すっかり遅くなりましたが、新年おめでとうございます。
せっかくお正月テンプレートにしながらひと言も書けずにいた松の内にも 多くの方にお越しいただき 心からありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます m(__)m
で、前の記事にもちらっと書いたとおり 「昨年最後の氣づき」 の話から始めようと思っていたのですが、真我の意向では どうもそうはいかないらしい (^_^;)
2017年最初のテーマは 「お金について」 。
。。。。って これまでずっと避けてきた、書けなかった話を 今年の初記事にしろと
わかりましたわかりました、今年も相変わらず、というかよりいっそう “ 内の真我さんの言 ・ う ・ と ・ お ・ り ” なのですね
古い日記が手元にないので 正確な日付はわかりませんが、あれは確かおととしの夏の ある朝のこと。
不意にひらめいたのです、この世から突然ぱっと お金とそれに類するもの一切合財が消え失せたら? と。
単純に考えれば 「何も変わらない」 。
これまでお金と引き換えに差し出し 受け取ってきたものを、お金という交換券なしで差し出し 受け取る、それだけのことなのですから。
念のために申し上げておけば、これは論理的な話でも学術的な話でもありません。
貴秋はお金とか経済とかそういう方面の話にはまるっきり疎く 知識も情報もほとんど持ち合わせていません。
ただ、このひらめきから 自分なりに向き合うべきテーマが見えてきた というお話なのです。
もし実際そんなことになったら、何も起きず変わらずでは済まないどころか 世を挙げて大混乱に陥るでしょう。
では、物の流れも人の流れも お金が介在しなくなるという以外には いつもと変わりはないはずなのに、なぜ混乱が起きるのか?
現実の金融システムのややこしい仕組みはわからないのですっ飛ばし、直感オンリーで探ってゆくと、浮かんできたのは二つ。
ひとつは、お金の仕組みが つねに利潤と成長を前提としていること。
もうひとつは、お金と人の負の感情が がっちり結びついてしまっていること。
どういう理由でかは知りませんが、現行の経済システムは 等価交換ではなく 原価に加え必ず利益を上乗せしなければならず、さらに そうやってずっと儲けては成長してゆかねばならない仕組みになっているようですね。
現状維持ではダメで、どこまでも成長し続けなければならない。
でもね、地球の大きさは変わらないのですよ。
土や水をはじめ さまざまな資源の量も一定、当然そこで暮らす人の数も 無尽蔵に増やせるわけじゃない。
なのに、物は前より多く作って多く売らなければならない、どこまでもそれを続けなければならない、そんなの続くわけがないではありませんか。
小学生並みの単純な理屈だけれど、実際はまさにその理屈どおり 資源は減り続け ゴミは増え続け、効果的な解決策が見出せぬまま 先行きへの不安がじわじわ膨らんでいっている。
この幼稚ともいえそうなほどシンプルな見方は、あの 「パパラギ」 の酋長ツィアビの言葉を通して身についたものです。
人を雇って舟を作らせる、お金は作った人のものになるはずなのに 雇い主がその大半を得るのはなぜ?
お金が勝手に増えてゆく、そんな魔法みたいなことがどうして起きる?
複雑なお金の仕組みを知らずとも こういう子どものような視点から見えてくるものが多くあるような氣がします。
むしろ お金の仕組みがあんなにも複雑なのは 本質から目を逸らすための目くらましなんではないかとさえ思えてくる。
言葉ではなんとでも言えるし いくらでもややこしく見せられるけれど、いったん本質を前にすれば いつまでもごまかし切れるものではありません。
地球は閉ざされた循環システムで成り立っています。
地球内の資源がすべてであり、万事その範囲内でやりくりしていかなければならないということ。
他の星に進出するなんて話もありますが、それはまだ確立した技術ではなく、今の私たちはとにかく 地球の循環システムを滞らせないようにうまく生かし続けなければ 自分たちが生きてゆくこともできないのです。
なのに すでにかなり危うくなりかかっていて、大氣も水も汚染され、資源の枯渇も遠い話ではなく、動植物の絶滅危惧種は増える一方、人の心も荒む一方。
・・・・・・って、新年最初のブログだというのに なんでこんな氣の滅入るようなことばかり話してるんだろう? (- -;)
いや、ここをきちんと押さえておくことが この先を明るく前向きに進んでゆくことにつながるのです。
よろしければ しばらくお付き合いくださいませ。