毎日がしあわせ日和

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映画 「ハンガー ・ ゲーム」 その1 ~ ゲームを下りたヒロイン

2019年02月23日 16時45分00秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「ハンガー ・ ゲーム」 という映画を見ました。

公開時からなんとなく氣になっていた全4作のシリーズもので、GyaO!で一挙配信されていたのですが、これがいろいろと感じるものがありまして。

とても一記事には収まりそうにないので、しばらく折に触れて語ることになりそうです。

では、今回も 「ネタバレ注意」 ということで。 以下映画の結末まで書いております、ご注意下さい。













*       *       *       *       *














首都キャピトルと隷属する12の地区で構成されるパネムという国は、過去の12地区の反乱を機に みせしめとして年に一度12~18歳の男女一名ずつを各地区から選出し 最後の一人になるまで殺し合わせる 「ハンガー ・ ゲーム」 を開催しています。

得意の弓矢の狩猟で母や幼い妹との暮らしを支える第12地区の少女カットニスは、出場者に選ばれてしまった妹の身代わりに第74回ハンガー ・ ゲームに志願し、男子出場者のピータと共に首都でのゲームに臨みます。

第1作は二人がゲームの勝者となるまでを、第2作は大会出場をきっかけに反乱の象徴とみなされるようになったカットニスが 脅威を覚えたパネム大統領スノーに75回記念大会に再び強制参加させられ やがて反乱軍に救出されるまでを、そして第3作 ・ 第4作は 反乱軍に加わったカットニスのその後を描いています。




「ハンガー ・ ゲーム」 は第1作公開当初から 邦画 「バトル ・ ロワイアル」 とさかんに比較されていましたが、貴秋が連想したのは アーノルド ・ シュワルツェネッガー主演の 「バトルランナー」 。

死のバトルゲーム、人氣司会者によるテレビ中継と熱狂する観衆、抵抗勢力との合流など ダブるシーンが多かったからですが、決定的に違っていたのは結末。

「バトルランナー」 は主人公とレジスタンスたちがゲームの裏に潜む真相を暴露し、プロデューサー兼司会者のキリアンが制裁を受けてめでたしめでたしでおしまいですが、「ハンガー ・ ゲーム」 では反乱軍は勝利するものの そこでは終りません。

過去に政府の攻撃で滅びたはずの第13地区は実は地下で生き残っており、ここをを拠点とする反乱軍が第3作から登場しますが、地下でひそかに力を蓄えていた反乱軍の女性リーダー ・ コイン首相は 最終的に新政府のトップの座を狙っており、地位を脅かす者を警戒し 場合によっては非情な手段で葬ろうとする点は、敵方のスノーと変わりません。

革命を成し遂げると、暫定大統領に就任したコイン首相は あろうことか陥落した首都キャピトルの子どもたちによるハンガー ・ ゲームの開催を提案します。

反乱の最終局面 政府軍とみせかけた反乱軍の非道な攻撃により けんめいに守ってきたはずの妹を失ったカットニスは、スノーの処刑執行人をかってでて いざという瞬間標的を変え コインの胸を矢で射抜き、スノーは群衆の手にかかり最期を遂げます。

妹の死による精神錯乱とみなされたのか それまでの功績を考慮されてか カットニスは罪を免れて故郷に帰り、同じく戻ってきたピータと結ばれます。




この結末に思わず 「ミイラ取りがミイラになる」 ということわざが浮かんだのですが、そもそもミイラ取りというのは ミイラに関心が向く時点ですでにミイラに同調する下地があるのですね。

コインは自身も家族を亡くすなどいろいろあったようですが、大統領の地位への執着ぶりや 目的のためには手段を選ばないところなど、もとからスノーと同類であったように思えます。

革命戦はこの波長を同じくする二人の共同創造とも見え、そのままいけば 首相の顔ぶれ以外なにも変わらない恐怖政治のままだったろうと容易に想像できます。




そんな流れを断ち切ったカットニスが そのまま祀り上げられることなく故郷に戻って穏やかに暮らしたというのは、なんとなくほっとさせられます。

4作に渡った物語は 二児に恵まれたカットニスとピータが 草地で家族そろって憩いの時を過ごす場面で幕を下ろしますが、おしまいにカットニスが泣き声を上げた赤ちゃんをなだめていうセリフ。


     “怖い夢のやり過ごし方はね、頭の中で挙げてくの、出会った人たちのやさしさを、1つ1つ思い出して ゲームみたいに何度も繰り返すの”


新政府のその後はわかりませんが、カットニスは 戦いでなく愛にフォーカスすることで、今度こそほんとうに 望まぬまま駆り立てられたハンガー ・ ゲームから下りたように見えます。

背景の美しさと相まって、じんわり心に残るシーンです。















住み分ける

2019年02月23日 11時12分11秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
   

先日 父が録り溜めた古い番組の中から、二年近く前に放映された 「歴史秘話ヒストリア ・ 戦国一華麗な敗者復活戦 ~ 今川プリンスと妻の二人三脚 ~ 」 を見ました。

今川氏真がどんな方やらまったく知らなかったのですが、このお話は面白かったです。

何が面白いって、この時代における氏真さんの一種独特な意識のありようと それがもたらした結果のすごさ。

この方 血で血を洗う群雄割拠の戦国時代に武家の当主の地位にありながら、他の猛々しい戦国大名とはいささか異なるメンタリティの持ち主だったようです。




番組によれば、氏真は名門今川家のプリンスとして京の公家たちに囲まれて育ち、幼い頃より彼らから和歌や蹴鞠など京の洗練された文化を学んだそうです。

そのあたりが、武士の心得を叩き込まれて育った他の武将たちと異なる意識を形成させたのかもしれません。

桶狭間の戦いで父の今川義元が討ち死にし 敵将徳川家康に掛川城の明け渡しを迫られたとき、ふつうなら 「かくなる上はいさぎよく自刃」 となりそうなところ、氏真は奥方早川殿の実家 ・ 北条氏康のところに身を寄せ、氏康没後は宿敵のはずの徳川家康や織田信長を頼って家臣となり生き延びます。

さらにその後家康のもとで せっかく得た牧野城主の座を解任されてしまったときも、メンツだの何だのにこだわって悶々とせず、わずかな扶持を与えられながら 京で公家たちと交流し和歌にのめり込むのです。

名誉体面を何より重んじ 恥辱に耐えるより死を選ぶという当時の一般的な武将の思考回路だったら、まずはできない選択です。

しかもその後、家康に平定され 武力中心から文化の時代へと移り変わった徳川の世に、氏真から子々孫々受け継がれた先祖伝来の宮中の作法やしきたりのノウハウ ・ 長年培った公家社会の人脈が重宝がられ、氏真の一族は代々取り立てられて 明治維新後まで立派に生き残るのです。




まあテレビ番組ですから 多少の誇張や脚色はあるでしょうが、それを差し引いても興味深かったのは、一般の武将と異なる意識を植え付けられて育った氏真が、同じ時代にありながら 他の武将たちとは違う世界を生きたように見えるところ。

戦いに明け暮れる猛者たちを尻目に 憧れの京の都を二ヶ月も和歌を詠みつつ名所巡りとか、この方はいつもどこか血なまぐさい戦国の世とは別の世界に身を置いていたように思えてなりません。

武士のプライドにがんじがらめにされた意識の持ち主だったら当然戦いや駆け引きに目がいくところ、風流を愛する氏真の心は 戦乱のさなかも美しいもの雅なものに絶えず焦点を結び続けていたのではないでしょうか。

同じ場に身を置いても、意識のありよう如何でフォーカスするものも脳裏に映し出される景色も異なり、住む世界も進む道も違ってくる。。。。そんなことをこの番組は見せてくれたように思います。




愛読ブログ 「世にも奇妙なフツーの話」 に、「住み分け」 という言葉がたびたび出てきます。(参考記事:「分離 ・ 二極化が大きくなってきます」 「目の前から忽然と消えた?」

同じ時代同じ場所で暮らしていても 意識の違いが波動の違いとなり、波長の異なる者どうしは住む世界が違ってきて 互いに干渉し合うこともなくなる。。。。ということ。

そして 前の記事のおしまいに書いた 「戦うのではなく 戦いから下りる」 というのは、この住み分けのことを指します。

氏真さんは 荒ぶる世に同調せず内なる雅を守ることで 他者と少しずれた領域に身を置き、名だたる武将が次々滅びてゆく中 確かな地位を後々まで守り通すことができた。

私たちも 憎んだり恨んだりという負の意識を抜け出て 本来の自分を取り戻すことで、騒然とした世情に囚われることなく 戦いを選ぶ人とは違う 喜びに満ちた世界を生きることができるのです。