泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

ビルマの竪琴

2008-02-26 22:01:26 | 映画
 市川崑監督の作品、第二弾(個人的に)は『ビルマの竪琴』です。
 原作を文庫(竹山道雄著/新潮文庫)で読んだのはいつだったか。もう十年も前になるかと思います。
 白黒なのですが、色彩が浮かんでくるようです。映像だけで芸術。美しい。画家の魂がこもっている。そして音楽。やつれた兵隊の合唱、竪琴の伴奏。音楽が何度人を救ったか。この映画を観るとよくわかります。
 原作者の竹山道雄は、ドイツ文学者で、第一高等学校(東大の前身)の教官をしており、教え子を戦地に送る経験を持っていた。痛々しい帰還兵を何人も見ていた。『ビルマの竪琴』は、1948年に単行本として発表されていますが、生徒、帰国兵を通じてと、当時日本の敵だった連合軍(ビルマにおいてはイギリス)との間に共通の歌(「埴生の宿」1823年イギリスで誕生、原題は「Home,Sweet Home」)があることから、「音楽で和解を」を主題に創作されたのでした。発表当時は、元軍隊へのバッシングの嵐(あんなにバンザイしたのに)の中で、一石を投じたとのことです。
 60年経ってまだ作品が生きているのはなぜでしょう? その答えは、水島(ビルマに僧侶として残った兵士)の手紙の中にあると思いました。
「山をよじ、川をわたって、そこに草むす屍、水づく屍を葬りながら、私はつくづく疑念にくるしめられました。―いったいこの世には、何故にこのような悲惨があるのだろうか。何故にこのような不可解な苦悩があるのだろうか。われらはこれをどう考うべきなのか。そうして、こういうことに対してはどういう態度をとるべきなのか?
 この疑念に対しては教えられました。―この「何故に」ということは、所詮人間にはいかに考えても分からないことだ。われらはただ、この苦しみの多い世界にすこしでも救いをもたらす者として行動せよ。その勇気をもて。そうして、いかなる苦悩・背理・不合理に面しても、なおそれにめげずに、より高き平安を身をもって証しする者たる力を示せ、と。このことがはっきりした自分の確信となるよう、できるだけの修行をしたい、と念願いたします」(189-190ページ)
 竹山さんは、教え子の葬式に何度も出た。棺には、お骨も遺灰もない。ビルマでは30万人の日本人が死んだ。世間では、元兵隊を悪人呼ばわり。彼らを鎮魂する者はいなかった。いなくてはならないと願った。その苦しい思いが水島になり、『ビルマの竪琴』になった。
 映画に戻りますが、ワンカットずつが、実にきめ細かく心が配られています。DVDには付録として撮影現場の写真ギャラリーがありますが、一枚一枚が絵です。俳優も音楽も、映像にぴったりと合っている。
 日本人にはなくてはならない作品です。これこそ文化、芸術というものでしょう。
 そこの暇な大学生! メイド喫茶なんかに行っている場合じゃないぞ。

市川崑監督/三國連太郎・安井昌二他出演/和田夏十脚本/日活/1956

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