以前の記事で「利権」と軽々しく口にしてしまったので補足。
同和問題について調べてみると、
これは予想以上に難しい話であることが分かってきた。
一つはこの問題の本質部分が何らかの事情により隠蔽されているからかも知れない。
非常に不正確な情報が溢れており、どれが真実か見極めるのは困難を極める。
この記事もおそらく不正確な部分が多々でてくることをご了承願いたい。
-------------------------
まず確認しておかなければならないのだが、自体は本来差別用語ではない。
の中でも被差別がここの話のテーマである。
この被差別の起源についてなのだが、
これまで学校教育で教えられてきた「江戸時代の・」起源説は
どうも誤りのようである。
実際のところはその発生原因に地域差も大きく、判然としていない。
もう一つは、現在被差別とされているものの中には
朝鮮半島からの移民の居住地域も含まれていることに注意する必要がある。
----------------------
京都の被差別出身の政治家としては野中広務元自民党議員が有名である。
しかし、彼は解放同盟などの団体からは一線を画していた、
のみならずしばしば批判を行っていたようである。
実際に、京都の蜷川府政時代の同和対策事業では汚職が多発した。
事業の資金が対象地域住民とは関係のない闇に流れていったのである。
利権の発生である。
この結果、野中が危惧した通り一般市民は同和事業に対して批判的になっていく。
-----------------------
こうした同和問題でどうにも気持ち悪いのは、
「問題は存在する」と喧伝されながらも、
そのがどこなのか、どのような問題が起こっているのかについては
一般市民には全く曖昧にしか伝わってこないことである。
先の同和対策事業も色々資金の流れが不透明になっている。
おそらく、そうすることによって利益を得ている人々がいるのだろう。
------------------------
時系列を追っておく。
1951年、オールロマンス事件。これをきっかけに京都市役所内の左翼グループ(!)が
この小説を「差別小説だ」として糾弾。
翌年、京都は前年度比5.8倍の予算を計上。
1969年、同和対策事業特別措置法が10年の時限立法で制定。
しかし、これは利権団体からの圧力によりその後も延長されていく。
2002年にはこの措置法は終了する。
これは、人口の移動に伴い、地域単位で被差別民を支援することが
もはやできなくなったということもある。
それにも関わらず、この年以降も京都は同和対策予算を増やし続ける。
2010年にやっと表向きは同和対策事業は終わったらしいが、
資金の動きが水面下に潜っただけかもしれない。
-----------------------
一つ言えるのは、この国で差別解放事業を行うとき、
それで甘い汁をすすろうとしているダークサイドの団体が必ずいる。
それが本来慈善を目的とする事業でも、監査を決して甘くしてはいけないのだ。