CHAINSAW ART JAPAN・ケイジの仕事記録

木を切るチェンソーで木彫刻。チェンソーアートジャパン・ケイジの仕事などを記録したブログです。

運動と活動

2009年05月29日 | オーガニックライフ
私は過去、仕事柄、いろいろな立場の方々とご一緒させていただき、お話しも聞いた。戦争反対、原発反対など○○反対というような運動をされている方々は当然それなりに勉強もされているし、理論も仲間もいることでしょう。でも、その運動を実現しようとする前に、自分自身の「やめなくてはいけない」ことを先にやめるべきでしょう。それを止めずして他を訴えても、奴隷を使って楽をしている人が人種差別をやめろと訴えているのと同じことです。
それは自分の意志でできる本当の最初の一歩なのです。
(それは、今の社会的常識としてインプットされてしまった方々にはたいへん不条理なものと思えるでしょう。)
でも、真実を知ってやめる勇気を持ってください。人類と他生物と地球の幸せのために!ここで書いた「それ」を是非見つけてください。以下のサイトを紹介します。
http://saisyoku.com/index.html

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
敬意 (現時点匿名)
2009-06-17 09:46:06
こんにちは、初めて書き込みます。
私も、菜食には賛成ですし、自分自身も減量と体作りという目線で、菜食小食などを実施し、体の変化が意識の変化につながり、またその逆も体験しました。

菜食をする理由は様々あるかと思います。

今回の記事では、やや疑問を感じました。

たとえば
チェンソーを通した森づくり
というのも活動ですし運動です。
ケイジさんはそれを成しつつある、大変なパワーと技術と精進がおありだったと感じます。素直に尊敬しております。


菜食主義の方のほとんどは
「自分が食べない」という行動をしています。
ほかの人にもそれを勧める。という行動も起こされています。


ケイジさんが握るチェンソーは
肉を食べた人がたぶん作っています。
それは良いのでしょうか。

自分が肉を食べなくても
誰かが肉を食べて行動した結果
製品や流通が成り立っています。
菜食主義の方が使う鍋や鍬も、肉を食べた人が作っているかも知れません。

それは
「奴隷を使って人種差別をやめろと訴える」 とまではいかなくても
「人種差別をやめろといいながら人種差別するお客さんを拒まない」
くらいの矛盾ではないでしょうか。


菜食主義には、なんら問題も疑問もありませんが
「つながりを気にしない菜食主義」には問題を感じます。

菜食主義者は自身を「徹底している」と思う人が多いようですが、実はそれは違い、「徹底しているのは自分だけ」です。
徹底の度合いがありましょうけれど
その度合いを決められる人はいません。

私自身、自分は徹底していると思っていたときもありましたが
実は自分がご満悦なだけでした。
私が使うチェンソーも車も皿や本も、肉を食べた人が作っているに違いなく、その恩恵あって暮らしております。

自分でできる第一歩
は大事ですし、異論も無いです。

しかし「どこまで徹底するのか」という基準はどのあたりで決めましょうか。
いつもそこがわからなくなります。

自分だけが気づく、自分だけがやる。
でも、お客さんがもりもり肉を食べるからとそのお客さんを拒むことはしにくいとおもいます。

戦争に反対する人も
原発に反対する人も
みなさんそれが「自分にできる一歩」なのです。いろいろな矛盾はわかっていながら、やむにやまれず行動するのでしょう。


環境を言いながらお化粧を水に流し
家畜動物の命を言いながら、鎖につないで犬を飼うのが虐待とは思わず(犬はうれしいはずないですね。)
いわゆるエコカーだと自慢げでも、やはり車に乗り環境を乱す・・・
そういう矛盾と、
「肉食をやめろといいながら、肉を食べた人が作ったチェンソーを握る」という矛盾は
なんら変わりないです。

チェンソーのある快適な生活 は
肉を食べる人が支えている

というのも事実です。


徹底することは難しいです。
私の悩みや迷いを書いているだけですが
気持ちが入りすぎたか、やや責めているように読めてしまうことはお許しください。


徹底することは難しい。
これは つながり を無視すれば別です。
自分だけはできている という満足と、それをみんなに伝えたい という気持ちは私もあります。

しかし、つながりを考えると
私はやはり
自分の手を汚さずに肉を食べているのと同じ
だと感じます。

つながりを考えなければ平気です。
私は自分ができることはやっているから。
と思うことができます。

長くなりました。

ちなみに私の菜食小食はもう終わっています。
目的が減量と体作りだったからです。
もう肉も食べ車に乗りタバコも吸いチェンソーで遊んでいます。


尊敬するケイジさんだからこそ
書きたくなりました。

お目とおしありがとうございます。









返信する
ありがとうございます (KG)
2009-06-17 13:14:45
まずは、たいへん良いコメントをどうもありがとうございます。
そのとおりですよね。私も前々から自分自身の中で問い詰めている部分でもあります。周りには肉を食べている人たちがつくったものだらけです。でも、それを少しでも減らせるように実際に何をするのかが重要でしょう。いつかはチェンソーも自動車に乗ることも止められる日が来るかなぁと思ってます。でも今すぐではありません。
私が感じているのは、動物の命、魂の部分です。
つながりを気にしない菜食主義にはなっていないつもりです。ただ、個人個人で何を止めることができて、何をできないのかはそれぞれ違いますし、それを批判もできないでしょう。私はチェンソーカービングをすることによって批判もたくさん受けますが、多くの方々にメッセージや感動を残す事ができます。私にはそんな力しかありません。それを手法として頑張るしか今のところは無いのです。
自分自身が徹底しているなんて思ったことはありません。できる限りその時よりも今、今より次へと少しづつやっていくのです。あきらめずに。
「自分の手を汚さずに肉を食べているのと同じ」とは全く思いません。それは明らかに違うと思います。
もし、そう思うのであれば、それらから逃げず、1人でも多くの人がそれに気づいて、自分のできる範囲で減らしてくれることに努力すべきではないでしょうか。
関連性は全てに関連し、因果は複雑に絡み合っています。それらを断ち切っては何もできません。
でも、一筋の信念と愛を持ってその関連を良い関連に引っ張っていきましょう。
それらを気にして何もできないより、批判を受けてでもひとつでもやり通すことだと思っています。
今は、食料自給と衣料自給を同時に動いています。
これも表裏一体であることは分かっています。
返信する