シラネアオイやサンカヨウが咲いているときき
北邦野草園へ出かけてみる
お目当てのシラネアオイは満開 サンカヨウも可憐な姿をみせてくれる
PM2.5の大気汚染がひどいらしいが
林の中は清々しい
シラネアオイやサンカヨウが咲いているときき
北邦野草園へ出かけてみる
お目当てのシラネアオイは満開 サンカヨウも可憐な姿をみせてくれる
PM2.5の大気汚染がひどいらしいが
林の中は清々しい
プリンターのインクを交換しようとした時 間違いに気づいた
型番違いで使うことができない
大分前に買い レシートは捨ててしまっている
仕方なく 買いに行こうと 知人に店まで送ってもらった
30分ほどして
「財布を忘れて買えない」と電話がかかってくる
急いでタクシーで店までお財布を届けた
疲れたので喫茶コーナーでソフトクリームをいただき休憩
タクシーで帰る
やれやれ 疲れて二人とも 昼寝
夕食後 せっせとレーベル印刷している
ずい分高いインク代だった
高齢夫婦の日常茶飯事である
後で
ネット通販で調べたら ずっと安かった
詩吟の稽古日だが 朝から調子が悪く気が進まない
20日に春の審査温習会がある
2人が審査を受ける予定 温習会ではそれぞれ独吟をする
合連吟 会津の少女の合同練習もある
義務と責任感だけで出かけた
めったに顔を出さない人も出席 伴奏の先生も来てくださる
入会希望の方もお見えになり うれしい
皆さん元気はつらつで 練習に力が入る
審査を受ける人は 「富士山」 「月夜三叉口に舟を泛ぶ」
2度 3度 吟じる
「会津の少女」の合連吟の頃は ますます熱が入ってくる
あっという間の2時間で 時間が足りないくらい
気がつくと痛いのもだるいのも忘れていた
皆に 元気をもらった
北邦野草園ではまだ かたくりが咲いているらしい
畳の表替えのついでに
2~3日干してもらうことにした
子供の頃は毎年今頃の時期
町内あげての大掃除をする
天気の良い日曜日 どこの家でも畳をすべて外に干す
出すのはお父さんの役目 2枚ずつ山型にたてかける
日が傾く前に畳を叩いて埃を出す
頭を手ぬぐいで覆いマスクをする
パンパン 埃は舞い上がりそこら中広がる
町内中 一斉に パンパン パンパン
新聞を敷いた板床に畳を入れて大掃除は終わる
お日様のいい匂いのする畳
いつからか畳は藁床でなくなり 畳の部屋も少なくなった
掃除機が当たり前になり 外に干すこともなくなった
非衛生的ともいえる大掃除だったが
アレルギーなど聞いたことがなかった
畳は体に良いときく
今は いぐさ は少なく紙の加工品が多いらしいが
我が家は天然の いぐさ にする
Sさんに電話するとお花見に行く車中だという
どこに行くのかな?
デスクパソコンを使えないので
昨夜
ノートパソコンを長時間いじったら
目がしょぼしょぼ 涙が出てきた
これ以上目が悪くなっては困る
今日から当分最低限にするつもり
最低気温3.1℃
晴れ 最高気温は14℃くらいになったが
風が冷たい
花吹雪も終わり
寝室のリフォームは済んだが
明日パソコン部屋の畳を交換するという
朝から
物置と化している部屋の片づけ 荷物の移動をしている
夫は頼りにならないので一人でしているが
力もなくすぐ疲れて休息
桜も観たいが 出かけられないでいるうちに降りだしてきた
天気のように
二人の心も低気圧でいらいら
今年の桜はもう終わり
子供の日だが
子供の姿も鯉のぼりも見かけない
私が子供の頃は
生めよ増やせよの時代であった
端午の節句といい
男の子がいる家では鯉のぼりをあげ街中鯉のぼりで溢れた
男の子がいない我家でも 母はベこもちを作り
新芽が出たばかりのヨモギを摘んでヨモギ餅を作ってくれた
美味しかった母の味は今でも忘れない
弟が生まれすぐ大東亜戦争がはじまり
鯉のぼりどころではなくなった
衣食住が欠乏し 鯉のぼりが風呂敷になったり 甘い物も消えた
戦争に負け
食べ物に飢え カボチャとジャガイモ たまにデンプンダンゴ
着るものは軍隊のお下がりを改造
引揚げ寮の 広間に4家族16人がひしめいて住む
昭和21年の5月5日
ベこもちも ヨモギ餅もなかった
野草をせっせと とりにいき 大事な食糧だった
ヨモギはもちろん
エゾエンゴサク エゾノリュウキンカ エンレイソウ
花を愛でるゆとりなどなく 皆食べた
砂糖も見たことがなかった いつも甘いものに飢えていた
引揚者でなくとも 国中が飢えていた
花のパレードに参加する オランダの子供たち
知覧の新茶がとどいた
我家の飲み方は 邪道かもしれないが
愛用のダンスクのマグカップで飲む
カップになみなみとお湯を注ぎ少し冷ます
急須に入れ 薄めのお茶を分厚いカップへ
300 mlも入った新茶をゆっくり味わう
爽やかな香り 甘くこくがある新茶
至福の一杯
今朝はお代わりして2杯も・・・・
知覧は
戦死した従兄が 特攻隊で飛び立った地
多くの犠牲のおかげ
戦中 敗戦後の悲惨な暮らしを知る
昭和一桁生まれの意見
今の憲法だから 平和が続いている
改憲には反対である