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結婚会見:教祖様と信者

2021年10月28日 08時43分42秒 | 報道/ニュース

自分の能力を自分自身で発見する事は難しい。自分の能力は他人が教えてくれるものである。小室圭はようやく自分の類い稀な能力に確信を抱き始めただろう。確信の源となったのは、勿論、眞子様である。結婚会見は「教祖様」と「信者」の関係のようであった。教祖とはもちろん小室圭であり、信者とは眞子様のことである。

眞子様の激しいマスコミ批判を額面通りに受け取ってはいけない。眞子様の発言の全てが「小室圭」擁護に向けられていた事実に着目する必要がある。小室圭の行動の全ては自分が指示したものだと盲目的に弁護する姿勢にそのことは現れている。人は誰でも自分自身の弁明には躊躇するが、他人の擁護になると抑制が外れ、トーンが上がる。眞子様の激しい発言は命を賭けて「教祖様」をお守りするためのものである。眞子様は自分自身の利益につながる事を何一つおっしゃっていない事に注目する必要がある。小室家の新たな疑惑を、教祖様の一大事と悟った一信者の捨て身の反応のように映った。

眞子様は完全な被害者である。信仰と愛を区別する事は難しいが、私には「教祖」と「信者」の関係のように見えた。少なくとも小室圭は眞子様を全く愛していない。小室にとって眞子様は単に使える道具でしかない。「小室圭の口から眞子様を擁護する捨て身の発言が一度も出ていない」ことがその明白な証明である。眞子様への愛が少しでもあったなら「いいえその問題の全ては私の側にあり、結果と責任の全ては私が負います」と眞子様をお守りするための言葉が、どこかの段階で極く自然に小室圭の口から出たはずである。

加害者が被害者のように振る舞い、被害者が加害者のように映ることがしばしばあることに注意すべきである。二人の結婚がどのような未来に通じるのかは誰にも分からない。しかし仮に破綻に向かうことがあるとすれば、それは小室が「成功は失敗の元」という金言を忘れ自信過剰で傲慢に陥った時である。

 

追伸:小室圭の受賞論文に目を通した。すでに論文の要約もWeb上に出ているが、「Johnという架空の経営者のFordham Coffee Shopを登場させる。このShopがonline storeを立ち上げる時のwebsite作成の注意事項を取り上げる。訴訟の対象になりそうな紛らわしい類似の名称を使ったり、結果的に嘘になる表現(エチアピア産コーヒーをコロンビアコーヒーと名付けたりするようなこと)をすべきでない。常に最新のwebsite compliance lawsに注意を払い訴訟を回避すべきだ」と主張する。これでもかこれでもかというほど条例を事細かに例示しながら「訴訟回避こそが起業のための必須の事項である」と強調する。小室の異様な繊細さと執拗な用心深さがいつまでも頭に残った。一方、科学者である私にはつまらない凡庸なレポートに見える。中学生でも知っていそうなweb上の知見をくどくど述べただけの冗長な作文に感じた。上級の論文であるためには、着眼が新規であること、新たな発見があること、新たな理論を提唱すること、既存の定理の別の解法を発見すること、又は定理の一般化がなされていること、理論を実証あるいは反証する新(又は追加の)実験結果を提示すること、等いくつかの要件を満たす必要があるが、小室論文はそれらのいずれをも満たさない。小室論文は、全体を通じて、退屈で創造力を欠いており、不眠症の患者にピッタシの論文だと思った。



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