年末のNHK特別ドラマ「坂の上の雲」を視て以来、
あの頃の日本とはどういうものだったのか、
を考えることがときどきある。
日露戦争後のポーツマス会議で賠償金を獲得できなかったことに対する
民衆の不満は日比谷焼打事件という形になって表れた。
第一次桂内閣はその結果総辞職。
普通選挙を求める運動が高まっていった時代でもある。
こうした民主化運動の流れに押され、1925年に普通選挙法が公布。
このとき、ほぼ同時期に成立したのが「天下の悪法」として名高い治安維持法である。
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治安維持法は現在では「言論弾圧」のイメージばかりが先行し、
悪法の代名詞となっているが果たして本当にそうだったのだろうか。
当時の国際情勢を見ると、各国は共産主義革命に対して
かなり警戒心を持っていた。
1917年にロシア革命が成立。
これは先に述べた日露戦争による帝政の弱体化とも関連している。
「社会主義と言論弾圧1」でも述べたが、
レーニンは「革命的祖国敗北主義」を唱え、
第一次世界大戦中に戦争で苦しむロシア帝国自身を背後から攻撃した。
共産主義は本質的に、ありとあらゆる手段をもって
現状の国家を転覆させることを目的に据えている。
それはありとあらゆる暴力、陰謀、諜報、扇動活動を含む。
その当時の感覚からすれば、彼らを自由に活動させることは
国家の安全保障を放棄するようなものであり、看過できないものであった。
彼らの活動、政治的影響を制限するために制定されたのが治安維持法なのである。
ただし、治安維持法は戦中1941年に改正(改悪)され、言論弾圧と相まって
軍部の暴走が止められなくなった。
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プロレタリア文学者の小林多喜二が治安維持法により逮捕され、
取り調べ中の拷問により死亡したのは有名だが、
一方でゾルゲ諜報団に属していた尾崎秀実もこの法律により裁かれている。
実際には治安維持法で死刑になった人間は多くないらしい。
共産党は今なお「この法律で多数の犠牲者が出た」と訴えているが、
彼らの立場を考えると、その数字はある程度割り引いて捉えるべきだろう。
我々が現在、治安維持法を「共産党に対抗するための法律」としてではなく
漠然と「悪法」としてのイメージでしか捉えていないのも
左翼の影響が強い教育界とマスコミの宣伝成果の現れと思われる。
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去年から世間を秘かに騒がした(今も終わったわけではない)
人権侵害救済法案が実は治安維持法と似ている。
以前、弾圧される側だった左翼側(民主党)が同じ法的手段をもって
自らの権力を維持しようとしているところが興味深い。