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そこはかとなくかきつくれば

日々のとりとめのない気付きを結晶に

国歌

2011-08-08 | 教育

君が代を国歌とすることに反対していた(今でも反対している)

人たちから合理的な反対理由を聞いたことはない。

 

「あの曲は天皇を賛美している、

だからあれはかつての軍国主義の象徴なのだ。

あの歌を歌うと日本が戦争に向かうことになる」

…彼らからはこのように聞かされるが、やはりよく分からない。

あの曲からどう軍国主義を読み取るのか。

まして、歌を歌うだけでどうして軍国主義に陥るのだろう。

 

同じ国歌なら、アメリカと比較してみるとよい。

ロケットや爆弾が飛び交う戦場が描写されている。

これを、小学校では毎日始業時に生徒たちが起立して歌うのである

(正直、歌うには難しい曲ではあるが)。

 

アメリカは多民族国家なので、子どもに米国民としてのアイデンティティーを

植え付けるために、その点は有無を言わせず強制させている。

それは、国家維持のために必要なことの一部なのである。

 

国歌に限らず、教育というのは多かれ少なかれ

国家の利益に基づいて行われる。

教育はナショナリズムと不可分であるし、

極端な場合でない限り、それで問題はないのだ。

 

それを、ヒステリックに「問題だ」と騒ぎ立てることの方が

よほど教育的に弊害がある。

…騒ぎ立てる人たちはむしろ弊害を生じさせることが目的なのかもしれないが。


数学は何の役に立つの

2011-08-07 | 教育

「数学は何の役に立つの?」

「数学なんか知らなくても生きていける」

 

数学を教える際に生徒や学生がよく発する言葉である。

これらのセリフを字義どおりに捉えてはいけない。

彼らは、実際には数学が社会にとってなくてはならないことは

直感的にではあるが重々承知しているのである。

 

ただ、彼らは数学の重要性を肌で感じているにも関わらず、

自分の理解がついていかないことに悩んでいるのである。

 

実際には、この拒否反応を起こしてしまった生徒を再び

数学に目を向けさせるのは難しい。

そうなる前に教育する側は対応しておかなくてはならない。


教壇に立つのは教えるためではない

2011-07-29 | 教育

教育に携わった人がよくつぶやく言葉:

「生徒に色々学ばせてもらった」

 

生徒から何を学んだのかは人それぞれであろうし、

学んだものが多すぎて言葉で言い表せないということもあろう。

上記の言葉を発した人が、その内容を詳しく説明することはまずない。

 

私はまだ教育経験が浅いので上記の言葉を解析する資格を持たない。

 

私自身の経験の一片だけを語る。

自分が教える側にいるときに、かつての恩師に言われた言葉を

ほとんど無意識に反復していたりすることはしばしばある。

自分がかつて何を教わっていたか、そのときに改めて思いだすのである。


数学系出身者の板書

2011-07-15 | 教育

私を含む多くの数学系の人間は、

板書の際に白のチョークしか使わないことが多い。

また要点を枠で囲んだりなど、板書の装飾をあまりしない。

 

上記のようなことはできないわけではないのだが、

心理的になぜかする気にならないのである。

セミナーなどで、色彩鮮やかな板書をされるとむしろ嫌悪感を覚えるかもしれない。

色や囲み枠は、数学の本質とは関係ないので、

一種の雑音として捉えられるというのが原因だろう。

これらは純粋思考を阻害する要因になるのである。

 

とはいえ、授業をする立場にあるものがこのポリシーを頑なに守っても、

それは教育効果にはマイナスにしか作用しない。

年少者や女性にとって、色彩は興味を引き付ける非常に重要な因子なのである。


教室と教員

2011-07-10 | 教育

日本の一般的な学校の教室は、

暗黙のうちに前に立つ教員の権威付けがなされるように

構成されている。

講師を一段高く据えるための教壇。

皆が一斉に前を向いて教員を注視するべく配置された机。

聴講生の集中を妨げないよう、虚飾を排した内装。

 

日本の学校授業は、教員に場の方向性を支配する権利を与えることによって、

そしてそのことに聴講者が協力することによってはじめて成立する。

 

一部の教員の問題行動をことさら大きく報道し、

「教員は偉そうにするな」と批判する人が少なからずいるが、

それに同調することは現行の学校の教育機能を大きく損ねることを意味する。