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そこはかとなくかきつくれば

日々のとりとめのない気付きを結晶に

桜宮高校自殺事件

2013-01-11 | 教育

昨年12月23日、

大阪桜宮高校バスケットボール部キャプテンの男子生徒が首吊り自殺。

 

普段から日常的に顧問から体罰を受けていたという。

顧問は強いチームを作り上げるため、

体罰を含めた厳しい部活指導を行なっていたとのこと。

あくまで伝聞だが、生徒本人は自殺前日に顧問に

「30~40回平手で叩かれた」という。

 

体罰についてはこのブログでも

前に記事を書いたことがある:

http://blog.goo.ne.jp/kazuno_hatake/e/5eeff767f581e84aa84484b99dfaf3ed

http://blog.goo.ne.jp/kazuno_hatake/e/09361b8ef88082739960ab2ebc918d9e

ここに偉そうに書いたことを正しいと主張していいかどうかは

自信がない。

 

教員側が体罰をやむを得ず使わなければいけないほど、

過酷な教育現場が存在するということも踏まえて、

2番目の記事で体罰が許されるために満たされるべき5条件を

思いつくままにあげておいた。

今回の事件はその5条件の一つ

「(5)生徒に肉体的・精神的損傷を与えないこと」

に明らかに抵触している。

そうでなくとも、自殺している以上は結果責任であり、

顧問を庇いようがない。

くどいようだが体罰は法律違反である。

 

今回の件を通じて5条件は訂正の必要があるとも感じる。

このキャプテンは

「(2)なぜ怒られる・体罰を受けているかは(ある程度)分かっていた」

だろう。

 

だが、この場合、体罰を受けても生徒本人が状況を

改善できる状況にあっただろうか?

チームを作る、リーダーシップを発揮するというのは

一部のタイプの人間を除いては非常に困難な作業であり、

言われてもなかなかできることではない。

 

おそらくチームの状態は必ずしも良くなかったのだろう。

しかし、彼がそれをどうにかしたいと思っていても

チームが思ったとおりに動くわけではない。

顧問でさえほとんどの場合動かすことは不可能なのである。

 

顧問は体罰を通じて、一体どのように状況が改善されることを

期待していたのだろう。

 

ともあれ、体罰が許容されるための必要条件として上げたうちの一つの

条件(2)は「体罰を受ける理由が分かっている」だけではなく、

「その原因を生徒自身の意志で速やかに解決できる」

ということも書き加えておかねばならない。

そうでなければ、体罰は生徒にとって

逃れられない苦痛にしかなりえない。

 

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ネットでは、自殺した生徒に対して

「自殺するくらいならキャプテンとか部活とか辞めれば良かったのに」

という声もあるが、

彼が部活を続けたいという意志を持っていたのであれば、

「自殺か、退部か」のような二者択一を迫られること自体が

そもそもおかしいのである。

 

 


大学の役割

2012-11-12 | 教育

そもそも、日本の大学の不思議なところは

「大変だったであろう大学受験の後に学生に与えられるモラトリアム期間」

という捉え方が共通認識となっていることである。

 

実際は、大学の授業を真面目に聴講して予習復習も併せると

高校生時代よりもはるかに忙しい学生生活になるはずなのである。

しかし、多くの学生は猶、「大学は遊ぶところ」

という認識のままでいる。

 

就職活動においても、企業の採用担当が学生に聞くのは

「大学時代には(サークルなどで)何をしていましたか?」

などといった質問で、どんな勉強をしていたかということについては

触れない。

せいぜいが取得した資格を確認する程度だろうが、

これは大学本来の役割とは独立している。

 

要するに、学生側が大学で学ぶ動機付けがそこにないのである。

 

なお悪いことに、中堅より下の大学になると

大した受験勉強をしなくても入試に合格できるようになっている。

(受験勉強を頑張らなかったのだから、「褒美」として

モラトリアム期間を彼らに与える必要はないのではないかとも思う)

 

実際、今や大学一回生が備えている数学の教養については

目を覆わんばかりのレベルの低さになっている。

大学数学を学ぶための前提知識が相当欠落しているので

本来大学のカリキュラムで教えるはずだった内容を

学生に伝えることはほぼ絶望的になっている。

 

そして、学生はそのことに対して何も思っていない。

教員側があきらめて高校数学の復習程度の授業内容にレベルを落とせば、

彼らは「単位がとりやすくなってラッキー」としか思わないだろう。

 

実際のところは、社会に出た後は数学に限らず

大学での履修内容を必要とする人などほんの一握りなのかもしれない。

それならば勉強しなくても良いということになるが、

それでは大学進学はそもそもどういう価値を持ち得るのだろう?

 

企業は高卒よりも大卒を採りたがるが、大学生にどういった

長所を見出しているのだろう?

 

今、大学進学の目的の第一義がその後の就職のためと

なっているため、この点は無視するわけにはいかないのである。

 

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大学生の質の低下を嘆くならば、本来

社会が大学生に求めているその「質」とは何なのか、を

我々が自身に問いかける必要があるのではないか。

 

その上で、その「質」をある程度でもいいから評価する

システムを構築しないと、大学側の経営努力だけでは

この問題はどうにもならないと思う。

 


不認可騒動

2012-11-11 | 教育

田中眞紀子文科相は

新規設立の3大学に対し不認可としていた件について、

結局11/9に発言を撤回、認可することになった。

 

田中文科相は当初、

「(質の悪い)大学の乱立を防ぐため」と持論を展開して

不認可とすることを正当化しようとしていたが、

ここで問題となっているのは手続き論であった。

持論の是非はともかくとして、そのやり方に問題があった。

 

以前もどこかの記事で、

「民主主義・法治主義は手続き主義だ」というのを書いた記憶がある。

何をするにも、煩雑な手続きが必要となるのだが、

それは必要悪なのである。

民主党はその根幹部分を軽視することが多い。

田中女史もその一人である。

 

田中女史は「不認可」を表明する前に

野田首相初め、民主党の数人の閣僚に話を持ちかけて

承認を得ていたらしい。

となると責任は民主党内閣全体に及ぶ。

 

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確かに、

「大学がほぼ完成して募集要項等も決まってから認可」

という現行制度に問題がないわけではない。

これだと、認可制度は本当にただの形式手続きにならざるを得ない。

ハコまで作ったものを不認可にすると、大学設立側の損が大きすぎて

訴訟沙汰になってしまう。

 

しかし、この問題を含めた大学の諸問題は

文科相が新大学設立を不認可にすることで解決する話ではない。

解決するためには遠回りではあるが、

しかるべき法改正に向けての手続きを進めるしかないのである。

そして、それが本来の国会議員の仕事であるはずだ。

 

田中文科相の一連の言動には

「近い将来に行われる総選挙に向けて必死に目立とうとして焦っただけだ」

という噂も流れている。

その真偽はさておき、今回の件は田中女史にとっても、

民主党にとっても汚点でしかない。

 

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というわけで、「大学の乱立による質の低下」は

この不認可問題とは切り離して考えるべき問題である。

とはいえ、大学・大学生の質の低下自身は

現実にそこにある重大な懸案事項である。

 

長くなってきたので次回に続きます。

 


全国学力テスト

2012-08-10 | 教育

オリンピックで盛り上がっているのに、

ひねくれものの私は違う話題ばかり採り上げている。

 

8/9の新聞を賑わしていたのが全国学力テストの結果分析である。

ネットでも見れるらしい。

http://www.47news.jp/47topics/e/227823.php/

 

中学生対象の数学の問題でスキージャンプをお題とした情報処理(?)の問題があり、

それが少なくとも産経新聞、読売新聞で採り上げられている。

ただ、ここで正当例とされている答えに首を傾げざるを得ない。

 

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問題を再掲する:

[1998年生まれの美咲さんは、この年に行われた長野オリンピックで

日本チームが金メダルをとったスキージャンプ競技に興味を持ちました。

この競技では、飛んだ距離の大きさと姿勢の美しさを競います。

美咲さんはこのときの日本チームの原田雅彦選手と船木和喜選手の

飛んだ距離の記録について調べました。]

下の2つのヒストグラムは、1998年シーズンの長野オリンピックまでの

いくつかの国際大会で、二人が飛んだ距離の記録をまとめたものです。

[たとえば、このヒストグラムから、二人とも105m以上110m未満の

距離を3回飛んだことが分かります。]

(ヒストグラムは省略)

問(2)美咲さんは、もしこの二人がもう1回ずつ飛んだとしたら、

どちらの選手がより高くへ飛びそうかを、二人のヒストグラムをもとに

考えてみようと思いました。

二人のヒストグラムを比較して、そこから分かる特徴をもとに、

次の1回でより遠くへ飛びそうな選手を一人選ぶとすると、

あなたならどちらの選手を選びますか。下のア、イの中からどちらか

一方の選手を選びなさい。また、その選手を選んだ理由を、

二人のヒストグラムの特徴を比較して説明しなさい。

どちらの選手を選んで説明しても構いません。

ア 原田選手 イ 船木選手

 

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まず[]内の文章はこの問題を解く上では不要である。

あと、「ヒストグラム」という単語をこの段階できちんと

理解している中学生はどれほどいるのだろう?

 

それはさておき。

掲載されている正答例では、ア、イのどちらでも

以下のように説明があれば正解ということになっているという(読売より引用):

 

ア: 原田選手の記録の方が船木選手の記録より130m以上の

階級の累積度数が大きいから。

 

イ: 船木選手の記録の方が原田選手の記録より範囲が小さく、

階級の中央の値の大きいところに記録が集まっているから。

 

一方で、

「イ: 船木選手は安定して飛んでいるから」はバツだという。

数学的な表現で説明できていないからか?

 

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少しでも統計を真面目に学んでいれば、上の正答例ですら

両方ポイントがズレていることは分かるだろう。

アは両選手の好記録のところしか見ていない。

(累積度数なんて言葉、中学生が使うか?)

イはそもそも日本語がわかりにくいのだが、

船木選手の記録分布の偏差が小さいことを指摘しているだけである。

 

上の誤答例と五十歩百歩である。

 

真面目に考えるなら、

X,Yをそれぞれ原田選手、船木選手の飛距離を表す確率変数として、

X<Yとなる確率P(X< Y)、X>Yとなる確率P(X>Y)を計算、比較するしかない。

X,Yは互いに独立で、その分布はヒストグラムに従うと仮定するしかないだろう。

そうすると、P(X<Y)=207/400, P(X>Y)=136/400

となり、明らかに船木選手の方に軍配が上がる。

(ちなみにこれは高校レベルの数学である)

 

従って、この問題に対する答えは「ア、イのどちらでもいい」わけがない。

(実際のオリンピック選手の選考もこんなザルであっていいわけがない。)

 

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問題文の無駄な冗長さもさりながら、解答までいい加減とはどういうわけか。

出題者はこの問題を通じて、受験者の一体何を測ろうというのだろう。

 

分かるのは、出題者が「統計処理を分かっていない」ということだけである。


大学科目の試験

2012-07-22 | 教育

以下はしがない非常勤講師の愚痴です。

聞き流してください。

 

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教員をやっている人ならよく分かると思うのだが、

教員側は試験の際にはできる限り普通の問題を作り、

学生の不完全な解答に対しても可能な限り

部分点を与えようと努力をする。

 

そうしなければ、不合格者が大量に出てしまうからだ。

 

無論、教員側は担当科目に関する知識・経験は学生の

それを遥かに凌駕しているので、感覚が狂って学生にとって

難しい出題になってしまうこともある。

しかし、少なくともそれは大量の不合格者を出すことを意図してのものではない。

 

要するに、ここで言いたいのは教員側は

「合格者・単位取得者を増やすために結構、努力をしている」

ということである。

 

それこそ、各科目についてその最低限の履修内容を確認する

問題を出すか出さないかギリギリのラインで葛藤することも少なくない。

担当科目の履修内容を教えたという体裁をとるためには、

その内容を試験に出題したい。というより、すべきである。

しかし一方でその内容が新しい、あるいは難しいものだと

それは確実に平均点を押し下げるリスクとなる。

 

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翻って、学生の側がどうなのか、は常々気になるところである。

彼らは単位を手に入れたいと思っているのだろうか?

あるいは授業内容を理解したいと思っているのだろうか?

 

数学は数ある教科の中でも、受講者自身が「思考」を

しなければ消化吸収できない科目であるため、

特に「難しい」とレッテルを貼られてしまいがちな科目である。

実際、思考能力が落ちている昨今の大学生

(高校1年の平面幾何学の証明問題をまともに解答できる

大学生は今どれくらいいるのだろう!)

にとって大学数学で扱う抽象論は極めて難解に映るだろう。

 

難解なのは仕方がない。

それの理解に向かって努力ができればそれでいいのだが。

 

もとより、授業の教室には来るのだが居眠りなどをして

そもそもノートすら取らない学生が多い。

出席点を私は取らないので、この場合は授業に来る理由が

何一つないのだが。

 

今の標準的な大学生は自学自習があまりできないらしい。

しょうがないので(大学教育でするべきではないと思うのだが)

教員側から宿題を出す。

そうすると、彼らはそれをさぼること、人の解答を丸写しすることに

熱を上げる。

 

…これらは、大学教員がいちいち指導しなければいけないことなのか?

 

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帰結はおそらく見えている。

彼らの少なからずが必要な点数に届かないだろう。

それが彼らの普段の学習姿勢に起因することを、

彼らは残念ながら自覚できない。

(そうした彼らを引っ張り上げることができないという意味では、

確かに私の力不足でもある。しかし、この問題に十分対処できるだけの

大学教員なぞ果たしてどれくらいいるのだろう?

そもそも非常勤にそんなスーパーマンのような活躍を期待する方が

間違っている)

 

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最近では試験で不合格となった際に、学生の保護者から

大学にクレームが来るそうである。

 

不合格となる理由は、「単位に必要な点が取れなかったから」

でしかありえない。

そもそも大学まで来ると勉学の結果は完全に

学生本人に責任が帰着されるべきものであり、

保護者が出てくる時点でお門違いなのだと思うが…

 

こうした正論がもはや通じない時代なのだろうか。