先日 お友だちから変った形のカボチャをもらいました。
ひょうたんを縦に引き伸ばしたような、ぱっと見カボチャとはわからないようなカボチャ。
ネットで調べたら、鶴首カボチャという名前だそう。。。なるほどなぁ、というネーミング
下の膨らんだところに種やワタが入っています。
煮物だと溶けてしまうと教えられていたので、皮をむいて上から厚めの輪切りにし、オリーブオイルを流しニンニクスライスを散らした耐熱皿に並べ、溶けるチーズを乗せて焼いてみました。
果肉がねっとりと甘くたまらない美味しさ、こんな美味しい焼きカボチャ初めてかも
まだ半分残ってるから、今度はハーブパン粉焼きにしてみようかな
種もちゃんととっておいて、できれば来年蒔いてみたいなぁ
畑や庭のお世話をしている人ならわかると思うんですが、生えてくる雑草の種類って 年毎に変るんですね。
Aという植物に最適の環境の土地には もちろんAが一面に生い茂るわけだけれど、そうやってAが増えることが Aに適した今の環境を壊してしまうことにもなる。
で、次の年にはAに代わってBの天下に。
そして、同じ理由から次の年にはCが。。。という具合に、ある種の植物が主役になることが 次の植物に最適の環境を整える形で次々と入れ替わっていく。
なんで突然こんなこと言い出したかっていうと、人の心も同じだなぁって思うんです。
怒ったり落ち込んだり いら立ったり憎んだり、負の感情の真っ只中にいるとき、そこから抜け出した自分を想像するのは難しい。
いくらそういうのやめようって思っても、逆にそういう感情にふさわしい人や出来事を呼び込んで、かえってはまり込むハメになったりして。
私もその手のトラブルでずいぶんジタバタしたものだけど、実はそのもて余すほど膨らみに膨らんだ負こそが、それを引っくり返すきっかけにもなっていたんですね。
心休まる暇もなく 人間関係も置かれた状況もどんどん悪化していく中で、窮鼠猫を噛む的勢いで「これ以上こんなことやってられない!」と心中思わず叫ぶ日が 必ずやって来る。
ちょっとやそっとのことでは生活習慣を変えようとしなかった人が 大病して初めて「お酒やめよう」「タバコやめよう」「夜更かしやめよう」と決意するようなもの。
中途半端なところで止まらないで とことん落ちるところまで落ちることが、どかんと一発逆転ブレイクスルーのきっかけを作ってくれる。
いや、もちろんもう少しソフトランディングで方向転換できるに越したことはないんですけど(^^ゞ
ただね、今「最悪!」といいたいような環境で 先が見えずにいる人に、どんな苦しさの真っ只中でも、いや、苦しみが大きければ大きいほど その裏に大きなチャンスが潜んでいて出番を待ってることを知っておいてもらえるといいなぁって思ったんです。
私自身、七転八倒してる最中に 今みたいに安らかな日が訪れるなんて考えられなかった。
ただ、なぜか幸せになる!という意志だけは手放すことがなくて、それでここまでこぎつけられたのかもしれないけれど。
この一年ほどは、自然災害に遭遇したり 母の死を迎えたりと とりわけいろいろなことがあったけど、そのひとつひとつから大切ないのちの学びをもらって糧にできることを知りました。
幸せからいったん離れて また戻ることで、幸せをいっそう深くかみしめることができる。
なにも起こらずただ幸せ、というときには見えなかったものが見えてくる。
離れて 戻る、行って 帰る。。。そもそも生きるということ自体がそういうことなのかもしれません。
いのちの源から人という形に分け出され産み落とされて、いろいろな体験を積み重ねて、やがてまた源に還っていく。
せっかく与えてもらった機会なら、苦しむより楽しむ時間が長いほうがいいものね(^^)
自分が頭抱えて過ごしていた頃に こんなふうに声かけてくれる人がそばにいたらどんなにかよかっただろうな。。。そんなことを思いながらちょっと書いてみました