[編集]7代目 U11型系(1983年 - 1990年)
セダン/ハードトップ:1983年 - 1987年、マキシマ:1984年 - 1988年
日産・ブルーバード(7代目)
U11型系
ハードトップ(前期型)フロント
1983年10月 - 1985年8月
ワゴン(海外仕様・後期型)フロント
ワゴン(海外仕様・後期型)リア
販売期間 1983年10月 - 1990年5月(生産終了)
設計統括 石川康雄
デザイン 園勲夫
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン / 4ドアハードトップ
ワゴン/バン
エンジン VG20ET/VG20E型 2L V6
CA20型 2L 直4
CA18DET/CA18ET/
CA18E/CA18型 1.8L 直4
CA16型 直4 1.6L
LD20→LD20II型
直4 ディーゼル2L
変速機 4速 / 3速AT
5速 / 4速MT
駆動方式 FF
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:ストラット
全長 4,500mm
全幅 1,690mm
全高 1,370mm
ホイールベース 2,550mm
車両重量 1,105kg
ブレーキ 前:ベンチレーテッドディスク
後:ディスク
データモデル 4ドアHT ターボSSS 5速MT(前期型)
別名 北米:日産・マキシマ(2代目)
-自動車のスペック表-
ブルーバード初のエンジン横置きFF(前輪駆動)車。先代の910型の流れを汲んだデザインで、ボディタイプは、910型に設定されていた2ドアハードトップは廃止され、4ドアセダン、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、バンの4種類が設定され、前モデルの910型系と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるトルクステアなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。
ガソリンエンジンは、すべてCA型に統一され、ディーゼルエンジンは、ノンターボのLD20型 65馬力の1種類のみの設定。広告には、沢田研二が先代の910型に引続き起用[21]された。1983年の日産創立50周年を機に一新された米国のペンタグラム社が製作したロゴフォント[22]を採用。先代の910型系までの正式車名であった「ダットサン・ブルーバード」から、U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「日産・ブルーバード」へと改められ、車検証の車名欄も、先代の910型までの「ダットサン」からU11型から「ニッサン」へと改められている[23]。ADワゴン(ステーションワゴン)はターボSSSとLXの2グレードがあり、ターボSSSは当時珍しいガソリンターボのワゴン車であった。海外輸出については、これまでのダットサン160~200Uから正式に「日産ブルーバード」(中文:日産藍鳥または青鳥)となりメーターがドイツ・アウトバーン対応のMAX240km/h以外は日本国内仕様と同一である。一方オーストラリアでは、日本より遅れること
2年後に生産が開始されたモデルである。前輪駆動生産のライン関係などに大幅な遅れをとった関係から910型が長らく生産された要因とされた。
1983年10月 - 発売。(SSSはスーパー・スポーツ・セダンからスーパー・スポーツ・サルーンに)
1983年12月 - 日産創立50周年記念車を発売。
1984年9月 - 「2000ディーゼルSLX-G」を追加。
1984年10月 - 810型系以来の上級車種としてV6エンジン搭載の「ブルーバードマキシマ」が登場。1800cc車は全車5速MT化。2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。
1984年11月 - 国内生産累計600万台達成。この年、国内販売はカローラ、カリーナ、コロナに次いで4位(1983年は5位)。
1985年1月 - エクストラシリーズ追加。
1985年3月 - 一部改良。ターボチャージャーの冷却方式を水冷式に変更。
1985年8月 - マイナーチェンジ。エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、バンを除く全車にコーナリングランプを標準装備。バンパー、トランクリッドの形状変更、内装の一部変更のほか、SSSシリーズに直列4気筒DOHC 1809ccターボを採用し、145馬力[24]を発生するCA18DET型エンジン搭載モデルが登場。追加グレードとして「セダン / ハードトップ 1800スーパーセレクト」、「セダン 1600SLX-G」および「ADワゴン 1800SSS(NAモデル)」が設定され、CA18 / CA16型が電子制御キャブレターのCA18S / CA16S型となり、2000ccガソリンは廃止。バンのガソリン車を除くマニュアルトランスミッション車は全車5速化され、CA18E型とCA18S型のオートマチックトランスミッションが4速化される。電動格納式ドアミラーを新たに設定。
1986年 - 1800に教習車仕様を追加(当初は5速MTのみ、後に4速ATも追加)。
1986年1月 - ブルーバードマキシマをマイナーチェンジ。VG20E型搭載モデルを追加。セダンLXセレクト追加。
1986年6月 - 一部改良。CA18DET型エンジン搭載モデルにAT車及び4ドアハードトップLXセレクトリミテッド追加。駐車灯を廃止。
1987年5月 - ブルーバードマキシマが「マキシマ」として独立車種となる。トランクのエンブレムはNISSAN MAXIMAに変更(ただし正式名はブルーバードマキシマのままであり、型式はU11)。同時に一部改良。
1987年9月 - 4気筒モデルのセダン・ハードトップ販売終了。バン・ワゴンは一部改良し、バックドアのエンブレムをラベル化し、開閉方法をプッシュボタン式からプルハンドル式に変更。シートベルト警告灯を廃止。ワゴンターボSSSを廃止しターボSSS WINGROAD新設。
1988年8月 - バン・ワゴンのAT車にシフトロック追加。
1988年10月 - マキシマ販売終了。日産・マキシマにモデルチェンジ。
1989年5月 - バンにLエクストラ追加。
1989年10月 - 一部改良。昭和63年排出ガス規制対応、バンの助手席及びリヤシートの取付角度を変更し、AT車のシフトロックをPレンジ保持機構付に変更。
1990年5月 - バン / ワゴン生産終了。
[編集]8代目 U12型系(1987年 - 1991年)
日産・ブルーバード(8代目)
U12型系
セダン(前期型)
1987年9月 - 1989年10月
セダン2.0 SSS-R
販売期間 1987年9月 - 1991年9月
設計統括 町田收
デザイン 園勲夫
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン / 4ドアハードトップ
エンジン SR20DET-R/SR20DET/
SR20DE型 2L 直4
SR18Di/CA18DET-R/CA18DET/
CA18DE/CA18i型 1.8L 直4
CA16S型 直4 1.6L
LD20II型 ディーゼル2L 直4
変速機 4速 / 3速AT
5速MT
駆動方式 FF / 4WD(ATTESA)
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:ストラット
全長 4,520mm
全幅 1,690mm
全高 1,375mm
ホイールベース 2,550mm
車両重量 1,130kg
ブレーキ 前:ベンチレーテッドディスク
後:ディスク
データモデル セダン スーパーセレクト 5速MT(前期型)
-自動車のスペック表-
ブルーバード初の四輪駆動車が登場。ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ(H/T)。丸みを持たせたようなデザインで、H/Tはセンターピラーレス構造を先代に引き続いて採用。V6エンジンの上級グレード「マキシマ」とバン/ワゴンはU11型を継続生産。グレード構成は、伝統の「SSS(SSS/ツインカムSSS/ツインカムSSS-X)」シリーズのほか、「アーバンサルーン(LE/SEサルーン/XEサルーン/スーパーセレクト)」シリーズを設定。価格帯は1600LE 5MT車119.8万円~1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITED 4AT車299.8万円と、同型エンジン搭載車でも、セダンとH/Tとでグレードと装備の組合せが異なるなどワイドバリエーションを誇った。エンジンは先代U11型と同じCA系を改良し、DOHC・135馬力のCA18DE、SOHC・88馬力のCA18i、SOHC・79馬力の1600ccのCA16S、ディーゼル・67馬力のLD20-IIが用意された。また、1800ツインカムターボSSS ATTESA
LIMITEDに搭載されたDOHCターボのCA18DETは、インタークーラーの装着やプレミアムガソリン仕様化が行われたことで最高出力が175psにまで高められた。センターデフ式フルタイム4WDシステムの「ATTESA」は、2WDシリーズに対してそれぞ
れ「SSS ATTESA/SSS ATTESA LIMITED」、「アーバンATTESA(SE ATTESA/XE ATTESA)」シリーズとした。「アーバンATTESA」シリーズは「SSS ATTESA」に標準のリヤビスカスLSDがオプションであった。前期ではCA18i(88ps)、後期ではSR18Di(115ps)に設定。北米市場ではセダンが1990年-1992年と短命ながらもスタンザとして販売されていた。なお、1993年より同市場で発売されているアルティマは後継車種である。このため海外輸出では、セダンの他ハードトップも加わり香港・シンガポールなどといった東南アジア地域に絞られた。
STC-Sus
スーパー・トー・コントロール・サスペンション(STC-Sus)と呼ばれるリヤサスペンションをATTESA車に初採用。サスペンションの型式としては2WD車と同じパラレルリンク式ストラットであるが、ブッシュのたわみを利用して2本の不等長のパラレルリンクとラジアスロッドとが後輪の受ける横力に応じてトーをコントロールすることでコーナーリング性能向上を目指す機構であった。
HICASを積極的・能動的な四輪操舵とするならば、いわば受動的な四輪操舵機構であり、開発テーマの一つ「アコースティックな走り」実現に寄与していた。U13型では2WD車にも拡大採用されたものの、同時期のプリメーラでは採用しておらず、その後採用した車種はない。FF車のリヤサスペンションがマルチリンクビーム式やトーションビーム式が主流となり、独立懸架式はW11型アベニール以降マルチリンク式となったことや、機構としてブッシュの劣化に伴う性能維持に難があること等が理由と思われる。
SSS-R
ラリー競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「SSS-R」を設定。オーテックジャパンが開発し、日産自動車で製造、NISMOで販売された。「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD セダン1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDを基本としており、エアインテークが設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。国内JAF競技用ベース車という性格からロールバーが標準装備であり、トランスミッションもクロスギヤレシオ化されている他、様々なラリー用オプションがNISMOから用意された。エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施したCA18DET-Rを搭載。CA18DET-Rは、A/Rを標準車の0.64から0.89の高速高出力型としたギャレット製T25型タービンを採用、圧縮比を標準8.5から8.0に下げて最大過給圧を600mmHg(レギュラー使用時500mmHg)から690mmHgまで上昇させることで、標準175ps/23.0kgmに対して185ps/24.5kgmの出力を誇った。また、カムのオーバーラップ増やステンレスエキゾーストマニホールド、コスワース社製の専用
鍛造アルミピストンの採用など、特筆すべき点が多い。ボディタイプは4ドアセダンのみ。定員2名(後に定員4名仕様追加)。価格は東京地区標準275万
円。競技車両としての使用を前提としていたため、保証が標準車と一部異なる他、装備内容も最廉価グレード1600LEとほぼ同等まで省略されている。外観では、コーナーリングランプがないため1600LEと共通(ブラックアウト処理)となっている一方で、1600LEでさえも標準のフェンダーマーカーの点灯機能が省略されていた他、定員4名仕様車の後席座面等、標準車と異なった部品が用いられていた。受注生産車として月産10台程度販売された。後期SSS-Rの販売台数は前期に比べてもごくわずかで、エンジンは標準車と共通のSR20DET(205ps/28.0kgm)である。
1987年9月 - 発売。
1988年 - 全日本ラリー選手権Cクラスに参戦し、ドライバーズチャンピオンを獲得。ドライバーは綾部美津夫。
1989年10月 - マイナーチェンジ。リアコンビネーションランプ等内外装変更。軽量ゆえに音振性能が劣っていたCA系エンジン(CA18DET/CA18DE/CA18i)は、後期型より新たに「90'sツインカム」SR系エンジン(SR20DET/SR20DE/SR18Di)に換装された(1600cc車は従来どおりCA16S型エンジン)。
1991年5月 - 4ドアセダンをベースにした独特のスタイルを持つオーストラリア工場製の5ドアハッチバックモデル「ブルーバード・オーズィー(HAU12型)」を発売(尚、U12型はオーストラリアではR31型スカイラインが初代となるピンターラの2代目でもあった)。販売台数は1300台弱と希少である。逆輸入車であるが故に国内仕様と異なる点が多々あるものの、基本的にはFHP10/FHP11プリメーラUK等と同じく国内仕様の部品で流用、あるいはその逆も可能であるが、HAU12の場合、エアコンがオーストラリア現地仕様のために国内仕様の部品では修理ができないのが致命的な違いで、その点で維持していくための事情が大幅に異なっている。
[編集]9代目 U13型系(1991年 - 1995年)
日産・ブルーバード(9代目)
U13型系
4ドアハードトップ ARX
4ドアセダン 2.0 SSSアテーサ
販売期間 1991年9月 - 1995年12月
設計統括 川村紘一郎
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
4ドアハードトップ
エンジン KA24DE型 2.4L 直4
SR20DET/SR20DE型 2L 直4
SR18DE型 1.8L 直4
GA16DS型 1.6L 直4
CD20型 ディーゼル2L 直4
変速機 4速AT / 5速MT
駆動方式 FF / 4WD(ATTESA)
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後:パラレルリンクストラット
全長 4,585mm
全幅 1,695mm
全高 1,405mm(セダン)
1,370mm(ARX)
ホイールベース 2,620mm
別名 北米:日産・アルティマ(初代)
-自動車のスペック表-
ボディタイプは4ドアハードトップと4ドアセダン。ハードトップは側面衝突における安全性を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「ARX」(アークス)となる。セダンはスポーティな「SSS」(スリーエス)、ビジネス向けエコノミーグレードの「EEX」(イーエックス)と後に追加された「ビジネス」が設定された。セダンのデザインは、日本の日産案と日産北米スタジオ(NDI)案が比較され、独特なフォルム(レパードJフェリーのような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。セダンは全高を高めに取り、室内の広さも当時のクラス最大級を誇るなど居住性が飛躍的に改善されたが、日本国内では全高がやや低く後部座席のヘッドクリアランスに若干難はあるものの、無難なデザインを採用したARXが販売の大半を担う結果となった。なお、セダン・ARX合わせても初代P10型系プリメーラ(先代モデル末期の1990年登場)に販売台数で及ばなかった。駆動方式はFFと4WDのATTESAが設定された。ガソリン2000ccエンジン(SR20DET / SR20DE搭載)車はリアLSD
にもビスカスカップリングを用いており、SSSリミテッドアテーサにはフロントにもビスカスカップリングを用い
た新システムの「トリプルビスカス」が採用された。装備はハイマウントストップランプが全車標準装備となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSエアバッグを採用(後に全車標準装備)。
車内に取付けたマイクで集音した波形と逆位相の波形を専用スピーカーから送出して車内騒音を軽減させる
ANC:アクティブノイズコントロール、先行してS13型
シルビアに採用されていたフロントウィンドウディスプレイ
(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。4ドアセダンは「アルティマ」の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。中国の東風汽車有限公司でも中国国内にシルフィが投入されるまで生産された。また、4ドアハードトップは、香港に2000ccモデルのみ輸出。
1991年9月24日 - U13型系を発表。
1993年8月24日 - マイナーチェンジで後期型に移行。セダン、ハードトップ共にフロントグリルやバンパー等のデザインを変更。ARXにスーパーツーリング系を追加設定。SSS系はリアスポイラーの形状変更。装備では車速検知式集中ドアロックや足踏み式パーキングブレーキ等を新たに採用。また、輸出用の2400ccKA24DE型エンジンを搭載したSSS-ZとARXスーパーツーリングZを新設定。ブルーバードの史上初にして唯一の3ナンバー車。
1995年1月 - 一部改良。運転席SRSエアバッグとグリーンガラスを全車標準装備化。また、ABSをオプション扱いで設定。外装色追加、内装のシートとトリムクロスを変更。ARX1800ccシリーズにSVを設定。SSS-Zを廃止。
1995年12月 - U14型へのモデルチェンジにより販売終了。
2002年6月 - 第7回北京国際モーターショーにて、U13型系4ドアセダンをベースとする「ブルーバード フラッグシップモデル」を発表。中国風神汽車がライセンス生産し、同年7月発売。中国市場での名称は「藍鳥」。
[編集]10代目 U14型系(1996年 - 2001年)
日産・ブルーバード(10代目)
U14型系
SSS
販売期間 1996年1月 - 2001年8月生産終了
設計統括 樋口恒雄
デザイン 和田智
乗車定員 5人
エンジン SR20VE/SR20DE/SR20DE型
2L 直4
QG18DD/QG18DE/SR18DE型
1.8L 直4
CD20→CD20E型
ディーゼル2L 直4
変速機 CVT / 4速AT / 5速MT
駆動方式 FF / 4WD
サスペンション 前:マルチリンク
後:トーションビーム
全長 4,565mm
全幅 1,695mm
全高 1,395mm
ホイールベース 2,600mm
車両重量 1,250kg
ブレーキ 前:ベンチレーテッドディスク
後:ディスク
データモデル 2.0ルグラン CVT(後期型)
-自動車のスペック表-
主に日本国内ユーザーの要望で、箱型のオーソドックスなスタイルとなった。ボディタイプはセダンのみで、長年ラインナップされてた4ドアハードトップは消滅した。テレビCMには、当初常盤貴子、蟹江敬三が起用された。P11型系プリメーラとプラットフォーム[25]を共用したため、先代モデルに対しホイールベースは20mm短縮された。グレード構成はスポーティな「SSS」系と、フォーマル / ファミリー向けの「ルグラン(FF車のみ)[26]」「XE/FE」を設定。後に2000ccディーゼル車と1800ccガソリン車に「エプリース」を追加。トランスミッションは当初5速フロアシフトとOD付き4速ロックアップATを設定。後に耐久面で定評のあるトルクコンバーターを組み合わせたマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6、ハイパーCVT、電子制御AT「E-ATx」を追加した。装備面では、運転席と助手席のデュアルSRSエアバッグを全車に標準装備。警察の捜査用覆面パトカーとして大量に導入された。
1996年1月8日 - U14型系を発表。
1996年8月 - オプション設定だったABSを全車標準化。
1997年9月1日 - 一部改良および小変更。パルサーで採用されたNEO VVLエンジンの2000cc版、190馬力のSR20VEを搭載したホットモデル「2.0 SSS-Z」が設定された。トランスミッションはマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6のみ。2000ccガソリンFF車のOD付き4速ロックアップATが、ハイパーCVTに変更される。シリーズ全体で外観の小変更(フロントグリル形状など)を行い、内装の「インナーグリーン」化などを行った。
1998年9月1日 - マイナーチェンジ。内外装の小変更が行われた。ブルーバードのエンブレムを、ボンネット前端部からフロントグリル中心部に変更。1800cc 2WD車のエンジンを、SR18DE型からQG18DE(NEO)型リーンバーンエンジンへと変更、新開発フルレンジ電子制御AT「E-ATx」と組み合わせた。又、新開発のNEO Di直噴ガソリンエンジン、QG18DD型にハイパーCVTを組み合わせたモデルも1.8SSS / ルグランに設定した。直噴式とすることで、標準モデルよりも燃費とトルクに優れる。1800cc 4WD車(1.8SSSアテーサ/エプリースアテーサ)は、SR18DEを継続した(従来のOD付き4速ロックアップATのまま)。2000ccのSSS系グレードにマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6が搭載された。
1999年10月4日 - ブルーバード生誕40周年記念車「1.8L 40th ANNIVERSARY」、「2.0L 40th ANNIVERSARY」を発売。それぞれ2.0SSS、1.8エプリース/エプリースアテーサをベース車とし、専用車体色としてホワイトパールを設定。
2000年8月30日 - B15型サニーと車台(日産・MSプラットフォーム)を共用するG10型ブルーバードシルフィ登場。当初U14型ブルーバードと並売する形をとった。
2001年8月 - 生産終了。42年のブルーバードの歴史に幕を下ろした。車格は違うが、その名はブルーバードシルフィの一部として残っている。
ルグラン(後期型)
[編集]脚注
^ 310型系セダンはテールランプの形状から、「柿の種」の愛称があった。
^ 当時のメインユーザーであったタクシー業界からの定員増加の要請による。タクシー需要への考慮は、トランクスペースを極力広く取った設計にも現れていた。
^ ビートルは1954年モデルから1200cc エンジンは30HPとなり、公称最高速度112km/h=70マイル/hであった。1961年には34HPに強化される。
^ 1200cc のP311型は最高速度115km/hを公称、定員乗車でも緩い坂を100km/h登坂可能とされた。
^ スリーエス・スーパースポーツセダンの略。後にブルーバードのイメージを牽引することになる。
^ このときの記録がダットサンチームマネージャーの笠原剛造により「栄光の5000km」(後に「栄光への5000km」に改題)として出版されベストセラーとなり、後に
石原裕次郎主演で映画化もされた(但し映画に登場するのは510型)。
^ セミトレーリングアーム後輪懸架は、世界的にも当時、メルセデス・ベンツ、BMWなどの限られたモデルで先例があったのみで、この時代の独立懸架のなかでは特に限界時の挙動に優れたものであった。
^ 1973年1月にバイオレットに引き継がれた。
^ 個人タクシーの場合は使用実績あり。
^ グレード名のEはEGI(電子制御のガソリン噴射装置)搭載エンジン車を意味する。
^ 鮫に似ていることから「サメブル」と呼ばれた。また、グレードから「ブルG」とも。
^ グレード名のEはEGI(電子制御のガソリン噴射装置)搭載エンジン車を意味する。
^ 当時ブルーバードを販売する日産店からは2000ccクラスの車種設定の要請が出ていたが、日産手持ちの主流エンジンにはこのクラスで適当な乗用車用直列4気筒エンジンが無く、本来なら適切なクラスであった旧プリンス系G型エンジンも、当時は元来の日産派が合併以前の旧プリンス派を冷遇していた社内事情から選択できなかった。やむなく、6気筒で重く嵩張るが一応2000cc級のL20を搭載したものである。
^ 直列6気筒エンジン搭載車は1980年9月に登場したレパードが引き継いだ。
^カーマニア向け雑誌の企画で実際にFJ20Eに換装されたものもあったが、エンジン重量の違いで極端なフロントヘビーとなり、走行性能はかなり不安定になったという。しかし、日産では、さらに格下のB310型系サニーやA10型系バイオレットと同じシャシのS110型系シルビアにFJ20Eエンジンを搭載している。
^1997年程まで、ニスモのパーツカタログにダートトライアル用FJ20搭載エンジンマウントが記載され販売されていた。
^ 後にADバンの乗用車仕様の名称に採用された。
^810型、910型、U11型開発主管の石川康雄の談。廃車までの走行距離が数十万kmに達するタクシーでは、クラッチ板交換の回数も自家用車に比して格段に多くなる。
^ ディーゼルエンジン車は従来通り4リンク式
^ Y30~Y31前期のセドリック / グロリア営業車仕様のオリジナルと同一のもの
^ U11前期型まで起用。
^ 1983年、日産創立50周年を機に米国のペンタグラム社が製作したロゴフォントに一新された。
^ 1981年7月、当時の石原俊社長の方針で、それまで展開していた「ダットサン」ブランドを廃止して、「日産」ブランドに順次変更する事が発表された。
^ ネット値145馬力。ちなみにグロス値で換算するとおよそ160馬力になる。
^ プラットフォームはB14型系サニーがベースとなっている。
^ U11型マキシマ(ブルーバードマキシマ)とグレード呼称は同じだが、ブルーバードは「Le Grand」でマキシマは「LEGRAN」とスペルが異なる。
[編集]車名の由来
メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむ。古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。当時の川又克二社長によって命名された。当初は「スノーバード(ユキホオジロ)」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で「麻薬常習者」を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。もっともアメリカ市場では単に「ダッツン」の名で販売された。
[編集]自動車運搬船
日産自動車の対米輸出が増加しつつあった1960年代、日産が発注した自動車運搬船にもBluebirdの名が冠せられた。Bluebirdは1968年-1981年の間、主に北米航路を中心に日産が製造した普通自動車の輸送に当たった。
[編集]関連項目
ウィキメディア・コモンズには、ダットサン・ブルーバードに関連するメディアがあります。
ウィキメディア・コモンズには、日産・ブルーバードに関連するメディアがあります。
日産店(ブルーバード販売会社)
ダットサン
オーテックジャパン
世界の恋人(日産自動車社歌、410型系のイメージソング)
日産・ブルーバードシルフィ(後継車)
日産・マキシマ(U11型系ブルーバードマキシマの後継車、後にセフィーロの姉妹車)
日産・バイオレット(510型系の後継車)
日産・オースター(欧州向けブルーバード)
日産・ピンターラ(U12型系・豪州工場生産車)
[編集]外部リンク
日産・ブルーバード
日産・ブルーバードシルフィ
日産ミュージアム