泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

鮪立(しびたち)の海

2020-07-02 17:03:23 | 読書
 主人公は菊田守一。舞台が気仙沼とあっては、読まないわけにはいかない。というか、私(たち)のために書いてくれた物語だと感じた。
 いつだったか石巻に行ったとき、支倉常長が伊達政宗の命を受けて、ローマまで航海した船「サン・ファン・バウティスタ号」の復元船に乗ったときの興奮を再体験した。
 というか、私の父の父は、菊田菊治といい、船頭だった。「船頭」とは何なのか、どれだけすごいのか、この本を読んでよくわかった。
 船頭の仕事は、漁師業の全てとも言えます。人員の手配、船の手入れ、航海術・漁に長け、空と海と星と魚に熟知し、どの港に入れば売上が最大になるか計算もできないといけない。
 一度出た船は、魚を一杯にしないと帰ってこれない。といっても、燃料も食料も限られている。船頭の腕が試される。運だけじゃない努力、実力と知識、人心掌握も必要とされた。
 カツオの一本釣りに魅せられた守一は、自分も船頭になると誓う。父と兄も名船頭だった。
 しかし順調にことは運ばない。一番の災厄は戦争。徴用船となって、太平洋の沖に見張りとして連れていかれる。
 ついに戦闘に巻き込まれ、父は負傷し漁ができない体となった。父に代わって船頭となった兄は、グラマンというアメリカの戦闘機に撃たれ、船は転覆し、その船体にしがみついて落ちそうになる兄を守一が必死に引っ張り上げ、背中にふんどしでくくりつけて守ったにもかかわらず、朝、味方が助けにきたとき、死んでいた。
 戦後の貧しいとき、守一は「担ぎ屋」で飢えを凌いでいた。魚市場から魚を調達し、農家まで運び、米や野菜と交換する仕事。
 そのとき、征治郎という、どこから流れてきたのか分からない怪しげな男と知り合いになる。農家の真知子と恋仲にもなる。
 征治郎は、仙台の出身で、母が小料理屋を営んでいた。母は、おめかけさんだった。妹もいたが、二人とも空襲で死んでしまっていた。そして、彼は特攻崩れだった。
 その後、真知子とのことや、征治郎の父のこと、守一がついに船に乗ることなど、自然に流れていく。
 最後は、ついに守一も船頭となり、新しい海、インド洋に出て、鮪を狙う。しかしなかなか当たらず、船員同士がくだらない喧嘩など始める。
 そこに無線が入る。守一は、真知子との関係を終わらせ、見合い結婚し、第一子の誕生を告げるものだった。
 鮪も、ついに当たる……。
 鮪立(しびたち)は、実際の地名です。気仙沼大島のすぐ脇の半島、唐桑半島にある。
 舞台の「仙河海」は気仙沼のこと。松石は松岩、櫓崎(やぐらざき)は松崎、鹿又は鹿折、唐島は唐桑など、気仙沼を知っている人ならその地名がどこなのかわかる。
 しかし架空の物語。しかし、私(たち・菊田家)にとっては、一代記とも言える貴重な存在。
 父は言った。息子が作家志望でよかった。形を残すことができるから、と。
 小説という形を提供することで、人々を支えることができる。
 新型ウィルスの影響で本屋の営業ができませんでしたが、再開してからというもの、売上は前年を越えています。
 人は、持ちつ持たれつ。不安が増大した人もいる。紙の本は人を支える。
 私は、二十歳からずっと日記を書いてきました。紙にペンで言葉(気持ち)をぶつけ続けた。紙は、何も文句も言わず、ずっと受け止めてくれています。
 そのように本は人を支える。今度は私が支えたいと思う。
 守一が悲劇にも遭遇しながら生き延びた末に夢を叶えたように。
 そのように、この紙の本は、私たちを支えてくれます。
 ありがとう。

 熊谷達也 著/文藝春秋/2017

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