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そこはかとなくかきつくれば

日々のとりとめのない気付きを結晶に

0で割る、その2

2013-01-09 | 数学

皆様、遅くなりましたが明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

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前回の記事で、よく考えると

「0で割ってはいけない理由」については何も述べていなかったので補足。

 

数学の世界では、「加減乗除」のうち割り算を除いた

「加減乗」のみの演算(&分配法則などの基本的な性質)

を許す「環」という代数系を扱うことのほうが多い。

例えば、「整数環」などが例である。

 

環においては0に何を掛けても0になることが証明できる:

0・x=0・x+0・x-0・x=(0+0)x-0・x=0・x-0・x=0

 

では、割り算とは何か。

数学の世界では「乗法逆元が存在すること」というふうに

言い換えて定義されている。

環の要素bに対してその乗法逆元1/bは

b×(1/b)=1を満たす要素である。

a÷bはa×(1/b)というふうに解釈するのである。

 

では、1/0を許容するとどうなるか。

そうすると、その環の任意の要素aに対して

a=1×a=0×(1/0)×a=0

となる。要するに、その環は0だけを要素に持つ環になる。

この環を零環という。

 

この環自体は単純極まりなく、調べる対象にならないが、

圏論的には環の圏の終対象という非常に重要な役割を担う。 

 

まとめると。

実は0で割っても良いのである。

ただし、その場合には(他の演算法則を守る限りは)

零環という自明なものを扱うことになってしまうので、

数学的に有用なものが何も出て来なくなってしまう。

 

だから、割り算を考えるときはほとんどの場合、

0で割ることは考えない。

 

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0以外の任意の要素で割ることができる環を体という。

有理数体、実数体などが例である。

 

実はこの「0以外の」という条件が曲者で、

圏論的には微妙な波紋を投げかけている。

体の圏には始対象が存在しないのである。

(対照的に、環の圏には始対象として有理整数環Zがある。

言い方を変えると、任意の環Rに対して

ZからRへの環準同型が一意的に存在する)

 

とある先生は、この始対象が作れれば

リーマン予想が解けると仰っているのだが、はてさて。

(注:これはものすごく荒っぽい言い方なので、

数学の素養のある方は突っ込まないように)

 


0で割る

2012-12-31 | 数学

12月はバタバタしていたため、

色々重大ニュースをスルーせざるを得なかった。

 

年の瀬に、そうしたニュースと全く関係ない

数学の話題を一つだけ挙げて〆ることにする。

 

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皆さんは「6÷0=?」と訊かれたらどう答えるだろうか。

小学校の問題で出たのだそうだ。

 

間違っても答えは「0」などと答えてはいけない。

「a÷b」が仮にきちんとxという答えがあるとすれば、

それはb×x=aを満たすものである。

これを上に当てはめると0×x=6を満たすxを求めろ、

ということだから、当然「そんなxは存在しない」というのが結論になる。

 

割り算は、足し算引き算および掛け算と違って、

「0で割ってはいけない」

という本質的なルールがある。

 

そのため、上述の問題は、

問題文自体がそもそもルールに違反しているので

真面目に応対すること自体が無意味である。

 

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小学校高学年から高校にかけて教員は

「0で割ってはいけない」と生徒に対して口酸っぱく何度も

いうことになるのだが、それにも関わらず

この部分での間違いは後を絶たない。

 

一つは教育内容そのものの不備もある。

「文字式」の扱いが厳密ではないのだ。

例えば、xが実数のとき1/xは「x≠0」のときしか扱ってはいけない。

ところが文字式 (有理式) としてみたとき「1/x」はいつでも考えて良い。

 

皆さんはこの2つの違いが分かるだろうか?

 

後者の場合はxは「変数」である。

ところが中学高校の指導要領ではこの「変数」という言葉は

無定義語である。

生徒は「実数の代替物」として何となく思いながら使うことになるので、

上の二つはきちんと区別できなくなる。

 

大学の数学ではこの点が全く別次元の観点から

峻別されることになる。

(以下はやや専門的な話になります)

実数体R上の可換代数と準同型のなす圏から集合への圏の忘却関手は

左随伴Fを持ち、点集合の像対象F(*)=R[x]が一変数多項式環である。

自然に備わる単位元写像*→F(*)の像が「変数」xである。

この意味で、xは実数の代替物ではあり得ず、

全く独立した意味を担う。

(蛇足だが、従って本来xを含む式に対して大小関係を考えることもできない。)

 

一変数関数体はR[x]の商体であり、

有理式 (分数式) はその元である。

この中の元としてはxはゼロ元ではないので、

その乗法逆元1/xが定義される。

 

しかしxが実数体Rの元だと、

1/xを考えるのは「x≠0」でなければならない、

という制限がつくことになるのである。

どちらも「0で割ってはいけない」というルールに従っているが、

考えている環と、元「x」の意味付けが違うために

「x≠0」という条件の有無が変わってくるのである。

 

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当然ながら上の説明を中学生相手にできるわけがないので、

教員側は

「変数とは何かって?ああ、『変わりうる数』のことだよ」

とか何とか説明にならない説明でごまかして

計算ルールだけ教えこむことになる。

 

オチも何もないが、この辺で。

皆さん、良いお年を。

 


ABC予想

2012-09-20 | 数学

今日見たら、大手新聞の一面に

「望月新一先生がABC予想を解決か」という見出しが踊っていてびっくりした。

 

(なお、京都大学にはもう一人、望月拓郎先生という

非常に優秀な先生がいらっしゃるが、分野が全く違う。

以下、望月先生といえば新一先生のことを指すこととする)

 

びっくりしたのはABC予想に関して

望月先生が論文を出したという事実よりも、

なぜこのタイミングで一斉に報道したのかという点である。

 

数学の論文は査読が必要である。

実際、間違っている論文も山ほどあるのだ。

リーマン予想で有名なリーマンの原論文でさえ、

少々の瑕疵はある。

 

望月先生を信頼していないわけではない。

しかし信頼するしないと査読するしないは話が別である。

第三者による査読の過程を経て、初めて論文は価値のあるものとなる。

ましてや望月先生は独自の理論を使っているので、

色々と危険を孕んでいるのである。

今すぐに評価を下すことはくれぐれも避けなければならない。

 

論文が発表されたのは8月30日である。

(私はそのときではないが、しばらく後に人づてに知った。)

それゆえ、マスコミのこの報道はタイムリーでもなければ

何がしか査読が確定してのタイミングでもない。

(査読に何年もかかるというのは多分誇張ではないだろう)

それゆえに如何にも中途半端なのである。

 

蛇足:ABC予想はその名前とは裏腹に、初等的な問題では全くない。

Wikipediaにもあるように、主張自体は容易に説明できるものだが、

フェルマー予想(Wilesの定理)の上位に属する

(…らしい。すみません、知ったかぶりです)難問のため、

つい近年まで数学者は取り組む人も稀だったように思う。

 


高校で教えない高校数学8:平均

2012-02-26 | 数学

大学生数学基本調査の調べで、

大学生の24%が平均の考え方を理解できていないという結果が出たという。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120225k0000m040042000c.html

 

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中学・高校の生徒は各科目について平均点を

やたら気にするが、その実その意味をあまり分かっていないのかも知れない。

 

教員の側からすると、平均点というのは大抵、想定よりも低く出る。

底辺層の生徒(勉強に対し全くやる気を見せない層)が平均点を著しく押し下げるからだ。

以前、私は教職についていたとき、

土俵に立っていない生徒も含めて平均を出すこと

(かつその平均より高いか低いかで一喜一憂する生徒を見ること)

に疑問を感じていたので、30点以下を計算に入れずに生徒に平均点を公表していたことがある。

 

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一方、例えば各世帯の所得の平均を算出すると、

我々の感覚からは随分かけ離れた高い平均値が出たりする。

これは、少数の高額所得者の、その所得の桁違いの高さのために

平均値が大きく押し上げられてしまうことによる。

 

このような調査の場合、平均値はあまり意味をなさない。

最頻値、またはせめて対数平均をとるべきだろう。

あるいは度数分布表をそのまま載せるのが一番誠実な情報である。

 

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それはともかくとして、平均や偏差など確率・統計の概念は実は教えるのが難しい。

例えば平均は、本当は確率変数Xを用いて

E(X)=∫XdP(X)

と定義される。

コルモゴロフの公理主義的確率論が現在の数学界での常識であり、

上の定義式はそれに基づく定義なのだが、

残念ながらこれを文系、あるいは中学生に教えることは不可能である。

積分を学ぶのが高2以降であるし、

直感的概念把握からもかなりかけ離れている定義だからだ。

そもそも、確率変数とは何か、を説明するのは至難の業である。

(私自身もうまく教えられる自信がない)

従って、何らかの方法で教員側はごまかしながら教えないといけないのである。

教える側からすると、

「これでどうやって生徒は理解できるのだろう?」

と疑問に思いながら教えている状態だと思ってもらってよい。

 

(参考)高校で教えない高校数学2:期待値

http://blog.goo.ne.jp/kazuno_hatake/e/237e4f0729b53cb5fe0b194cf2e5aea0

 

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とは言え、冒頭の調査の正答率の低さはあまり擁護できないことも事実である。

問題の内容が

「生徒百人の身長の平均は163.5cmである。このとき次の文は正しいか?

『生徒百人の身長の合計は163.5×100=16350cm』」

というものだからだ。

 

今の学生たちは、与えられた計算方法をこなすことはできても、

各数学概念の定義を理解することを全く軽視、あるいはできないという現実が

根底にあると思う。


掛け算の順序

2011-12-28 | 数学

数学系の人間としては看過できない教育上の問題。

 

小学校2年の算数の問題。

「5つの袋の中にみかんがそれぞれ3つずつ入っている。

みかんの数の合計はいくらか」

これを5×3=15と答えるとバツなのだそうだ。

正解は3×5=15なら良いらしい。

 

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5×3=15をバツにする理屈が全く分からないので、

とりあえずこの差別化を肯定する人の解説らしきものを読んでみると:

 

「一単位あたり(この場合、袋)のみかんの個数の割合を先に書くのが決まり。

それぞれの数量の単位を付け加えて式にすると、

3(個/袋)×5(袋)=15(個)。」

 

…誰がこのように決めたのだろう。

ただ、教育指導要領ではそのように教えることになっているらしい。

 

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乗法で順序が大切になることは、他の代数系の場合ではありうる。

数学III・Cの行列などがそうである。

行列の演算は一般に非可換:AB=BAとは限らない。

量子力学など高等な物理を学んでいる人はこの点、

かなり慎重にならなければならない。

 

しかし、小学2年で扱っているのはせいぜい有理数であって、

掛け算の結果は順序は関係ない。

数量の単位(次元と言った方が適当か)も可換であって、

「単位当たりの数量を優先的に左に書く」

と定めることの根拠もメリットもどこにもない。

これは日本の算数教育のローカルルールにすぎない。

むしろ、この時点で子供に伝えるべきは

「掛け算が可換であること、およびその理由」

ではないのか?

 

中学では数量は無単位になる。

二次式を扱ったりするからである。

こうなると上のような順序の拘りは無意味になる。

 

「約束は約束だ。守れ」という人もいるかもしれない。

実際、私も集合の単元を生徒に教えるときは記号法をかなり厳しく言う。

それは実際に記号法を誤っていると、

正しい意味が読んでいる相手に伝わらなくなるからである。

 

しかし、上の掛け算の順序についてはその理由も当てはまらない。

根拠のない約束事を振りかざしても、子供にバカにされるだけである。