日曜日にDVDで観たのですが、いまだに残像が胸に漂っています。じわじわと染みてくる。全世界で500万人が読んだというベルンハルト・シュリンクの『朗読者』(新潮文庫)が原作。この本が登場したときは、クレストブックという海外翻訳シリーズの目玉となっていて、買って読んだことがあった。でも、読書では映画ほどの感動は得られなかった。僕の読みが甘かったのもあるだろうし、おそらくは映画での新たな創作やスタッフの充実が大きな効果を上げていたのだと思う。僕自身も、素直にもなった。
一言で言って、この映画の主題は「恥」にあるのだと思う。恥じるがゆえに誰にも言えなかった。知られたくがないゆえに嘘を飲み込み、自らを不利な立場に追い込んでしまう。それでも明かされないことよりはましという意識。俳優も見事で、見えないはずの「恥」をよく表していた。
その「恥」とは何なのか? 一つは「セックス」であり、一つは「文盲」であり、もう一つはドイツにおける「ナチ」という罪。主人公の一人であるハンナは、その三つを身に抱き、絡まった重みによって亡くなっていく。
ミヒャエルの立場もきつい。15歳でハンナと知り合い、男女の仲になり、突然にハンナは消え、法学生のときゼミで傍聴した裁判で、被告人席にいるハンナを見つける。彼は苦しんだ。助けようとした。しかし、彼女自身が明かされることを望まない恥を、公に曝さなければ判決を覆すことはできない。彼はハンナとの面会を希望したが、思い直して辞める。
それでも、ミヒャエルのハンナへの思いは続いた。密会を重ねていた夏、ハンナはミヒャエルに本の朗読を頼んだ。ある程度満足して、性交に移った。若いミヒャエルにしてみれば朗読は一つの労働だった。対価が成熟した肉体だった。しかし、朗読は重要な意味を担っていく。ハンナは本を読めなかった。ハンナが刑務所に入って、ミヒャエルは朗読したテープを送り届けた。やがて、ハンナからの手紙が届く。「テープをありがとう、坊や」と。
二十年続いた刑務所暮らしと朗読の日々も終りが近づいた。やっと再会した二人。来週ミヒャエルがハンナを迎えに行くことになっていた。花束を持って行くと、・・・。
愛情がまたよく描かれている。被害者と加害者との違いもまた、如実に。現実が虚構を引き締めている。大人の映画。
本の役割も具体として示していた。『愛を読むひと』という訳も適切だと思った。
すばらしかった。文句のつけようがありません。
スティーブン・ダルドリー監督/デヴィッド・ヘアー脚本/ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ他出演/ショウゲート配給/2009
一言で言って、この映画の主題は「恥」にあるのだと思う。恥じるがゆえに誰にも言えなかった。知られたくがないゆえに嘘を飲み込み、自らを不利な立場に追い込んでしまう。それでも明かされないことよりはましという意識。俳優も見事で、見えないはずの「恥」をよく表していた。
その「恥」とは何なのか? 一つは「セックス」であり、一つは「文盲」であり、もう一つはドイツにおける「ナチ」という罪。主人公の一人であるハンナは、その三つを身に抱き、絡まった重みによって亡くなっていく。
ミヒャエルの立場もきつい。15歳でハンナと知り合い、男女の仲になり、突然にハンナは消え、法学生のときゼミで傍聴した裁判で、被告人席にいるハンナを見つける。彼は苦しんだ。助けようとした。しかし、彼女自身が明かされることを望まない恥を、公に曝さなければ判決を覆すことはできない。彼はハンナとの面会を希望したが、思い直して辞める。
それでも、ミヒャエルのハンナへの思いは続いた。密会を重ねていた夏、ハンナはミヒャエルに本の朗読を頼んだ。ある程度満足して、性交に移った。若いミヒャエルにしてみれば朗読は一つの労働だった。対価が成熟した肉体だった。しかし、朗読は重要な意味を担っていく。ハンナは本を読めなかった。ハンナが刑務所に入って、ミヒャエルは朗読したテープを送り届けた。やがて、ハンナからの手紙が届く。「テープをありがとう、坊や」と。
二十年続いた刑務所暮らしと朗読の日々も終りが近づいた。やっと再会した二人。来週ミヒャエルがハンナを迎えに行くことになっていた。花束を持って行くと、・・・。
愛情がまたよく描かれている。被害者と加害者との違いもまた、如実に。現実が虚構を引き締めている。大人の映画。
本の役割も具体として示していた。『愛を読むひと』という訳も適切だと思った。
すばらしかった。文句のつけようがありません。
スティーブン・ダルドリー監督/デヴィッド・ヘアー脚本/ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ他出演/ショウゲート配給/2009
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