証明問題
大学生を見ていてつくづく思うのだが、彼らは本当に証明問題が解けない。
というより、解いたことが今まで無いかのような素振りなのだ。
演習問題には、証明問題を入れるが、
それで何も手を動かせない学生がいると良くないので
とにかく手が動かせる計算問題を挿入する。
すると、少ならぬ学生は計算問題には食いつくが
証明問題には全く手をださない。
こちらが本当に解いてほしいのは証明問題なのだが。
こういうことが、中学高校でも延々と繰り返されてきたのだろうとも思う。
それぞれの過程において、教員はまがりなりにも論述を必要とする
問題を解かせようとしたのだ、と信じたい。
しかし、学生(生徒)たちがそれに手を付けなければどうしようもない。
テストでもそうなると0点が続出するので、しょうがないので教員は計算問題を入れる。
すると学生は「計算問題だけ解いて人並みの点数さえ取れればよい」
と思うのか、計算問題の解き方だけ頭に入れてテストに臨む。
こうなると教員側はお手上げである。
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無理して証明問題を解かせなくてもいいではないか、
という意見を持つ方もおられるかもしれない。
しかし、これは学生の思考力の養成を先送りしているだけなのである。
そして、思考力は齢をとればとるほど向上しにくくなる。
学生が原理をとばして結論だけ頭に入れようとしても、
大学では計算問題を解くのでさえ困難になってくる。
教員も学生も、大学の時点ではかなりの危機意識は持っているはずなのだが、
この段階になると如何せん、大学だけではもうどうにも対応がきかないのだ。
学生側がもっと若いうちに、
論述問題に慣れさせておかないといけないのだろうと思う。
目的意識を共有して、大学教育と高校以下の中等教育が
もっと連携することはできないのだろうか?