平和教育の授業で
太平洋戦争を学び、広島・長崎を学んだあと、
「じゃあ、平和を作るため私達にできることはなんだろう?」
というまとめに入ることになるのだが、
小学校くらいだととりあえず
「クラス内でいじめをなくしましょう」
くらいのところで〆ることになる。
しかし、冷静になればすぐ分かることだが
「いじめ」の問題と「戦争」の問題は乖離が大きすぎる。
いっしょくたに扱うこと自体に問題がある:
クラス内のいじめをなくせば戦争はなくなるのか?
そもそもこんな授業でいじめはなくなるのか?
しかし、現場ではこれに加え
人権問題や差別問題もちゃんぽんになって
教えられているようである。
いずれも自称リベラル派が大好きなテーマだが、
関連付けるのはそもそも無理がいろいろ伴う。
文脈的に破綻してしまい、印象論にしかならない。
この教免講習で配られた冊子も、講師も、
同じ愚を犯している:
なぜか東日本大震災の原子力発電所爆発の問題が
その冊子に出てきたが、
これは広島・長崎とは別個に扱うべき議案である。
このように、自称リベラル派の文章および主張は
よくよく読むと文脈の破綻がしばしば見受けられるのだが、
彼らは「印象」さえ与えられればそれでいいと思っているのか、
意に介さない。
そして、これは朝日新聞の好む手法でもある。
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現状、行われている平和教育といえば
やはり広島・長崎の原爆の話(など)で
「戦争の悲惨さを学ぶ」
というのがメインのようである。
確かに資料館などに赴いて、映像などを見れば
それは子供心には衝撃であることは間違いないし、
実際に知っておくべき事柄であるとは思う。
しかし、本来はそこから
「じゃあどうしたら二度と同じことが起こらないようにできるか」
を子どもたち自身が考えられるようになるところまで
導かなければ、これもやはり印象論で終わってしまう。
そして、印象操作のみというのは危険なのだ。
冷静な論理思考を麻痺させるし、
意図をもって誤誘導することもできる。
前々回で紹介したように、「フォト・ランゲージ」
によって教員が政治主張をすることなく、
子どもに加害意識を植え付けることくらいは簡単にできるのである。
本来、本当に教えないといけないのは
このような誤誘導に惑わされない、
強い論理的思考を養成することだ。
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配られた冊子には次のようなことが書かれていた:
「よりよい平和な社会に近づいていくために、平和を作る必要があります」
そしてそのために「積極的平和」の構築が必要、
と書いてある。
「積極的平和」とは初見の言葉だったが、
自衛隊のPKO活動とか集団自衛権の話ではないらしい。
貧困・差別・不公正がない社会を作ることで
騒乱の種を除去するということらしい。
しかしそのために挙げられた要件:
福祉の充実、人種的平等、などなど
と聞くと北欧の惨状を思い出す。
フィンランド等の国が、積極的に移民を受け入れ、
上の要件を満たすよう法整備を進めた結果どうなったか。
国内の治安の悪化、暴動の頻発である。
平和構築どころか、それに逆行している。
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平和と戦争は裏表の関係だ。
綺麗事では決して語れない。
平和を守るためには手を汚す必要さえある。
このことを、小学生とかに教えるのはまだ難しいかも
知れない。
しかし、明確な悪意をもちながらそれを隠し、
教育でさりげなく上辺の綺麗事を述べながら
政治的思惑の刷り込みを行おうとする
勢力には敏感になっておかないと、危ない。
以上、この講習で平和教育の問題で
感じたことを書き留めておく。