私はもう朝日新聞を批判したり、
責めたりはする気がない。
無益だからだ。
今の朝日新聞社はもはや批判されても
変わることはないだろう。
彼らは最後まで与えられた使命を全うするつもりだろう。
その使命は日本という国にとっては純粋に敵対的である。
「反省して悔い改めればいい新聞社に生まれ変わる」
と考えてはいけない。
彼らが「反省したふりをする」としたら、それは
日本国民を騙し続けるためである。
朝日新聞社を敵として認識し、
それが日本のマスコミの看板を掲げている現状に対して
とりうる最大限の防御策を考えないといけない段階になっている。
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「朝日新聞は廃刊せよ」
という論調が強くなっていることは間違いない。
しかし、朝日新聞が廃刊になったところで
結局ダメージを受けているのは日本側であることは事実だ。
そして朝日新聞の抱えている病巣は他のマスメディアも抱えている。
朝日新聞がなくなったからといって、
問題全体が解決したわけでは全くない。
今の論調は朝日新聞がスケープゴートにされている可能性も
考えておくべきだろう。
その裏で本当に報道されるべきことが
塗りつぶされている可能性も常に念頭に置いておいたほうがよい。
私が「嫌韓」記事を最近敬遠しているのもそのせいだ。
他のメディアも十分すぎるほどに報道するようになっているが、
日本を巡る外交諸問題は韓国以外にも色々あり、
些かバランスを崩し気味だと思っている。
嫌韓記事が跳梁跋扈する中で、
そこに大きな問題が隠されていないか?
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結局第二、第三の朝日新聞を生まないようにするのが
今我々ができる精一杯のことである。
(朝日新聞が更生する可能性は、ない)
ただこの点については非常に不安が残る。
情報の氾濫によって我々の多くが記事の
「見出し」だけを読んで中身をすっとばす習慣がついてしまっている。
それは記事(の見出し)の内容を鵜呑みにする、
ということでもある。
朝日新聞はそれを利用して煽動してきた。
結局有害なメディアを駆逐するためには、記事を疑い、
取材不良、誤誘導、印象操作的な記事を我々が
見極めることができなければならないのだが
教員の立場から今の若い人たちを見ているとかなり危ない。
読む力、考える力が低下している可能性がある。
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数学教員という立場からもの申すのであるが、
最近の教育課程では平面幾何における証明問題が
どんどん削られていっている。
この単元が証明問題に正面から向き合える
ほぼ唯一の単元であるのにも関わらず、である。
この結果、大学では定理の証明を授業で教えても
学生に伝わらない状況に陥っている。
証明をする意義、そしてその文法が学生はわかっていないからだ。
http://blog.goo.ne.jp/kazuno_hatake/e/42b6d9971cd213abeb03128be9ee5d0d
政治関連の記事よりは、
数学の証明文の方がまだ簡明であると私は思っている。
しかし、今の学生は証明文を自力で読む力がない。
論理ギャップがあったとしても見抜くことができない。
我々が数学の論理性を学ぶのは、
「嘘を嘘と見抜く」能力を身に付けるためである。
数学の単純な論理ですら無理なら、
ましてや新聞の虚偽を見抜くのはできるわけがないだろう。
より深刻なのは、
若い人たちがこのことを「深刻」と捉えていないことにある。
これは若い人に限った問題では無いのだが。
「数学なんて知らなくてもいい」という風潮が
論理の軽視を招き、ひいては社会全体の
危険を招いていると言えば、些か大袈裟にすぎるだろうか。