限りある日々の記録

70代の生を前向きに生きて

オッチ君とピースケ 1.

2012-05-29 15:37:01 | 日記

オッチ君とピースケ (家での実際にあった話 )                      

「ねえ、ママ、きてよ。たいへんだよ。 チャボが三羽 殺されているよ。」とオッチ君が、大声でどなってる。「えっ」といそいでかいだんを降りていくと、縁側に、三羽のメスのチャボが、よこたわっていた。猫にやられたらしい。ピースケは、どうしたかなと、あたりを見ると、うえきのかげに、一本足で立っている。

「おうい、オッチ君、ピースケ生きているよ。」とママの声でも、オッチ君は、信じない。

「椋鳩十さんの本にオスはメスをまもって、闘うって」書いてあったもの、ピースケは、いとこのけんぼうが、春休み、仙川の露店で買ってくれたひよこです。「おまけだよ。メスだよ。はい、三羽」3年生のオッチ君は、どんなに嬉しかったか、毎日、エサを口に入れてあげ、空き箱に、古着を敷き、寝床もつくりました。部屋中、ピーピーなくからピースケと名前をつけました。追いかけっこをしたりで、四才の妹の のんちゃんは、大喜びです。でも、寒い朝、二羽が、つめたくなっていたのです。妹の のんちゃんが、

「お兄ちゃん、ひよこどうしたの、三つが、ひとつになってるよ。」ママが、

「あの木の下でねむっているよ。」というと、

柿の木に行って さがそうとするのです。

「だめ。」オッチ君はこわい顔でおこりました。泣きながらちり紙につつみ土にうめたのです。のこった一羽のピースケを、必ず大きく育てると決心したのです。

ピースケはいつもオッチ君の後を追い ついていきます。「ピースケ」とよぶと、嬉しそうに、オッチ君のそばに行き、箱の中から出て、部屋中を歩きまわっていました。ピースケのうんこも、ちり紙で取って、弟のように可愛がりました。

四月 新学期がはじまります。

オッチ君は、毎日、ピースケを小さな箱に入れて、雨の日は、ポッケットに入れて、学校にいきました。だって、エサを何回もあげなくては ならなっかったのです。机の下の箱に入れて、休み時間に世話をしたのです。ママは、学校の先生です。今日は、オッチ君の学校の父母会です。「オッチ君のママ、大変だよ。いつもオッチ君 宿題やってこないよ。」と、クラスの友達が知らせてくれたのです。ママは、真っ赤な顔をしていました。隣にいたO君のママは、「えらいわよ。オッチ君、うちの子は、ひよこよりも宿題やるって

 いつも ひよこを 忘れないなんて。今に大ものになるわよ。」と慰めてくれたのです。

ピースケが大きくなると、にわに、パパと小屋を作って留守番をさせました。だんだんピースケは大きくなり、鶏冠もでてきました。

「コケコッコウ」となくようになり、庭で遊んでいても、オッチ君が、口笛を吹くと二階まで飛んでいって、オッチ君の口をつっついたりします。ママは、一羽では、かわいそうと、チャボをもらってきたのです。ピースケとチャボは、結婚して卵を産むようになりました。五月の連休のころ、チャボの羽の下から、きいろいものがみえてきます。かわいいひよこの羽がみえたのです。「ママ、チャボってえらいね、じっと座って温めているんだもの。ぼくにはできないよ。」と、オッチ君は感心しています。二十一日間も、天気のいい日に、ちょっと 小屋から出て、たくさんうんこをして、すぐに小屋に帰り温めるからです。ピアノの先生が来る日、すっかり忘れて遊んじゃうオッチ君の驚きでした。

そのチャボがふえて四羽、そのうち三羽が、殺されたのです。オッチ君は、たしかめに二階からかけていきました。ピースケは、一本足で、羽のつけねから血が流れ、骨が見えています。

「ママ、医者に連れて行こうよ。」と、オッチ君はつけねを布で押さえているのです。ママがオッチ君と近所の獣医さんにピースケをつれていきましたが獣医さんは、傷口をぬい、「入院」と言ったのです。なかなか退院できないので、ママは心配です。だって保険がきかないので、お金がかかるからです。でもね、ピースケのように、メスを守る勇気をオッチ君が 身につけてくれればと思ったのです。

七日目、オッチ君が病院に迎えに行くと「コケッコッコー」とないて、こと切れたそうです。オッチ君の懐に抱かれたピースケは、こぶしの木の下にうめられました。あと一羽のチャボは、猫に追われてどこに行ったのでしょうか?

近所の子ども達とオッチ君は、探しに行きました。一週間位たって、五百メートル離れた家のニワトリを、オッチ君たちは、見にいったのです。「猫に追われて行方ふめいのチャボさがしです。」と話すとえさもくれて返してくれたのです。

 ピースケがいなくなって、困ったことが、おこりました。いつも、庭に放し飼いにしているチャボたちも、夕方になると、ピースケが、四羽をひきつれて小屋にかえっていたのです。でも、チャボは小屋に行きません。オッチ君が、夕方 ピースケのかわりに小屋にいれるのです。ピースケって、偉かったのですね。朝早く、ピースケは、二階の屋根の上で、ときの声を上げてます。カラスだってきません。でも、隣の家から、「うるさい。もし、つつかれたらこまる」と放し飼いを やめて欲しいと 言われたのです。オッチ君に話すと「ママ、ママだって、一日中小屋の中だったらいやでしょ。かわいそう。」と、「あのね、タマゴを持って行ってあげたら。」と、のんちゃんの意見です。でも タマゴを持っていくと「おばちゃん、タマゴでなくて、ひよこ ちょうだい。」と言われたのです。ひよこを持っていくと、「メスならいるけど、オスならいらない。」ってそれからは、たまにしか放し飼いはできませんでした。

ピースケのいない静かなとり小屋です。また春が来て、チャボは、ピースケがいないのにタマゴをあたためています。オッチ君はかわいそうになりました。

 毎日 すわってあたためても、タマゴはかえらないのに チャボはわからないのでしょうか?オッチ君は、近所のつがいでかっている家に行って、タマゴをとりかえて、チャボの羽の下にそっとおきました。二一日目の五月晴れの日、チャボの羽の下から、黄色い小さな羽根が見えた時、オッチ君も妹ののんちゃんも大喜びです。

(今、近くの学校に行っても 動物もいません。動物とのふれあいから学ぶものが多いのに 生徒を連れて養鶏場に見学に行った時 そこは「卵工場」でした。餌はベルトコンベヤで運ばれてきます。エサが飛ばないように嘴を切ってあるそうです。こやは狭く仕切られ卵が取り出し易いように床が坂になっています。餌の中には、病気予防の抗生物質の薬品も入っているそうです。そして、早く春が来るようにと小屋に赤いビニールを被って春に見せかけるそうです。なんだか鶏の団地みたいです。また学校の給食を思い出しました。ベルとコンベヤに追われている学校 家の鶏のように2階まで飛ぶ自由もない管理された鶏 鶏だって生きてる間はもっとおおらかにと、効率一辺倒で安値の卵だけでいいのかとも、安全性も)

 


縁は異なもの味なもの

2012-05-26 07:31:15 | 日記

 家の前のターンハウスに娘さんが越してきました。 庭の増えすぎた球根を持って植えてくれるか聞いたたところ、喜んでと引き取ってくれました。草だらけの娘さんの小さな庭が耕され草花が植えられていきました。優しい人柄なのでしょう。

 7月のある日 娘さんから「猫がいるのだけど、どうしたらいいのでしょう?」と話しかけられました。私は、野良猫だと思い「保健所に電話したら」と話したのです。でも 数日後 首輪でつないで「しま しま」と縞猫をつないで散歩しているではありませんか 私は保健所に電話したと思っていたのですが、窓から見ると猫の長い尻尾が、そしてジーパンの娘さんの姿が印象に残りました。

 栗の実る頃、テニスの帰りの無人スタンドで小さい栗が売られていました。一つ買って食べたら味が濃く値も100円だったでしょうか、食べていると田舎の姑が毎年贈ってくれた味が思い出されました。家に遊びに来る姑のハンドバックの中には、茄子が胡瓜が入っていました。腰の曲がった姑、2時間余の乗り継ぎ4回の中を 転んだらと心配、でも母の心でしょう。

 懐かしさで また栗を買いに雨の中を行きました。雨のためかスタンドには何もありません。台の下を見ると、「可愛い猫を捜しています。」と写真があるポスターが貼られていました。しっぽが長いのが印象的でした。栗も欲しいし、猫にことよせてと、ベルを押して猫のことを話しました。「猫が3キロも離れた所へ行くでしょうか?」と半信半疑でした。でも 写真を借りて娘さんに見せたところ間違いなく農家の飼い猫「ちび」でした。これが縁で避妊手術もすんでいたとかで元の飼い主の所に帰りました。

 その後 娘さんは福島の猫を2匹もらい飼っています。避妊手術の5万円近くかかったそうです。手術後サービスしてくれたらと、獣医へのお菓子を期待外れの値で持ち帰り おすそ分けを頂きました。「安いところがある」と紹介したのですが、下手な手術で可哀そうだと話していました。その後もまた1っ匹福島の猫を育て、メールで紹介 新しい飼い主の家まで届けました。どんな飼い主か確かめたいと、そしてまた2匹 全部で4匹です。新しい飼い主の所へ でも残念 飼い主の旦那さんがアトピーで 出戻りでした。そして何か月後飼い主が見つかり2匹がもらわれていきました。猫を飼うために大家さんに話し敷金を5万円追加したとか 彼女の優しさに近くに娘ができたようです。

 若いということは素晴らしいことですね。彼女の「プログ『 まるべん』」は楽しいし ユーモアと漫画もありです。 

 買い物もインターネットっを利用で素早い、そして安物買いの銭失いでなく上手です。若いセンスに教えられます。

 猫の元飼い主との縁もでき、野菜畑の見学、スナックえんどうの摘み取りと楽しい交流が始まりました。猫の取り持つ縁でしょうか

 


「遠くて近い 近くて遠い」

2012-05-19 11:19:57 | 日記
 薫風かおる朝、80代近くなってか 体がだるい。でも気分転換に太極拳に行きました。 
 フランスの長女が送ってくれた手作りのもんぺをはいてでかけたのです。

 帰り道『素敵なもんぺね。』と、同年代の婦人にほめられました。私は暮らしの手帳に出ていた型紙を長女の友人から借りてぬってフランスから娘が送ってくれたのです。
「長女は、誕生日の度に このデジカメも 絵の具セットと入れ物の手作りの袋も、そして、夫と私に2本のステッキ、両手でステッキを使って野山を歩くようにって、寂しいときこのもんぺで気分転換」と話しました。

 「遠くても近い」長女 「近くても遠い」人が浮かんできました。
贈り物も手近なネットで、忙しさの中で儀礼的になっているのに 温かい気持ちは、嬉しいものです。何気ない野菜 取れたてで、大根のうろ抜き でも喜んでくれる人 すぐお返しが帰ってくると、おすそわけもできません。

 長女はスーパーで 万引きをしている中学生に「私は見ていました。辞めてください。」とメモを渡したそうです。

 温泉に行った時 入浴の介助に側のお婆さんに手を貸していました。
外国に行っても留学中の女学生が万引きで捕まり、国外退去になりそうになったときもらい下げに言ったそうです。
 長女の大学の同級生の友人から たびたび「優しい娘さんの育てた両親に敬意を表して」と 美味しい干物がおくられてきます。
 こんな時、遠く離れた娘が身近に感じられ幸福な気持ちになるのです。

 偶然出会った婦人はストレスか とても太っていました。一人娘と絶縁状態だそうです。
 老いは、誰にもやってくるもの 人それぞれ でも「今日は 明日より若い」と全てを受け入れ 裸の赤ん坊にかえって、のんびりと自分のペースで、健康第1に日々楽しむことでしょうか?

 10年前でしょうか?
同年代のお母さん(教え子)から頂いたアマリリスがもうすぐさきそうです。

 アマリリス 贈りし友の 老いいかに

 夫を亡くしたり 黄泉の国に旅立ちし人も デイケアに通園の友も いかにと …

谷川俊太郎の詩集を読んで 2、死とは?

2012-05-17 16:06:36 | 日記
 
 しぬまえにおじいさんのいったこと

 わたしは かじりかけのりんごをのこして
 しんでいく
 いいのこすことは なにもない
 よいことは つづくだろうし
 わるいことは なくならぬだろうから
 わたしには くちずさむうたがあったから
 さびかかった かなづちもあったから
 いうことなしだ

 わたしの いちばんすきな人に
 つたえておくれ
 わたしは むかしあなたをすきになって
 いまも すきだと
 あのよで つむことのできる
 いちばんきれいな はなを
 あなたに ささげると


 おばあちゃんとひろこ

 しんだらもうどこにも行かない 
 いつもひろこのそばにいるよ
 と おばあちゃんはいいました
 しんだらもうこしもいたくないし
 めだっていまよりよくみえる

 やめてよえんぎでもない
 と おかあさんがいいました
 こどもがこわがりますよ
 と おとうさんがいいました
 でもわたしはこわくありません

 わたしはおばあちゃんがだいすき
 そらやくもやおひさまとおなじくらい
 おばあちゃん てんごくにいかないで 
 しんでもこのうちにいて
 ときどきわたしのゆめにできて

 おっけーとおばあちゃんはいいました
 そしてわたしとゆびきりしました
 きょうはすごくいいてんき
 とおくにうみがきらきらかがやいて
 わたしはおばあちゃんがだいすき  

初孫を難病で亡くした私 
 毎朝 太極拳に自転車で行く/ 孫の名を呼び荷台に載せて/すこし太ったかな /春の花は孫と同じ美しさで咲いているよ/朝日に映える雲 あそこに座ってるの?…  と
いつもいっしょなのです。
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「ぼくはこうやって詩を書いた」谷川俊太郎を読んで 1

2012-05-17 15:19:35 | 日記

                     

谷川俊太郎詩集の中の詩の中から

 いいこ

 となりのよっちゃん とってもいいこ
 おやおいうこと なんでもきいて
 しけんはいつも ひゃくてんとって
 さけものまなきゃ たばこもすわず
 いちんちろっかい はをみがく

 となりのよっちゃん とってもいいこ
 もらったこづかい みんなかえして
 じゅくからじゅくへ わきめもふらず
 てれぼもみなけりゃ まんがもよまず

 ゆめのなかでは といれのそうじ 

この詩を読むと19歳で自死した教え子を思いだします。 中学時代 生徒会長 善行少年
でした。 もっと小学1,2年時のいたずらや回り道があったら,成長が周囲の期待に…

¨
谷川俊太郎詩集の中の詩の中から

 さようなら、

 ぼくもういかなきゃなんない
 すぐいかなかなんない
 どこへいくのかわからないけど
 さくらなみきのしたをとおって
 おおどおりをしんごうでわたって
 いつもながめているやまをめじるしに
 ひとりでいかなかならない
 どうしてなのか知らないけど
 おかあさんごめんなさい
 お父さんに優しくしてあげて
 ぼくすききらいいわずになんでもたべる
 ほんもいまよりたくさんよむとおもう
 よるになったらほしをみる
 ひるはいろんなひととはなしをする
 そしてきっといちばんすきなものをみつける
 みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
 だからとおくにいてもさびしくないよ
 ぼくもういかなきゃなんない      (自立と別れ…死)少子化 過保護か 親の期待過剰の中で

この本は、生活の中からの詩で私に沢山のことを投げかけてくれます。