「人の力はチームの協調性によって大きく変わる。
1+1=3になることもあれば1+1=0になることもある」
協調性(横並び主義)が尊ばれる日本社会においては
耳にタコができるほどよく聞く言葉である。
突っ込みどころはいろいろあるのだが、ここでは
「1+1=0」となる数学の世界が普通にある、という話をする。
簡単な話で、1を「奇数」、0を「偶数」と解釈するのである。
すると、
1+1=0 (奇数+奇数=偶数)
1×1=1 (奇数×奇数=奇数)
1×0=0 (奇数×偶数=偶数)
などとなり、我々の知っている
足し算、引き算(この世界では1=-1である)、掛け算の諸性質が成り立つ。
割り算も成り立つ:
0でない数aに対してその逆数1/aが定義されていればよいが、
この世界では0でない数は1だけで、その逆数は1である。
要するに、この解釈でも
我々が普段使う「実数」と同じ加減乗除という四則演算ができる。
これは高校の頃なら「合同式の計算」と呼ばれているものである。
0と1しかない世界(注)なんて、とバカにするなかれ。
今我々がお世話になっているコンピュータはこうした世界で
計算を行っているのだから。
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ここでポイントとなるのは、「0」や「1」を実数ととらえずに、
他のものとして解釈することにあった。
「0」や「1」、およびその演算+、×はただの記号で、
その内包的な「存在」が何か、は問わずに
その間に与えられている法則のみに着目するのである。
ヒルベルト以降、数学の世界はこうした考え方が良くも悪くも主流になっている。
なぜかというと、その方が汎用性が高く、便利だからである。
これは文系分野では「構造主義」と呼ばれているもので、
社会人類学者のレヴィ・ストロースが創始したものとされているが、
もともと彼は数学界から影響を受けていたという。
(注:四則演算およびその標準的な性質が成り立つ「世界」のことを数学の用語では「体」という。
高校では「有理数体」「実数体」「複素数体」しか習わない。
この記事で扱った、0と1だけからなる体のことを2元体という。)