泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

ショーシャンクの空に

2009-08-27 00:00:06 | 映画
 特に観るつもりはなかったのですが、ツタヤのカード更新をしなくてはならず、サービスの一本無料を利用して(100円でしたが)借りました。
 2回目でした。最初に観たのはいつだったか? 高校生か浪人時代か。
 ものすごく「スカッと」したことを覚えています。姉から勧められたのも覚えてる。でも、細部は忘れていた。
 主人公のアンディの妻は不倫していたこと。その現場に、彼はいたこと。不倫相手ともども殺した罪に問われたこと。検察官に騙されて(!)、陪審員たちも彼を有罪(終身刑)に処したこと。
 送られたショーシャンク刑務所。いきなり暴力によって、初めての夜に泣き出した太った囚人(ほんとは無実かもしれない)が、刑務官によって殴り殺されたこと。
 50年に渡って刑務所暮らしをした老人が仮釈放され、シャバになじめず、不安に駆られて安住の地を求めて自殺したこと。
 アンディは銀行員だった経験をフルに生かして、刑務官ばかりでなく、所長の脱税を手伝ったこと(それも自分のためだったと後でわかる)。必死に勉強して高校卒業の資格を得たトミーが、真実を語ったために(アンディが犯したとされる殺人の真犯人を知っていた)、アンディの無実だったことがばれるのが面倒なため、脱獄したために射殺されたと所長によって捏造されたこと。
 聖書を盾にした悪魔が所長だったこと。彼に逆らう者は殺されるということ。
 人間のくずたちによって、力ずくで犯された(レイプ)こと。
 アンディは、しかし、希望を失わなかった。
 希望こそ、誰からも、どんな仕打ちを受けようと、奪われることのない唯一の宝、永遠の命だと信じていた。
 彼は、図書係になり、週に一通州議会に手紙を書き送り、図書の充実を求めた。6年続けて古本と200ドルを得た。そして彼は、週に二度手紙を書き送った。ついには500ドルを獲得した。囚人たちの自立を促す学問を整えた。一方で、所長に表面的に従い続けた。心の芯は、しっかりと彼が彼を握ったまま。
 東京大学の社会学専攻の人々が最近『希望学』という本を出しています。それは「希望」に関する研究の結果報告です。中身まで読んでませんが、頂いたパンフレットに、この映画のことも出ていたのでした。そしてもう一度観てみたいなと思っていました。
 フランクルの『夜と霧』を思い出しました。
 まったく地獄としか表現しようもない世界。自分を出せば鞭打たれる。拷問が待っている。殺される。その世界では、殺されても、殺した側は罰せられない。殺される理由もない。
 そんな世界にいて、でも人は、心に希望を持つことができる。
 心の自由を、誰も奪うことはできない。
 自分である理由のところ。胸の中の泉。
 音楽の源。詩の故郷。
 そこに働きかけるのが芸術なんだと、改めて思う。
 希望は誰にでもある、生きるためのチケットなのだと、それを奪うことは誰にでもできないのだと、この映画は思い出させてくれます。
 僕の希望とは、なんだろうか?
 アンディが19年、毎日一握りの石を砕いたように、僕もその道を、進めているだろうか?

フランク・ダボラン監督/脚本/スティーブン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース』原作/ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン他出演/コロムビア映画/1994

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