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そこはかとなくかきつくれば

日々のとりとめのない気付きを結晶に

治安維持法

2012-01-24 | 歴史

年末のNHK特別ドラマ「坂の上の雲」を視て以来、

あの頃の日本とはどういうものだったのか、

を考えることがときどきある。

 

日露戦争後のポーツマス会議で賠償金を獲得できなかったことに対する

民衆の不満は日比谷焼打事件という形になって表れた。

第一次桂内閣はその結果総辞職。

普通選挙を求める運動が高まっていった時代でもある。

 

こうした民主化運動の流れに押され、1925年に普通選挙法が公布。

このとき、ほぼ同時期に成立したのが「天下の悪法」として名高い治安維持法である。

 

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治安維持法は現在では「言論弾圧」のイメージばかりが先行し、

悪法の代名詞となっているが果たして本当にそうだったのだろうか。

 

当時の国際情勢を見ると、各国は共産主義革命に対して

かなり警戒心を持っていた。

1917年にロシア革命が成立。

これは先に述べた日露戦争による帝政の弱体化とも関連している。

社会主義と言論弾圧1」でも述べたが、

レーニンは「革命的祖国敗北主義」を唱え、

第一次世界大戦中に戦争で苦しむロシア帝国自身を背後から攻撃した。

 

共産主義は本質的に、ありとあらゆる手段をもって

現状の国家を転覆させることを目的に据えている。

それはありとあらゆる暴力、陰謀、諜報、扇動活動を含む。

 

その当時の感覚からすれば、彼らを自由に活動させることは

国家の安全保障を放棄するようなものであり、看過できないものであった。

彼らの活動、政治的影響を制限するために制定されたのが治安維持法なのである。

 

ただし、治安維持法は戦中1941年に改正(改悪)され、言論弾圧と相まって

軍部の暴走が止められなくなった。

 

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プロレタリア文学者の小林多喜二が治安維持法により逮捕され、

取り調べ中の拷問により死亡したのは有名だが、

一方でゾルゲ諜報団に属していた尾崎秀実もこの法律により裁かれている。

実際には治安維持法で死刑になった人間は多くないらしい。

 

共産党は今なお「この法律で多数の犠牲者が出た」と訴えているが、

彼らの立場を考えると、その数字はある程度割り引いて捉えるべきだろう。

我々が現在、治安維持法を「共産党に対抗するための法律」としてではなく

漠然と「悪法」としてのイメージでしか捉えていないのも

左翼の影響が強い教育界とマスコミの宣伝成果の現れと思われる。

 

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去年から世間を秘かに騒がした(今も終わったわけではない)

人権侵害救済法案が実は治安維持法と似ている。

以前、弾圧される側だった左翼側(民主党)が同じ法的手段をもって

自らの権力を維持しようとしているところが興味深い。


坂の上の雲

2012-01-04 | 歴史

年末に放映されたNHKの「坂の上の雲」の録画を正月に見た。

といってもまだ「二〇三高地」までであるが、感想を書き留めておく。

 

まず、この映画が日露戦争という、日本にとっての勝戦が題材であるにも関わらず、

そのテーマにはアンビヴァレントなものが含まれていることを加味して

鑑賞しなければならない。

 

司馬遼太郎は、同名の自らの小説を、

「『戦争賛美』などと捉えられたくない」と、生前ドラマ化を許さなかったという。

彼の中には戦前、日本を勝てない戦争に突っ走らせた

日本人の精神・思想に対する強い批判精神もあるのだろう。

 

このドラマの中では乃木希典の神格性を剥ぎ取り、

無能な指揮官として描くことで、彼の「司馬史観」がとりわけ強調されている。

 

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戦前がもはや遠い過去となっている我々の世代には

なかなか実感が湧かないが、乃木は戦前、紛れもない軍神の一人だった。

彼の功績は、この日露戦争によるところが大きい。

しかし、彼への批判なくしてはこの戦争を小説の題材として用いることはできない。

司馬氏は、膨大な関連資料を読み漁る中で、あえて

彼の短所のみを抜き出し、巧妙に繋ぎ合わせることで一つの小説を作る道を

選んだのではないかと推測する。

 

ドラマでは、乃木は無策に突撃のみを繰り返し、

徒に味方の犠牲を増やしただけの司令官として描かれていた。

最後の二〇三高地奪取は児玉源太郎参謀長の指揮によるものとして描かれている。

 

実際には、第一回総攻撃の後、乃木は作戦を根本的に見直し、

塹壕を掘り進め、ロシアのクロスファイアによる被害を最小限にとどめる策をとった。

実際、第二回総攻撃以降はロシア側と互角以上に渡り合い、

徐々に拠点を奪っていっていたという。

二〇三高地奪取はその一環であり、実際には児玉が指揮したとはいえ、

彼はそれまでに継続して行われていた作戦を特に変える必要はなかったという。

銃器配置転換などは児玉が現地到着前に既に行われていた。

 

二〇三高地は当初、重要な拠点とは見做されていなかったという。

一つには、他にも旅順港を一望できる観測所は他にもあり、そこからの砲撃で

ロシア太平洋艦隊は既に無力化していたからである。

第二に、二〇三高地はそれ単体のみ奪取しても

隣接した砦からの砲撃を受けるので保持が困難であった。

ドラマでも、最初に二〇三高地を奪取したのちは

直ぐにロシア側に奪い返される描写があった。

二〇三高地は、旅順要塞の他の要所を抑えてからでないと

攻撃目標にはなりえなかったのである。

 

とはいえ、二〇三高地奪取がこの旅順包囲戦のターニングポイントであったことは

間違いなく、これ以降ロシア側の抵抗は急速に衰えていく。

 

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このドラマの中では、乃木は喜怒哀楽を表に出さない

寡黙で鈍い司令官のように描かれていた。

しかし、戦功をなかなか挙げられない司令官という描写にも関わらず、

柄本明の名演により本来の乃木が持っていたであろう人徳も滲み出る、

絶妙なバランス感覚の上にキャラが成り立っていた。

 

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この回では、ひたすらに戦場の描写が続いた。

死体、怪我人が生々しく描かれており、このようなシーンが苦手な人には

受け付けなかっただろう。視聴率が低迷するのも無理はない。

 

二〇三高地奪取成功後も怪我人を抱えて降りる兵士たちが描かれており

決して凱歌一色になっていない。

「反戦」というもう一つのテーマが見え隠れしている。

 

しかし、逆説的なことにこれらの描写ゆえに

二〇三高地奪取時の兵士たちの喜び、安堵感が

重みをもって視聴者側の胸に迫ってくるのである。

現場の兵士にとっては、「戦争に勝つこと=生きて故郷に帰れること」、なのである。

 

殺さねば、殺されるのである。

 

この戦争が自衛戦争であったかどうか、正義の戦争であったかどうかという問いは、

当時の情勢に照らし合わせた場合には無意味である。

朝鮮半島は地政学上、日本の喉仏にあたり、

日本は安全保障上、大陸でロシアの南下に対抗することが必須であった。

戦わねば、植民地となる。

それが当時、何を意味するかは説明するまでもなかろう。

「何が何でも戦争はダメ」という言葉は、

平和な世の中でぬくぬくと過ごしている我々が、

当時の日本人に対して使えるセリフではないのである。


昭和の芸術

2011-11-15 | 歴史

ひょんなことがきっかけで、土方巽という日本の舞踏家の名を知った。

 

「暗黒舞踏」というものの創始者らしい。

西洋のクラシックな美の様式とは対極をなす。

驚きと、人によっては嫌悪感をもたらしかねない強烈な印象を観客に与える。

倒錯的、不気味といった言葉があてはまるのだろうか。

 

今の小奇麗な日本の世の中にはおよそ存在しえない

不思議で異様な世界がそこに広がっている。

残念ながら、私は文学的センスが全くないのでこれ以上説明する能力を持たない。

 

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このような荒々しい前衛芸術活動がなぜこの頃勃興したのかを考えてみる。

彼らを支持したのは大学紛争などの活動に参加した

左翼系の若者たちが多かったらしい。

 

美術、芸術は当時の世相を色濃く反映する。

当時は冷戦真っただ中だった。

日本は資本主義、議会民主主義社会だったが、

一方でソ連や中国などの共産圏と国境を接していた。

 

資本主義も、民主主義も欠陥を多く含むことが

第2次大戦よりはるか前からわかっていたにも関わらず、

根源的な改善策がわからないままだった(今でもそうである)。

 

一方で、共産圏の成長と繁栄(これは多くの欺瞞と隠蔽を含んでいた情報であったが)

が伝わってきており、何が正しく、何が間違っているのか、分からない状態だった。

あらゆる価値観が揺らいでいたともいえる。

 

穏やかな言論活動よりも、ゲバルト(暴力)が持てはやされた時代でもあった。

小奇麗な箴言など吹き飛んでしまう、

圧倒的な現実の凶暴さが猛威を振るっていた。

 

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おそらく、当時を生きていた人でなければ、

当時の空気は決して理解できないのだろう。

同じことで、今を生きている私が「暗黒舞踏」を観ても、

全く価値観の共鳴が感じられない。

今の世界から断絶している事象のように見えるのである。

 

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同じ時代を生きた人に、今の東京都知事の石原慎太郎がいる。

彼の、人を挑発するような乱暴な発言には閉口することが多いのだが、

彼もゲバルトの時代の空気を吸ってきたのである。

幾多の毀誉褒貶にさらされ、きれいごとが通じない現実を生きてきたのなら、

今の表向き小奇麗な世の中こそ、彼にとっては欺瞞でむずがゆいのだろう。

 

そう思うことで、初めて彼の発言が腑に落ちた気分になる。

それでも彼を評価するかどうかは、また別の問題である。


社会主義と言論弾圧2

2011-11-14 | 歴史

昨日の続き。

 

社会主義国では過去において、粛清以外にも

その体制を原因とする大量の死者を出している。

 

一つは、彼らの中で永続的な革命が是とされ、

その実行のために暴力が肯定されるため、内戦が頻発するのである。

もう一つは、市場原理を無視して強引な計画経済を行うため、

餓死も頻発するのである。

この二つは連動していることも多い。

 

あまり知られていないが、ロシア内戦(1917)というものが起こっている。

4年ほどの間に3000万人以上が死亡したともいう。

餓死者、伝染病などによる死者数もこれに含まれるが、

これは内戦による農業生産力の低下や、衛生環境の悪化によるものである。

 

スターリン時代にも集団農業化政策を強行した結果

1933年に穀倉地帯であるはずのウクライナで飢饉が起こり

700万人以上が餓死した。

 

中国では毛沢東政権が行った大躍進政策のときに

少なくとも2000万人が餓死したとされる。

また、その後の文革時代の紅衛兵による虐殺は前回述べたが、

その後紅衛兵の中で内紛状態になり

毛沢東ですらコントロール不可能になったという。

 

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社会主義国における、その体制そのものを原因とする悲惨な実態は、

当時はなかなか日本に情報として流れてこなかったのかも知れない。

 

もし分かっていたのなら、日本でそのときから

ソ連や中国を範とする社会主義、共産主義を唱える人がいるとは考えにくいのだ。

 

また、日教組が社会党・共産党寄りの思想を背景に持つということもあり、

学校教育であまりこうした話が子供に教えられることはない。

 

勿論、社会主義にもより穏健な思想は数多くあるし、良い部分もある。

我々の今属する資本主義国も、社会主義の影響を受け、

一部は社会保障制度などの形で政策に反映されている。

 

しかし、全体としてみたとき、社会主義の支持は到底できない。

政策的に絶対に真似してほしくないのは、

議論の軽視、および自由な言論の規制弾圧である。

 

民主主義がいかに効率が悪いとはいえ、

きちんとした議論を通し、民主主義的手続きを経た上での施策でなければ

地獄が現出するのは今までの数字を見ても明らかであろう。

 

日本の今の政権がその点を軽んじているような気がしてならないのだ。


社会主義と言論弾圧1

2011-11-13 | 歴史

社会主義といっても様々な種類があるらしい。

ただ、隣国にロシアや中国を抱える日本にとっては、

「社会主義」が何かを全く知らないでは済まされない。

ここではその中でも主に共産主義

(私有財産の否定、産業の共有化による公平・平等な社会を目指す)

を説明することになる。

 

元は経済学者のマルクス及びエンゲルスが資本主義を批判した

「資本論」が発端らしい。これは「マルクス主義」と呼ばれる。

しかし、彼は実際には革命後、どのような

政治体制が望ましいかについてはあまり言及していないらしい。

 

この思想を良くも悪くも形にしたのがウラジーミル・レーニン

の唱えた「マルクス・レーニン主義」である。

彼は「帝国主義に根差した自国の戦争には加担せず、むしろ

それに乗じて階級闘争を激化させ現体制を打破すべし」

という「革命的祖国敗北主義」を唱えた。

その国の為政者に取ってみたら、有事に背後から

味方に撃たれるようなものである。

 

実際、彼は一次世界大戦のさなかにロシア革命を成功させた。

 

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なぜかは私にはいまだよく分からないが、

こうした共産主義はいったん権力を握ると

党内のイデオロギーを純化させようとする作用が働き、

異論や現体制批判を排除するために言論統制のみならず

粛清と称した殺人を平気で行うようになる。

 

そうした反体制派弾圧のための組織は、例えばソ連では

レーニンの時代の秘密警察のチェーカーから始まり、

スターリン時代のGPU、KGBに繋がっていく。

スターリンが粛清した人の数は一説では700万人を超える。

 

中国では毛沢東時代に無知な少年少女によって紅衛兵が組織され、

プロレタリア文化大革命時代に1000万人以上が殺されたという。

 

最も悲惨だったのはベトナムにおけるポル・ポト派による粛清である。

死者数は今でも不明であるが、当時の総人口の20%以上が犠牲になったともいう。

このときも粛清作業に従事したのは少年たちだった。

 

続きます。