昨日思い立って予約して、今日は東博に行ってみた。指定入館時間は12:30。入館が12:30-13:00と指定されているだけで、入替制ではないので鑑賞は好きなだけゆっくりできる。ただし、現在公開されているのは、本館1階の11-13室と16室18室、平成館1階の考古展示室、法隆寺宝物館1階の第1-3室のみ。今後徐々に公開されるエリアが拡大していく予定のようだ。
近所のバス停から上野松坂屋行きに乗り、御徒町駅近くの終点から上野公園を突っ切って正門へ。桜の季節と違って人通りが少なく、たまに出店が出たりする噴水広場もがらんとしていて気持ちいい。広場に面したスタバが営業してた。いつもは満席で入れた試しがないけど、流石に今日は席が空いていた。アイスティーをたのんで、時間調整とクールダウンも兼ねて暫しお休み。
正門を入ると、検温とチケットの確認。敷地に入るのは久しぶり〜、が最初の写真。その後まず向かったのは目指す法隆寺宝物館とは真逆、東洋館近く。時節柄、っていうのかな(笑)
ジェンナー先生にお願いした後は、正門を左に見つつ、木陰を歩くと見えてくるのが黒門。東大にあるのは赤いので赤門で、こっちは黒いから黒門。もうちょっと捻ったネーミングにしてもバチは当らなかったのでは(苦笑)?
正しくは「旧因州池田屋敷表門」。丸の内にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門で、昭和26年に重要文化財に指定されている。扉の開放は原則土日のみ。表側から見た様子は、のちほど。
「黒田家の江戸屋敷鬼瓦」。筑前福岡藩主黒田家の屋敷の棟飾りとして用いられていたもの。鬼瓦といっても鬼の面ではなく、複雑な雲文のひれまでを一体に作った大きなもの。屋根を重厚にするのは江戸趣味だとあった。さらに進むと、木立の向こうに法隆寺宝物館が見えてくるんだけど、私の知ってる建物と違う(苦笑)。
私の記憶では、ここまでガラス張りではなかった。しかも展示もできる収蔵庫なので木曜日しか空いていなくて、しかも雨が降ると開館しない、なんともアクセスの悪い宝物館だった。いつの間にか建て替わっていて(今の建物は平成館と同じ平成11年に開館したらしい)、本館と同じ開館時間となり、さらにはホテルオークラのガーデンテラスカフェもできてて(今は営業休止中)驚いた。
いきなり迎えてくれるのが「灌頂幡(かんじょうばん)」と呼ばれる仏教の荘厳具。
「金箔灌頂幡」飛鳥・奈良時代、国宝。仏門に入る時に頭に香水をかける儀式(灌頂)の際に用いられる幡のことらしい。楽器や香炉を持つ天人の姿が透彫された繊細なもの。当初の全長は10メートルを超えていたのでは、と推測されているという。
菩薩半跏像を含む多くの仏像を堪能して足を踏み入れたのは、伎楽面の展示室。中国の巨大なお面につながるなぁといつも思う。寸劇を交えながら音楽と共に野外を練り歩く仏教の儀式に使われた仮面。でも7世紀後半から8世紀にかけて盛んだったものの、その後衰えて途絶えた。今も残る仏教の儀式ではお面は使っていないし、能面などと比べるととにかく大きいので、日本人のメンタリティには合わなかったのかなぁ。
と、ここまでじっくり1時間をかけて鑑賞。入館者の数を制限しているからか他の人を意識することもほぼなく、展示品の保護のために照明を落としているので、視界を遮るものも耳障りな音もなく、目の前のお宝と自分だけの世界に浸っていられたので、心から満足した。もうこのまま帰ってもいいくらいだけどなぁ、と思いながらひとまず表慶館の前を通って、おおそうであったと思い出してパチリ。
いつも入ってみたいけど、特別展鑑賞でヘロヘロになって前を通るだけになってる表慶館。今日は入る気満々なのに、休館中・・・。入り口を守るライオンちゃん、右のライオンは口を開け、左は閉じている。建物はザ・西洋なのにここだけ日本の「阿吽」(笑)。すきなんだよね、こういうの〜
本館前のユリノキの下のベンチで、しばし宝物館の余韻に浸りつつ初夏の空気を楽しんだ。このユリノキは東博に自然科学分野の研究室があった頃の置き土産だとか。そういえば、敷地内には枝垂れ桜など立派な樹木だけじゃなく、野草のような植物がたくさんあった。みんな置き土産なのね〜
未踏の地だった法隆寺宝物館の一部だけでも訪れることができて、大変満足であった。コロナのおかげ、ってことにしておこう。続きはまたそのうち。
近所のバス停から上野松坂屋行きに乗り、御徒町駅近くの終点から上野公園を突っ切って正門へ。桜の季節と違って人通りが少なく、たまに出店が出たりする噴水広場もがらんとしていて気持ちいい。広場に面したスタバが営業してた。いつもは満席で入れた試しがないけど、流石に今日は席が空いていた。アイスティーをたのんで、時間調整とクールダウンも兼ねて暫しお休み。
正門を入ると、検温とチケットの確認。敷地に入るのは久しぶり〜、が最初の写真。その後まず向かったのは目指す法隆寺宝物館とは真逆、東洋館近く。時節柄、っていうのかな(笑)
種痘の発明者ジェンナーの銅像へ。ワクチン、良いのが出来ますように〜
ジェンナー先生にお願いした後は、正門を左に見つつ、木陰を歩くと見えてくるのが黒門。東大にあるのは赤いので赤門で、こっちは黒いから黒門。もうちょっと捻ったネーミングにしてもバチは当らなかったのでは(苦笑)?
正しくは「旧因州池田屋敷表門」。丸の内にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門で、昭和26年に重要文化財に指定されている。扉の開放は原則土日のみ。表側から見た様子は、のちほど。
「黒田家の江戸屋敷鬼瓦」。筑前福岡藩主黒田家の屋敷の棟飾りとして用いられていたもの。鬼瓦といっても鬼の面ではなく、複雑な雲文のひれまでを一体に作った大きなもの。屋根を重厚にするのは江戸趣味だとあった。さらに進むと、木立の向こうに法隆寺宝物館が見えてくるんだけど、私の知ってる建物と違う(苦笑)。
私の記憶では、ここまでガラス張りではなかった。しかも展示もできる収蔵庫なので木曜日しか空いていなくて、しかも雨が降ると開館しない、なんともアクセスの悪い宝物館だった。いつの間にか建て替わっていて(今の建物は平成館と同じ平成11年に開館したらしい)、本館と同じ開館時間となり、さらにはホテルオークラのガーデンテラスカフェもできてて(今は営業休止中)驚いた。
いきなり迎えてくれるのが「灌頂幡(かんじょうばん)」と呼ばれる仏教の荘厳具。
「金箔灌頂幡」飛鳥・奈良時代、国宝。仏門に入る時に頭に香水をかける儀式(灌頂)の際に用いられる幡のことらしい。楽器や香炉を持つ天人の姿が透彫された繊細なもの。当初の全長は10メートルを超えていたのでは、と推測されているという。
金銅仏、光背、押出仏 の展示室
阿弥陀三尊及び僧形像、飛鳥時代、重文
摩耶夫人及び天仁像、奈良時代、重文
衣のドレープが特徴的な如来坐像、飛鳥時代、重文
菩薩半跏像を含む多くの仏像を堪能して足を踏み入れたのは、伎楽面の展示室。中国の巨大なお面につながるなぁといつも思う。寸劇を交えながら音楽と共に野外を練り歩く仏教の儀式に使われた仮面。でも7世紀後半から8世紀にかけて盛んだったものの、その後衰えて途絶えた。今も残る仏教の儀式ではお面は使っていないし、能面などと比べるととにかく大きいので、日本人のメンタリティには合わなかったのかなぁ。
ほんの一部だけでもこれだけある
伎楽面 呉女、飛鳥時代、重文
伎楽面 酔胡王、飛鳥・奈良時代、重文
と、ここまでじっくり1時間をかけて鑑賞。入館者の数を制限しているからか他の人を意識することもほぼなく、展示品の保護のために照明を落としているので、視界を遮るものも耳障りな音もなく、目の前のお宝と自分だけの世界に浸っていられたので、心から満足した。もうこのまま帰ってもいいくらいだけどなぁ、と思いながらひとまず表慶館の前を通って、おおそうであったと思い出してパチリ。
いつも入ってみたいけど、特別展鑑賞でヘロヘロになって前を通るだけになってる表慶館。今日は入る気満々なのに、休館中・・・。入り口を守るライオンちゃん、右のライオンは口を開け、左は閉じている。建物はザ・西洋なのにここだけ日本の「阿吽」(笑)。すきなんだよね、こういうの〜
本館前のユリノキの下のベンチで、しばし宝物館の余韻に浸りつつ初夏の空気を楽しんだ。このユリノキは東博に自然科学分野の研究室があった頃の置き土産だとか。そういえば、敷地内には枝垂れ桜など立派な樹木だけじゃなく、野草のような植物がたくさんあった。みんな置き土産なのね〜
いつもは先を急いで全く目もくれない池
本館車寄せの中央から正門の向こうまで、人工物はほぼシンメトリー。これぞ東洋ざます
未踏の地だった法隆寺宝物館の一部だけでも訪れることができて、大変満足であった。コロナのおかげ、ってことにしておこう。続きはまたそのうち。
時間と気持ちに余裕がないと行けません。
コロナのおかげで込み合ってもおらず、色々見れて良かったですね。
古いものを見ると色々考えます。
すごくよかったです。
余裕があると収蔵品だけじゃなく建物にも目が行きます。
今回は本館の建物と本館裏の庭園にも注目しました。
それはまた後日