毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

選ばないけど あっていい♪

2016年09月14日 17時07分18秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


ここしばらくの 「からだとこころの相関関係」 のお試しの中で またひとつわかった利点は、からだの抵抗 (痛みや硬さなど) の側からアプローチすると、理屈を超えた事がらについて得心しやすいらしいということ。

講座や本などで まず言葉から情報を取り込むと、ついつい理詰めでつかもうとしてしまいますが、五感を超えた世界は 矛盾に満ちていて、マインドですっきり筋立てて理解するなんて とうていムリ (^_^;)

が、からだのわだかまりは 理屈と関係なく解消できますから、からだの痛みが消えたり 柔軟性が増したりするころには、氣がつかないところで こころのほうにも 理屈抜きの変化が起こるようです




そんな変化の現れのひとつか、前から氣になっていた 「存在を認めること」 と それを 「選ぶこと」 とは別物だということが 抵抗なくすんなり受け止められるようになりました。

望まないもの、好きでないものだって あっていい。。。。っていうか、それがあってこその コントラストの世界。

ただ、存在は認めても 選ぶかどうかはまた別の話で、望まないなら 選ばなければいい。

そして、「選ばない」 ものがあるからこそ 「選ぶ」 ことが可能になり、それを通して 自分という個性を表現できるんだと理解することで、無用の争いを避けられるんですね☆




このところ 好まないものを とことん否定 ・ 敵視して 叩き潰そうとする風潮が目立つ氣がしますが、それって とりもなおさず 少し前までの自分の意識の表れだから 冷や汗が出そうになります (^_^;)

今思えば そこまでムキになって 嫌ったり拒否したりすることはなかったんだなぁ、と。

あっていいんです、嫌いなものも 同意できないものも・・・・いや、ないと困ります、わざわざ二極世界を体験しにやってきた意味がなくなっちゃう

ただ、手を引っ込めて そっと離れればいい、それだけのこと。

自分が選ばなかったものを選んだ人を貶めたり憎んだり戦ったりする必要もないし、逆に ムリして折り合う必要もない。

たとえ向こうが戦いたがっても、相容れない人とは 類友の法則で 自然と離れてゆくはずで、それが 「波動の違いで住み分ける」 っていうことなんでしょうね♪




貴秋の 「他者という鏡を通して 自分を知る」 道のりは、「私は戦いたいんだ、戦って勝つ快感を味わいたいんだ」 という本音を明確に知ることから始まりました。

それが今、「もう戦うのはやめて、ただ自由に選び 生きたいように生きればいい」 というところにきています。

なんか 肩の力が抜けたな~って氣がします (*^^*)

そういえば、からだを柔らかくするのも まず自分が余計な力を入れていると気づくところからだったんだよね♪

うんうん、やっぱり こころとからだは ひとつものですね