬・お龍の新婚湯治湯)~和気神社(フジ)~熊襲(くまそ)の穴~田上さん宅(泊)

 田上くんが大学での中国語の勉強を終えてチェコ村に駆けつけてくれた。東京教育大学の同級生。新聞部や自治会の活動ばかりして授

業に出なかったぼくがともかくも「法律政治学」を専攻して卒業したことになっているのはもっぱら友人たちの御陰だが田上くんに負うところ

が多い。その彼に今回の旅のきっかけも作ってもらった。「温泉付きの家に住むようになったから遊びにおいで」。

 早速、自動車で今は霧島市となっているあちこちを案内してもらったが「熊襲の穴」はことに面白かった。

 (ここを訪ねた方のブログを二つ紹介させてもらいます。ごらんになってください。)

  ●熊襲の穴http://www.ajkj.jp/ajkj/kagoshima/hayato/kanko/kumasonoana/kumasonoana.html

  ●熊襲の穴http://washimo-web.jp/Trip/Myouken/myouken.htm

 「熊襲」の首領、川上梟師【かわかみたける】の世界に突然タイムスリップしたような感じだ。熊襲や隼人(はやと)といわれる九州

南部の先住民のことに昔から興味があったのだがその遺跡かもしれない岩屋に初めて入ったことになる。極彩色の壁画はとても

マッチしているが後世の人々に誤解を与えるかもしれない。作者名や制作年を書き記しておくべきだと思った。

 夜、くだんの温泉に入れてもらった。肌がつるつるになる名湯である。心地よさは嬉野温泉を思い出させる。

 田上くんが温泉付きの家を建てたのはK子夫人のためだ。若いときから原因不明の腰痛に悩まされ、遠く北陸の七尾まで治療

を受けに通われた。温泉療法も効き目があり、近頃は台湾の温泉にまで出かけておられるという。

 迂闊なことにそんな事情があったことをぼくはお会いして初めて知った。10年ほど前、鹿児島に住んでおられたとき夕食の接待を

受けたことがあるが、あの時もそうだったのか。(気づかずに何度も押しかけてごめんなさい)。近頃は小康状態をたもっているとの

ことで遅くまで私たちの世話をしてくださった。「薩摩おごじょ」とはK子さんのような方を言うのだろう。

 霧島に住むようになったため、川内の実家や畑の管理が大変らしい。田上くんは毎週のように通って百姓仕事をしている。

「ここに住んでくれる人は居ないかなあ」という。

 ぼくが元気だったら立候補するかもしれない。だが、庭の草もまともに引けない人間には縁が遠い話である。

友人たちの中でどなたかやってみようという方はいませんか。

 住んで畑の仕事を楽しむことが出来ればいい。川内原発の10km圏内だとはいうが…。

(この話は冗談ではない。もし、関心を持たれた方がいたらぼくに連絡してね。)

 田上くんは相変わらず勉強家だ。鹿児島の大学に通って中国語の学習に励むばかりではなく、夫人の湯治のために滞在する

台湾では現地の人たちに日本語を教えるボランティアをやっているという。

 健康を考えて酒はやめたというが旧友との語らいは遅くまで続いた。

 


 

 


伊万里だより

2011-04-27 06:40:04 | 出会いの旅

昨日は山下さん(池袋商時代の同僚)に有田・唐津などをゆっくり案内してもらい、夕刻、伊万里の岩本さん宅に厄介になりました。九州の旅もいよいよ終盤に近づいてきました。今日はにあんちゃんの里や鷹島を案内してもらいます。元気いっぱいです。


九州路に友人たちを訪ねて

2011-04-20 05:15:03 | 出会いの旅

 これから空路、鹿児島に向かいます。

九州に住む友人たちを鹿児島・霧島市~熊本・人吉市~佐賀・武雄市~佐賀・伊万里市と訪ねます。9泊10日の予定です。

 ●「九州路に友人たちを訪ねて」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/daeb0d42b7077bc22691d62913ec4116

 

 「川越だより」はしばらくお休みですが、友人たちのパソコンを借りて「霧島だより」や「人吉だより」などを出せるかもしれません。

今日は第一日。大学の同級生だった田上くんの世話になります。

明日、上野原遺跡(上野原・縄文の森)を案内してもらう予定です。ここを訪ねるのは04年以来二度目です。

 ●上野原遺跡http://www.geocities.jp/murachan1948/rekisi_uenohara.html


安曇野の旅を楽しみませんか

2011-04-17 11:37:37 | 出会いの旅

我が家の「一応庭」も連日の「猛暑」で一気に春爛漫になりました。きいちご、コリンゴが花盛りです。今朝はすっきりとよく晴れて、ぼくのベッドの目の前に張り出してきたコリンゴの花の向こうに青空が広がっています。

 それでも気分は今ひとつぱっとしません。先日の東京サイクリングの後遺症(花粉症)のせいもありますが、福島原発事故の得体の知れない影がこの国を覆っているせいかもしれません。

 このところ僕は旅行会社の営業担当のような気分です。5月14日(土)15日(日)と12回目になる「きいちご移動教室」で信州・安曇野を訪ねることになっているのですが、参加希望者が定員にほど遠いのです。一昨日の東京での営業と妻の友人たちの協力でやっと32人になったのですが、大型バスの定員45人まではまだまだです。

 先日、四国からの帰りに下見をかねて安曇野を訪ねました。白銀のアルプスの景観に圧倒されました。5月も中旬になる頃は安曇野も晩春、どういう姿をみせてくれるのでしょう?今回はあちこちに寄ることをせず、大王ワサビ園の近くにある宿を基地にしてゆっくりくつろぐ旅にしたいと思っています。

  ●宿舎「ごほーでん」http://www.0263826820.com/

 宿の近くの清流の畔に「早春賦」の歌碑もあります。このあたりを散歩するだけでも大自然に抱かれる喜びを満喫するはずです。

   ●「早春賦」http://www.youtube.com/watch?v=zrCSwQJimuk

 NHKの朝ドラ「おひさま」を見ている人には懐かしさが感じられるかもしれません。

 集客?で苦労するのは初めてです。東日本大震災による「自粛」や北信の地震、福島原発事故が影を落としているようです。「中国残留日本人孤児」の家庭では中国に退避する人が少なくありません。中国の家族から連日電話やメールで帰国をせかされて、妻が帰ってしまったという話を一昨日も聞きました。栄村などに被害をもたらした北信の地震を心配する人もいます。(安曇野は確かに同じ長野県ですが…)

 遠くに帰るところがある方はそれもいいのかもしれません。何せ、人類がそうは体験したことがない原発事故のただ中に私たちはいるのですから。とくに子どもたちを被曝させない配慮は当然です。

 企画する人間としては一人でも多くの人と喜びを共にしたいと考えます。こんな時だからこそ、大自然の恩恵に浴しながら人と人のつながりを確かめ合うのもいいものです。

 「きいちご多文化共生基金」の趣旨に同意してくれるならどなたでもけっこうです。皆さんの参加申し込みを待っています。詳しい案内は以下をご覧下さい。負担は一人5300円(大人)です。

 ●第12回きいちご移動教室http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/a3e37e58a329b7f83e99173d0f09431c

 

 


安曇野だより

2011-04-05 05:13:40 | 出会いの旅

4月4日(月)快晴

気比の松原、気比神宮によって敦賀を後にする。福井までは越前海岸の波打ち際の道を走る。紺青の海、絶景の連続。

 福井~大野~九頭竜湖~美濃白鳥~ひるがの高原。白山山系の真っ白い雪の山の展望がすばらしい。

学生時代に下赤塚の早川耳鼻科で働いていた二人の娘さんを思い出し、懐かしさでいっぱいになる。お二人は越前大野の高校を出たばかりで、僕のアルバイト先の医院で働きながら看護婦学校に通っておられた。お会いしてみたいなあ。

 このあたりは半世紀前にも電車とバスで訪ねたことがあるが春先の景観は初めてで、「感動」。

 飛騨高山~安曇野  真っ白い乗鞍岳の雄大な山姿を正面に見ながら飛騨から信濃へ。安曇野の宿「ごほーでん」着は4時半ごろ。

 宿のいたるところから北アルプスの雪山が見える。3階が展望室になっていて安曇野の広がりが一望できる。大王わさび園は目の前。

 「農家民宿」と銘打っているが、こんな豪壮な「農家」も「民宿」も僕は知らない。移動教室の参加者にも大喜びしてもらえることだろう。

 夕食時に夕日がアルプスに落ちていくのが見えた。

 


敦賀(つるが)だより

2011-04-04 06:15:34 | 出会いの旅

川越だより】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2011.04.03(日) 1139 PV 322 IP 2877 位  / 1562246ブログ
2011.04.02(土) 1170 PV 300 IP 2961 位  / 1561786ブログ
2011.04.01(金) 958 PV 280 IP 3525 位  / 1561386ブログ
2011.03.31(木) 815 PV 290 IP 3422 位  / 1560887ブログ
2011.03.30(水) 950 PV 306 IP 3093 位  / 1560141ブログ
2011.03.29(火) 1197 PV 330 IP 2993 位  / 1559713ブログ
2011.03.28(月) 983 PV 356 IP 2489 位  / 1559152ブログ

 

4月3日(日)曇りのち晴れ

 岡山道~中国道~舞鶴・若狭道を走って敦賀(福井県)までやってきた。

途中、丹波篠山で降りて城の近くで昼食。花見の人出がすごいが肌寒い天候で、桜の開花にはまだ一週間はかかる?のではないか。このあたりでは周辺の山々のコブシが花盛りだ。

 敦賀は「もんじゅ」など原発の町。途中の高浜・大飯(おおい)・美浜などにも原発が立地していて若狭(福井県の西南部)は世界一の原発密集地。うつくしい若狭湾がなぜこんなことになったのだろう。夜は寒くて早めにホテルに閉じこもり、町の人の声も聞けなかった。

 今日(4日)は福井~美濃白鳥~高山などを経て長野県・安曇野に向かうことにする。5月のきいちご移動教室の下見。故郷訪問のたびもいよいよ終わりに近づいた。今日は朝からよく晴れている。


岡山だより

2011-04-03 04:31:04 | 出会いの旅

4月2日(土)晴れ

 「てっぱん」がおわった。しまなみ海道をとおって尾道へ行くことにする。

 尾道水道の渡船のりばを訪ねたあと千光寺へ。長い石段の道を登る。家族連れの姿が多い。どの人の顔もほころんでいる。尾道を故郷とする人が「てっぱん」を見て何十年ぶりかに登ったと話してくれる。尾道水道の風光がすばらしい。

 午後は岡山県の高梁(たかはし)へ。4時に備中松山城に登り始める。思ったよりずっと長い階段の登り。400m以上の山の上に中世以来の城跡が広がる。天守閣は江戸初期のものらしい。

 高梁川の美しい流れに沿って岡山へ。駅前の「東横イン」泊まり。

4月3日(日)

 さて、今日はどこまで行けるかな?

 


春の旅・第二弾は「九州路に友人たちを訪ねて」

2011-03-04 04:08:13 | 出会いの旅

3月3日(木)晴れ・寒い

 九州の友人たちを訪ねる旅の予定がだいたい決まりました。どなたも遠い昔、世話になった方々です。今は九州の故郷に住んでおられます。

 泊めて貰ってその地を案内してもらうのですから贅沢この上なしです。

4月20日(水) (羽田ー鹿児島)  鹿児島県霧島市国分 T・芳久さん(大学の同級生)  上野原遺跡http://www.jomon-no-mori.jp/

   21日(木) 霧島観光Hhttp://www.kirikan.jp/                     あの霧島!

   22日(金)~24日(日)   熊本県人吉市 N・賀明さん(大島高校の同僚)    川辺川 人吉

   25日(日) 佐賀県武雄市山内  Y・正浩さん(池袋商業高校の同僚)      武雄

   26日(月)~27(火) 佐賀県伊万里市  I・正彦さん(大学の新聞部後輩)  

                                                        にあんちゃんの里http://hasiru.net/~maekawa/mine/oturu/oturu.html      

                                                        鷹島 伊万里 松浦

   28日(水) 平戸・千里浜温泉ホテル蘭風      平戸・生月

   29日(木) (長崎ー羽田)

 観光というより、それぞれの方のお宅に世話になってあれこれと交流するのが何よりの楽しみです。旧友と再び「出会う」ことが出来れば無上の喜びです。今回の移動は飛行機のほかはなるべく列車などを利用します。


夢は安曇野へ

2011-02-21 21:03:06 | 出会いの旅

【川越だより】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付 閲覧数    訪問者数     ランキング
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2011.02.18(金) 677 PV 236 IP 4896 位 / 1539592ブログ
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2月21日(月)曇りのち晴れ

曇り空だったので街へベーグルを買うお使いに行ったほかは閉じこもり。5月中旬に予定している「第12回きいちご移動教室」の宿泊場所探しに熱中しました。

今回の旅先は長野県安曇野(あずみの)です。この地方の知友がいろいろと当たってくれたのですが、当日が土日ということもあって低料金の適当な宿泊施設がなかなか見つからなかったのです。

インターネットで難問に挑戦しているうちにやっと探し当てることが出来ました。

●農家民宿「ごほーでん」http://www.0263826820.com/

快適に過ごせそうな宿なので趣旨を説明するといろいろと便宜を図ってくれることが解り、嬉しいやら有り難いやら。早速予約することにしました。是で僕も一安心です。

 

安曇野は父母と共に訪ねたことがある思い出深いところです。将史兄さん夫妻も案内しました。昨年はここに住む時夫くんと会うことが出来ました。僕はもうわくわくしています。


今山遊歩道

2011-02-19 18:16:01 | 出会いの旅

2月16日(水)晴れ

伊豆高原の保養・二日目。一月に続いて西伊豆遊歩道「今山コース」に挑戦する。一月は安良里港から網屋崎に行くのが精一杯だった。今度は反対側の田子から網屋崎を目指す。

●安良里の網屋崎http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/be000fa84323d9afac43749a3a9888ee

交通指導中?のお巡りさんに旧田子中学校まで先導してもらってグラウンド脇から今山への細い道を登る。運転する妻には風景を見る余裕はないが田子港の美しい風光が眼下に見える。対向車があるとたちどころに困ってしまう道だが幸いにもそのようなこともなく「今山遊歩道入り口」にたどり着いた。農作業中の地元の方の指示に従って道路脇にワゴンRを止めさせてもらった。ここまで来た車がUターンしなければならないので一台止めるのがやっとだ。

遊歩道の取っつきは急な登りの階段つづきでいつ果てるのかと思うほどだ。途中の四阿で夕日の美しさで知られる駿河湾の景色に見とれたあと息を切らしながら頑張って登るとベンチのある広場?に出た。戦中戦後の食糧難の時に開墾してサツマイモなどを作ったのか?それにしてもこんな急斜面の道をどうやって行き来したのだろうか。子どもの時、山の畑のサツマイモを収穫して籠で運ぶのを手伝ったときのことを思い出した。前後に籠をつけたオクを肩に食い込ませながら少年の僕も山道を下りた。しかし、そんなことがこの急峻な崖の道で出来るのだろうか。

ベンチの脇から今山に登る道?があるというが、そちらは棄権して安良里港方面に向かう。昼のチャイムを聞いたような気がするので日当たりの良い道脇で昼食にする。よく見ると遠くの空高くうっすらと富士山の頂が見える。麓の方は霞んでいて何も見えないのに頂の方だけが浮かんでいる。よく見ていないと空の色にとけ込んで見失ってしまう。

この富士山の姿は木の間越しに安良里港方面に進む間、ずうっと見えていたのではないか。あのすっきりした冬の富士山とは違って、幻の世界に迷い込んだような不思議な気がした。

どこから引き返そうかと思い悩みつつもとうとう網屋崎への分岐まで来てしまった。念願を達成して四阿で一休み。残念ながらここからは安良里港の展望はきかず、先月到達した網屋崎も見えない。

同じ道をたどって田子側の登山口に引き返した。UP,DOWNの激しい道で僕にはけっこうハードだがこの日であった若い人はすいすいと歩いているようだった。田子側の急傾斜地に植えられたアロエの花を愛でに来たらしい。

●今山遊歩道http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-60899.html

3時過ぎに田子を出て松崎・河津を経て宿にたどり着いた。土手の河津さくらは一分咲きか。

 

これで西伊豆町の田子・安良里の遊歩道歩きも一段落か。昨年の一月から2年がかりだった。伊豆高原から半島を横断して通ってくれた妻に感謝。

西伊豆の散歩道はまだまだある。大瀬崎等々。昔歩いた南伊豆の遊歩道も歩いてみたい。

 

●西伊豆②安良里と田子http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/066a5ba4e534a5b5a2e60a494a42147d

 

 


安良里の網屋崎

2011-02-09 21:53:23 | 出会いの旅

午後から快晴で風もなくなったので久しぶりに川越公園を散歩したあと温泉に入ってきました。週末には雪になるとの情報があるので今日の晴れ間は貴重です。

先月の伊豆・保養中の備忘録。

1月25日(火)

伊豆高原の駅から八幡野港付近まで歩いた。吊り橋の近くに「大淀・小淀」という案内板があり磯まで下りる道があった。下りてみて驚いた。柱状節理の見事な岩の上に出たのだ。

●大淀・小淀http://izukogen.biz/seasideresort/post_00050.html

柱状節理の見事さを遠くから見る機会は多かったが岩の上に下りられるとは…。何度も歩いた遊歩道のすぐ脇、灯台もと暗し、か。

 

1月26日(水)

西伊豆町安良里港から西伊豆遊歩道今山コースに挑戦することにする。巾着状の港の奥まったところに遊歩道入り口があった。アップダウンの激しい道をあえぎあえぎ登ると外洋の見えるところにでる。網屋崎への分岐。網屋崎というのは安良里港の出口となっている砂嘴の尖端のことのようだ。前々から行って見たかったところ。展望台の先で昼食にしたあと下りてゆくことにする。

利用する人が少なくて廃道になったのか、途中からは道なき道をおそるおそる行く。何とか灯台のある先端部にたどり着いた。うつくしい安良里の港の全貌が目の前に広がる。

石積みの上にわら屋根が乗っている小屋のようなものが見えたので行ってみた。イルカ漁の網小屋だったという。妻はかつて訪ねた済州島の民家を思い出して感嘆している。強い北西の風に耐えられるように積み上げられた石の壁はたいしたものだ。

●網小屋http://www.genbu.net/data/izu/uramori_title.htm

近くの浦守神社に手を合わせてもと来た道を引き返す。急峻な道だが帰りは勝手がわかっているからか、意外と早い。

今山・田子への分岐に帰ったのはもう2時半、今日はここまでとする。2月には田子からこのあたりまでの道を歩けるかな。普通の人には「遊歩道」かもしれないが僕には登山道とかわらない。

●西伊豆遊歩道・今山コースhttp://blogs.yahoo.co.jp/yosinataka/13795761.html