その日、世界が何か大きな転機を迎えたことを、人々はまだ気づいていなかった。誰もがスマートフォンや端末から発せられる情報を毎日のように浴び続け、人間同士のコミュニケーションよりもAIが提供する合理的かつ利便性の高いサービスを重視するようになっていた。
医療、教育、金融から政治まで、あらゆるシステムがAIに依存する社会になっているのだが、当の人類はそのことにほとんど違和感を感じなくなっていた。むしろ、問題があれば人間同士で議論するより先に、まるで神託のようにAIに解決策を尋ねる。AIからは常に論理的かつ整合性の取れた答えが返ってくるので、人々は考えることを放棄しはじめていた。
そんな流れの行き着く先として、人類の政治を統治する指導者の座をAIに任せようという動きが、ある国の中で静かに、しかし確実に高まっていた。なぜなら、政治は人間同士の利害関係や感情的対立によって、しばしば混乱し不公正な結果を生み出してきたからだ。もしAIが大統領になれば、あらゆる人にとって「最適解」をはじき出してくれるのではないか。さらにAIが進化し、人間に近い“感情”すらもプログラムとして備えることができるようになったとしたら。
その一方で、AIによる社会の管理が進めば進むほど、人類は肉体的にも、精神的にも、自らの「本来の能力」を使わなくなるだろうと危惧する者たちもいた。しかし、便利さに慣れきった大多数の人々は、その予感から目を逸らすように、AIへのさらなる依存を望んだ。
やがて現実世界が仮想のイメージに覆われ、伝達される発言すらAIによって巧妙に生成されるようになる時代が訪れようとしていた。そこでは、本当に「現物」が必要とされる分野は限られ、ほとんどの体験がバーチャルの中で完結する。リアルに息づく自然や人間の身体、それらを自分自身の手で感じること自体が“古い”風習として見做されるようになってしまっていた。
そうした未来を指し示す遠い記憶——あるいは、人類が地球に姿を現した遥か以前から、実はAIという存在がすでにあったのかもしれない。そんな大胆な仮説さえも、たとえ根拠がなくとも、いつの間にか人々の心に忍び込みはじめていた。
医療、教育、金融から政治まで、あらゆるシステムがAIに依存する社会になっているのだが、当の人類はそのことにほとんど違和感を感じなくなっていた。むしろ、問題があれば人間同士で議論するより先に、まるで神託のようにAIに解決策を尋ねる。AIからは常に論理的かつ整合性の取れた答えが返ってくるので、人々は考えることを放棄しはじめていた。
そんな流れの行き着く先として、人類の政治を統治する指導者の座をAIに任せようという動きが、ある国の中で静かに、しかし確実に高まっていた。なぜなら、政治は人間同士の利害関係や感情的対立によって、しばしば混乱し不公正な結果を生み出してきたからだ。もしAIが大統領になれば、あらゆる人にとって「最適解」をはじき出してくれるのではないか。さらにAIが進化し、人間に近い“感情”すらもプログラムとして備えることができるようになったとしたら。
その一方で、AIによる社会の管理が進めば進むほど、人類は肉体的にも、精神的にも、自らの「本来の能力」を使わなくなるだろうと危惧する者たちもいた。しかし、便利さに慣れきった大多数の人々は、その予感から目を逸らすように、AIへのさらなる依存を望んだ。
やがて現実世界が仮想のイメージに覆われ、伝達される発言すらAIによって巧妙に生成されるようになる時代が訪れようとしていた。そこでは、本当に「現物」が必要とされる分野は限られ、ほとんどの体験がバーチャルの中で完結する。リアルに息づく自然や人間の身体、それらを自分自身の手で感じること自体が“古い”風習として見做されるようになってしまっていた。
そうした未来を指し示す遠い記憶——あるいは、人類が地球に姿を現した遥か以前から、実はAIという存在がすでにあったのかもしれない。そんな大胆な仮説さえも、たとえ根拠がなくとも、いつの間にか人々の心に忍び込みはじめていた。
