養老孟司氏は喫煙擁護派である。
というよりも禁煙ファシズム反対派と表現した方が正確だろうか。
彼は「喫煙と肺がんの因果関係を証明できたらノーベル賞ものだ」
という発言もしている。
この発言の背景にあるものを、ここで私なりに解釈してみようと思う。
我々は、大抵「タバコは体に悪い」と思っている。
これは禁煙運動家たちの啓蒙活動によるところが大きいのだが、
その根拠となる論文などは即座にうのみにしてはいけない。
一般論として、人間などといったナマモノを対象とする実験は、
様々な意図せざる因子が絡むため、万人が納得できる結論を
導くには細心の注意を必要とする。
分かりやすい例として、次のようなものがある:
ある同じ小学校内の同じ人数からなる2つの小学生グループA,Bがある。
同じ運動と勉強のテストを2つのグループに対して行ったとき、
Aグループは運動ができ、かつ勉強もできる。
Bグループは運動の成績も勉強の成績も下である。
このことから、「運動と勉強の間には相関関係がある。
だから勉強できるようにさせるには、運動を奨励すればよい」
という結論にはならない。
なぜか。
Aグループは小学校6年生の集団で、
Bグループは小学校1年生の集団だからである。
ここでは「年齢」という因子が運動能力と学力に強い影響を及ぼしているため、
ただしい結論が導かれない。
すなわち、例えば「喫煙は肺がんになりやすい」という推論に対し
公正な結論を出すためには、影響を及ぼしている他の因子
(遺伝的特質、年齢、環境)を排除した状態で被験者を観察しないといけないわけだが、
それはとりわけ人間対象では不可能に近い。
それだけでなく、これらは全て実験結果に統計処理を行わないといけないのだが、
検定は「実験者がどの分布モデルを当てはめるか」でしばしば結論が変わる。
これらのことから、実験者が「初めに結論ありき」の態度で実験に臨むと、
工夫すればその期待した結論をだすことが容易にできる。
こうしたことは、医学研究ではおそらく常識であり、
だからこそ養老氏は警鐘を鳴らしているともいえる。
もっとも、彼のタバコ擁護の意見は引用もしていなければ、
反対意見に対する応答もしていないので、学問的には価値がない。
ただの愛煙家の戯言ととらえるべきである。
そもそも彼はタバコが体に悪いと分かって吸っているみたいであるし、
体に悪いと証明されたところで喫煙は止めないだろう。
彼が一番反発しているのは、禁煙運動家の
「喫煙はあなたの健康に良くないからやめましょう」
という偽善ぶった態度ではないか、という気がしている。
だから、以前にも私が記事に書いたことだが、禁煙運動家は喫煙者に
「タバコの煙と臭いが嫌だからやめてくれ」と正直に言った方が
結局皆が納得するのではないか、と思うのである。