goo blog サービス終了のお知らせ 

そこはかとなくかきつくれば

日々のとりとめのない気付きを結晶に

原発事業に関わる人たち

2011-09-22 | 社会

先日、大規模な反原発デモが行われたらしいが、

日本の原発はそれで縮小方向に果たして向かうだろうか。

 

原発関連の仕事に就いて日々の糧を得ている人たちがいる。

彼らは原発存続を願う。原発がなくなると収入がなくなるからである。

 

そういった人たちに対して、

社会的モラルを持ち出して原発から離れるよう説得するのは困難である。

人間の生存欲求と比べたら、社会倫理の持つ力など取るに足りない。

 

解決するには、国から拠出される原発関連予算を他の分野に移し、

それと同時に彼らの就職先をその新しい分野で保証することである。

そうしない限りは、彼らは脱原発運動に対して抵抗をし続けるだろう。

 

しかし、彼らを転職させたとしても、

全く違う分野で有効な労働力となりえるのかどうかは

甚だ疑問であることも言を俟たない。

 

結局のところ、反原発を声高に唱えるのは誰でもできる。

しかし、それを実現するためには、

例えば上記の原発関連就労者のフォローなど、

考えなければならないことは多い。

 

某政治家ではないが、知恵を出さないと事は動かない。

義憤や理想論を振りかざしているだけではダメなのである。

残念ながら、こうした思考教育が一番日本において欠けている部分なのだが。


原発再考

2011-09-10 | 社会

なぜ原子力発電所関連の組織がこれほど腐敗してしまっていたのか。

他の業界と比べて何が違うのか。

 

一つは、原発事故のリスクを定量的に評価できなかったということがあると思う。

あえていうと、原子力関連業はそれが「安全」だから成り立っていたのではない。

むしろ、それが「危険」であるがゆえに成り立っていた。

 

「危険」であるがゆえに、事故対策のために国から多くの補助金がもらえる。

安全対策と称して、電気料金に上積みができる。

実際には、そうした収入がどのように使われたかは明確でない。

 

原発作業員を雇う場合でも、東電と雇用者の間に何重もの

仲介業者が入ってマージンをとっていた。

本来、ちゃんとした専門家がそこで働くために支払われるはずの人件費が、

彼らのポケットマネーに消えていき、現場で働いているのは

名簿管理さえされない無名の日雇いである。

 

多少でも知識のある人は原子炉付近で被曝の危険性に怯えながら

働くなど考えもしないだろう。

だからこそ原子力企業が儲かるのである。

「彼らを雇うためには高い人件費が必要」と言って国に補助金を要求できるから。

また、リスクを定量的に評価していないから、その要求は天井知らずに高くできる。

 

こうした現象は、人件費に限らず、ありとあらゆる設備投資にも

共通していただろうと容易に推察できる。

 

現場は高い放射線濃度なので、監査する側もあまり入りたくない。

だから監査もなおざりになっていたと言える。

 

放射線よりも、それを管理する人間側の体制の方が危険を孕んでいるのである。


養老孟司とタバコ

2011-09-09 | 社会

養老孟司氏は喫煙擁護派である。

というよりも禁煙ファシズム反対派と表現した方が正確だろうか。

 

彼は「喫煙と肺がんの因果関係を証明できたらノーベル賞ものだ」

という発言もしている。

この発言の背景にあるものを、ここで私なりに解釈してみようと思う。

 

我々は、大抵「タバコは体に悪い」と思っている。

これは禁煙運動家たちの啓蒙活動によるところが大きいのだが、

その根拠となる論文などは即座にうのみにしてはいけない。

 

一般論として、人間などといったナマモノを対象とする実験は、

様々な意図せざる因子が絡むため、万人が納得できる結論を

導くには細心の注意を必要とする。

 

分かりやすい例として、次のようなものがある:

ある同じ小学校内の同じ人数からなる2つの小学生グループA,Bがある。

同じ運動と勉強のテストを2つのグループに対して行ったとき、

Aグループは運動ができ、かつ勉強もできる。

Bグループは運動の成績も勉強の成績も下である。

 

このことから、「運動と勉強の間には相関関係がある。

だから勉強できるようにさせるには、運動を奨励すればよい」

という結論にはならない。

 

なぜか。

Aグループは小学校6年生の集団で、

Bグループは小学校1年生の集団だからである。

 

ここでは「年齢」という因子が運動能力と学力に強い影響を及ぼしているため、

ただしい結論が導かれない。

すなわち、例えば「喫煙は肺がんになりやすい」という推論に対し

公正な結論を出すためには、影響を及ぼしている他の因子

(遺伝的特質、年齢、環境)を排除した状態で被験者を観察しないといけないわけだが、

それはとりわけ人間対象では不可能に近い。

 

それだけでなく、これらは全て実験結果に統計処理を行わないといけないのだが、

検定は「実験者がどの分布モデルを当てはめるか」でしばしば結論が変わる。

 

これらのことから、実験者が「初めに結論ありき」の態度で実験に臨むと、

工夫すればその期待した結論をだすことが容易にできる。

こうしたことは、医学研究ではおそらく常識であり、

だからこそ養老氏は警鐘を鳴らしているともいえる。

 

もっとも、彼のタバコ擁護の意見は引用もしていなければ、

反対意見に対する応答もしていないので、学問的には価値がない。

ただの愛煙家の戯言ととらえるべきである。

そもそも彼はタバコが体に悪いと分かって吸っているみたいであるし、

体に悪いと証明されたところで喫煙は止めないだろう。

 

彼が一番反発しているのは、禁煙運動家の

「喫煙はあなたの健康に良くないからやめましょう」

という偽善ぶった態度ではないか、という気がしている。

 

だから、以前にも私が記事に書いたことだが、禁煙運動家は喫煙者に

「タバコの煙と臭いが嫌だからやめてくれ」と正直に言った方が

結局皆が納得するのではないか、と思うのである。


芸能人ニュース

2011-08-28 | 社会

なぜ、芸能人の恋愛だの結婚・離婚だのが

政治経済の報道を圧迫するほど大々的に報道されるのだろう。

 

冷静に考えれば、彼らの私生活なぞ

我々の生活には全く関係がない。

彼らにも法的にはプライバシーがあるはずなのだから、

興味はあっても敢て詮索しないというのが

我々のとるべき大人の態度だろう。

 

「そんなしょうもないことを報道している暇があったら

本当に重要なニュースをきちんと取材して報道せよ」

と我々視聴者は本来文句を言うべきなのである。

 

例えば、国会で何が起こっているか、国民が分からない状態でいいのか?

現実に、人命に関わるような問題が山積しているというのに。

 

一芸能人が暴力団関係者に接触していたことを大騒ぎする前に、

政治家が暴力団に接触していないかどうかをまず取材・報道するべきではないのか?

もし、それをマスコミが報道できないのなら

そのこと自体が我々の真剣に考えなければいけない議題である。


火垂るの墓

2011-08-15 | 社会

終戦記念日の少し前にはテレビの金曜ロードショーなどで

ジブリの映画「火垂るの墓」がしばしば放映されていた。

子供の頃はこの映画を見るたびに泣かされ、

男子としては少々いやな気分であったことも確かである。

 

ただ、いつの頃からか主人公の兄妹に共感できなくなり、

それからあまり泣くことはなくなった。

大人の視点からいくと、

 

「節子(妹)を殺したのは清太(兄)自身ではないか」

 

と言わざるを得ないのである。

親戚の叔母の家を出ていかなければ、

少なくとも妹が餓死することはなかっただろう。

あの映画の描写では、清太の、軍人の息子としての矜持が

叔母の家に居候として肩身狭く生活することを許さなかったということになる。

妹のことを最優先に考えるなら、苦しくてもその矜持は捨てるべきであった。

 

兄妹が二人で生活を始めて、妹が栄養失調により体調を崩して以降も、

叔母に土下座してもう一度共同生活をお願いすれば、

少なくとも死は免れたのではないか。

 

叔母は振り返ってみると、常識人なのである。

生計が苦しくなったので、叔母が兄妹の母(故人)の

着物を売ろうとする場面もあったが、節子はそれに抵抗していた。

しかし、生きていくために食料を得ることが最優先なのだから

叔母の行動は冷淡に見えても間違ってはいない。

 

この映画の感想が「主人公の兄妹が可哀そう」で済んでしまっては、

実は得られるものは少ない。

太平洋戦争においては、中期以降日本軍の燃料が枯渇し、敗戦はすでに確定していた。

それなのになかなか降伏せず、一般国民の犠牲が拡大したのは

ひとえに陸軍の矜持が降伏を最後まで拒否したからである。