月曜日に初めて緩和病棟の担当の看護士さんとお話をさせていただいた。私たちが告知しないと決めたことを前提に、いろんなアドバイスをもらった。記録のためこちらにアップ
緩和ケアには現在70名の外来患者さんがいらしている。緩和病棟を最終目的地にしない、を目標にケアを提供している。緩和ケアは治療の通過点、痛みを取って体力が戻ったら普通の生活に戻りましょうね、という位置付けで、患者さんの帰る場所を奪わないようにしている。
自分たちには癌患者のサポートチームがあるので、お父様が耳鼻科の外来にいらっしゃっている間からサポートを提供することは可能。ただ、告知していないので「どうしてこの人たちが?」と疑問に思うことがプラスにならないかもしれないので、ひとまず食事(食欲が落ちる)と睡眠(眠れない)に異常が出たら、早めに相談に来てもらう、で対応することにしよう。
痛みと吐き気が体力を一番奪う。それなりに自分のことができる状態が一番よいので、その状態を少しでも維持するには、病院の移動や待ち時間で体力を奪ったり診療科を増やして不安にさせないこと。
本人には我慢させないようになんども言うこと。ある程度の年齢の人は、何でも我慢する傾向があるので、周囲が気づいてあげることが肝要。我慢していると、睡眠と食事に加えて口数が少なくなるなどの変化に注意、変化があったら緩和ケアの出番。
それから、(87歳になるので治療はしない方針だそうですと伝えたので)耳鼻科が積極的治療を選ばないのは、単純に年齢の問題ではなく体の機能の問題ではないか。血液検索の結果例えば肝機能が落ちていて、投薬がかえってからだの負担になると判断したというような可能性もある。実際に無理して治療して寝たきりになった症例が多い。だから必ずしも年齢だけで治療方針を決めたわけではないと思う。大学の医学部附属病院と先端治療で連携してるので、お父様がそういう治療を受けることが可能な状態ならやるのでは(やらないという治療計画は父のからだの機能がそれを受け付けないほど落ちてるってことか?)。
相談相手が増えて嬉しい
緩和ケアには現在70名の外来患者さんがいらしている。緩和病棟を最終目的地にしない、を目標にケアを提供している。緩和ケアは治療の通過点、痛みを取って体力が戻ったら普通の生活に戻りましょうね、という位置付けで、患者さんの帰る場所を奪わないようにしている。
自分たちには癌患者のサポートチームがあるので、お父様が耳鼻科の外来にいらっしゃっている間からサポートを提供することは可能。ただ、告知していないので「どうしてこの人たちが?」と疑問に思うことがプラスにならないかもしれないので、ひとまず食事(食欲が落ちる)と睡眠(眠れない)に異常が出たら、早めに相談に来てもらう、で対応することにしよう。
痛みと吐き気が体力を一番奪う。それなりに自分のことができる状態が一番よいので、その状態を少しでも維持するには、病院の移動や待ち時間で体力を奪ったり診療科を増やして不安にさせないこと。
本人には我慢させないようになんども言うこと。ある程度の年齢の人は、何でも我慢する傾向があるので、周囲が気づいてあげることが肝要。我慢していると、睡眠と食事に加えて口数が少なくなるなどの変化に注意、変化があったら緩和ケアの出番。
それから、(87歳になるので治療はしない方針だそうですと伝えたので)耳鼻科が積極的治療を選ばないのは、単純に年齢の問題ではなく体の機能の問題ではないか。血液検索の結果例えば肝機能が落ちていて、投薬がかえってからだの負担になると判断したというような可能性もある。実際に無理して治療して寝たきりになった症例が多い。だから必ずしも年齢だけで治療方針を決めたわけではないと思う。大学の医学部附属病院と先端治療で連携してるので、お父様がそういう治療を受けることが可能な状態ならやるのでは(やらないという治療計画は父のからだの機能がそれを受け付けないほど落ちてるってことか?)。
相談相手が増えて嬉しい
すぐには入れない状態と聞きました。
父上様のお住いの地は手厚いケアが受けられ
良かったですね。私の母も便に血が混じり
検査するため 聞くと大量の水を飲み麻酔をしたのち
シモからカメラを入れるわけで90歳の母には
負担が大きく それにもしガンが見つかっても
もう手術はせず痛みは取ってもらい寿命を待つ
方針を妹と決めましたのでもう検査はしません。
今お世話になっているグループホームで
最期を迎える人も増えておりこれから母の
体がどう変化していくか分かりませんが
出来れば 本人が長年暮らし職員さんも友人もいる
ホームで看取りまでお願いしたいと思います。
ただ病状が相当進んで自分でご飯が食べられなく
なった時24時間看護に付く覚悟でホームに詰めて
世話をしなければなりません。
父上は心配ですね 頭がしっかりしておられますので
告知はしない方向で進めるのですね。
kebaさんは仕事を持っておられ離れた地ですので
ご苦労が多いと思います まずご自身が病気に
なりませんよう 体も心もきついと思いますが
がんばってくださいね。
母は、86歳で手術を受けました。そのままだと余命1年と言われて、一年がたちました。日常のことは出来ますが、気力があまりないです。いくつかの選択を経て、ここまで来ましたが、振り返るとどうだったのかと考えてしまいます。
ご兄弟でみんなで一致団結して、お父様を支えている様子は、良いなあと思って拝見してます。
でも、kebaさんご自身もからだに気をつけて下さいね。
同じ選択をすると思います。
最新兵器があるからそれを持って癌と戦え、
って、あたしには言えませんでした。
もう検査するだけでも麻酔かけるだけでも
体力が奪われそれ自体がリスクになり得るんですもん。
いままでと同じ、毎日が同じ、そういう日が1日でも続けば、と思います。
それにしてもお母様はお幸せですね、
そういう覚悟のお嬢さんがお近くにいらして。
主治医がそのように勧められたのだと思います。
その後の選択があって今があり、
お母さまがいま余命といわれた1年を過ぎて日常のことがおできになる、
それは素晴らしいことだと心から思います。
日常のことができるって、ある一定の年齢になったら普通のことじゃないですもの。
暴走しそうな弟には医師とか緩和病棟の看護師の意見という
「外圧」を利用して抑える(笑)、で団結して頑張りま〜す
増えて来て心丈夫なことでしょう
私は告知して欲しい派
主人は 告知に耐える精神力が あるか否か
少々不安です
実は 103歳で 姑が 亡くなりました
付き添いも 張り合いでしたから ただ今
<虚脱>って感じです
それ以降は気力と体力が衰えて無理、って。
それが終わってれば、告知についてはどっちでもいいかな、あたし。
姑さんの介護、お疲れさまでした~